6.凍結の日々 


「今日も行かない?」
「なんだ、お前に関係ないだろう」
 国王は、ただ一人と言っていいほど心を許す従兄に言葉を返した。
「関係ない、が」
 一瞬言葉を失った護衛に、もう興味はないと国王は書類に目を戻す。
 王の従兄であり側近の長である氷河は、静かに考え込んだ。彼は、ひとつだけひっかかる事があった。
 まだ誰にも言わず、真偽を確かめる段階。この王にすら、言うべきか悩む事。
「姫は閉じこもったままだ」
「まだ体調が悪いのだろう」
「侍女の話だと、風邪は治っていると」
「だから、どうした」



 しんしんと降り続ける雪を、窓の内側から見つめていた。ただ静かに、すべてを被い尽くす、雪。
 侍女達は声をそろえて言っていた。
「手すりがもろくなっているので、窓に鍵をかけてバルコニーには出られないようにしていた」と。
 確かに、窓の鍵は厳重で、開けることはできなかった。
 あの、端の窓以外。
 だが彼女達は――どうだ。
「あの日も、すべての窓に鍵をかけていた外側から」と。
 王にも、逃げ出そうとしたものと取られたまま、否定もしてなければ、泣きついてもいない。
 外側から鍵をかけられている。窓も、扉も。
 ただ、降り積もる雪を見つめる――
 白くもやのかかった窓、この部屋の中の暖かさは十分のはずなのに。
 雪の向こう側。
 窓に映る私のほほの流れが、映っていた。
 暖かいのか、寒いのかわからない。
 燃えあげる炎は、暖かいはずなのに、凍りついたように拒絶する人々。

 あふれ出て止まらない涙が、心を焼け付かせるほど熱い。




「そんなにこの国が気に入らないか」
「……ぇ? あの」
 突然破られた静寂。突然かけられた言葉。突然、突然、とつぜんで――
 冷ややかで、言葉を失う。おそらくあったであろう弁解の間も、凍りつかせた。


 部屋の中は暖かい。部屋の中だけは暖かい。暖炉が、燃えているという意味では。
 暖かいって、なんのことだろう。
 部屋が? 食事が? 空気が? ――心が?
 与えられたものは豪華で、惜しみないものだった。この国の人々からみれば、かなり、おおげさ、といったところだろう。
 動き、づらい。
 寒い。
 だけど、どこか、すがりつく先を求めた。
 歩いていれば、気がまぎれると、誰か言った?
 わざわざ、寒さに震えて――馬鹿みたい。皮肉ねと、笑う。笑っているのに、さみしい。
 悲しくて泣けなくて、辛いのに笑えて。寒さに、凍りついて、麻痺していくよう。
 さくりと、小さな音にふと立ち止まる。いつの間にか道をそれて、足は雪に埋もれていた。
 白い、まっ白く広がる先に、足を向けた。
 それもまた、先に何が広がっているのか知らずに。
 あっという間だった。
 落ちたのだ。
 そこに。底に――
 古井戸が、雪にうもれていた。かすかに盛り上がった段差。
 雪の底に、埋もれた。




「何をしていた!」
 鋭い声に、侍女が身をすくめる。
「確かに、指示がなければついていく必要もなければ、従う必要もないですね。と、言えると思っているのですか?」
 国王に加えて冷ややかなのは、その従兄だった。
「何か言い残す事は?」
「陛下」
「なんだ、蕗」
「陛下は姫様が、お嫌いでなのでしょう?」




「生きてる」
 不思議だった。だけど部屋の中は真っ暗で、月明かりで薄暗い。
「そんなに簡単に、殺してはくれないのよね」
 と、傍で息を飲む気配にはっとした。なにと視線をめぐらすと、人がいた。
 しかも、たぶん男の人だ。
 ここまで、きたか。
「なにか?」
 冷静だった。自分が。
 寝たまま、起き上がる気もない。そのうち、私を生かすことに疑問を持ちながらもそれを仕事とする侍女がくるのだろうから。
 彼は、何か言う言葉を、忘れてしまったようだ。
「……」
 壁際で、彼は揺らいでいた。何を言いにきたのだろう。私に。私に?
「殺してくれるの?」




「おい」
 初めてといっても、嘘ではない。一度の声掛けで、振り向きもしない。
「おい!」
 何度か、呼びかけた。いらだちが増す。
「――ぁ、ああ」
 反応の、鈍さ。
「いったい、何をしていた」
「殺してくれと、言われたよ」
「………勝手な事を」
 その身で取り替えろといったのは、自分だろう?




「しぶといのよね」
 呆れるくらい。自分は。
 笑いながら、再び、部屋の窓を開けてバルコニーに立った。今度は、端には近づかない。
 だけど、部屋の中にはいない。
「そこで何をしている」
 大声に、肩を震わせた。振り返ると、かなり不機嫌だった。ああ、いつからだろう。人が不機嫌でいること、そして、その怒りが自分に向けられる事、あきらめたのは。
「ゆき、を」
「雪?」
 不思議だとか、冷たいとか、そういうありきたりな事も、もちろんだけど。
「踏みしめるのが、……おもしろくて」
 自分が、ここに生きているんだと、証を、残せるようで。
 例え次々と降り積もる雪に、埋もれてしまうものでも。その瞬間があったことは、誰よりも自分がよく知っている。
 強い力で、腕を引かれた。窓は堅く閉じられて、暖かい部屋の中。
「……」
「あの、なにか?」
 そのまま、無言で国王は背を向けて、荒々しく扉を閉めた。
 鍵のかかる、音を聞いた。冷たい音に、身を振るわせる。

 次の日、また、熱を出した。


 熱を持ったままの体が落ち着いて。ひとりでうろつけるようになった頃、外からかけられる鍵の音の回数が減った。
 なのでまた、また外に出た。
 今日は、珍しく雪が止んでいた。空にかかった厚い雲は今にも雪が降りそうに厚い。
 ぼけ〜と、していた。すたんと設置してある長椅子に腰掛けた。
 なぜか変わったことといえば、蕗とか、その他もろもろの侍女と、兵士が、なぜかいる。
 あんなに、誰もいないはずの廊下に、うようよとそれはもううようよと……私のせい?
 部屋を出ようとしてまず、上着を着ているのにまた一枚着させられ……真後ろにぞろぞろはさすがに気が引けるのか、こっそり……あの人数でこっそりもない、か。
 ――監視なのか。
 冷ややかに冷たい。
「姫」
 しばらくぼうっとしていると、横から声をかけられた。
「……はい」
 声が裏返った。
「ここで寝るつもりですか」
「……そうかも」
 長いため息をつかれた。
 わかっているつもりでも、ずきりと痛む。どうしてだろう。違う場所に来れば、何かが変わると思い込んでいた淡い期待は。
 跡形もなくて。
 寒さに凍える体は、泣くことを拒否しているみたい。
 悲しいから、悲しいと――言えない。



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