9.仮面の裏側 


 大好きだった刺繍を捨てて、また一人。王の妹君である風花様を、その名で呼ぶ事にようやく慣れて来た。
 恐れ多いのに、あの天真爛漫な明るさに少しずつ解かされている。
 王は相変わらず遠巻きで、遠くに姿を見るくらい。部屋にはほとんどやってこない。変わりに風花が王の様子を伝えている。
 例えば喧嘩したとか、からかったとか、おねだりをしたとか。そんな事。もし私にさらに兄弟、姉妹がいれば――と想像する。
 だけど、蓮花とすら仲良くなれない私にほかに兄弟と姉妹がいても、すべて蓮花のものになってしまいそうだった。
 だめね、と。首をする。どうあっても蓮花のほうが強そうだ。
「輪花?」
「あ、はい」
「どうしたの?」
「いいえ――私にも」
「輪花にも?」
「風花みたいな妹がいたら、よかったのに」
「……変な輪花!」
 いつも通り笑う、その顔。一瞬の間の意味合いには気が付かなかった。



「またね! 輪花!」
「ええ、また」
 それは、きっと、兆しだったのかもしれない。
 風花とお茶をして、彼女が部屋に帰ったあとに気が付いた。晴夏に生息するという鳥の羽をあしらった扇が、落ちている事に。
「これ……風花の?」
 ものを忘れるなど、珍しい。
 彼女も、普通の娘みたいねと笑う。蕗に話を通して、部屋を出る。止められたが――自分で返しに行くと譲らなかった。

 それもまた、大きな大きな期待から。


「あそこかしら?」
 今日は、今度式典があるという事で、いつもより兵士の数が少なかった。それでも風花の部屋に向かうにつれて増えてゆき――
「来春の姫だというから、どんなものかと思えば――たいした事ないのね」
 漏れ聞こえた声に足が止まる。
「お兄様の相手には、ふさわしくないわ。かと言っても、もう一人もどうだか」
 ぐらりと、世界がゆれた。また、比べられている。いや、比べる以前に見放されて、蓮花に期待を寄せられている。
「風花様」
「あの子と同じ“花”名なんて、吐き気がするわ」
 ぐらりと、足元が崩れた。共にいるのは侍女だろうか、ここに王がいたら、もうとても――
 大きなため息が聞こえる。私は息をするのを忘れたように立ち尽くした。
「だって、そうは思わない? あんなの、ふさわしくないわ」
「ですが、王が決めた事です」
「そうね。だけど、これだけは言えるわ」
 立ち去らなくては、と、足を叱咤する。今ならまだ――帰れるかもしれない。何も、知らない自分に。
「どちらかを選ぶとしたら、決まっているの」
 飲み込んだ息は体を突き刺すように冷たく、肺を満たした。




「風花、いるか?」
「お兄様!」
「おっと、勢いがよすぎるだろう」
「ごめんなさい」
 飛び込んできた妹の体を抱きとめる。慣れたものだ。
「ねぇお兄様!」
 ほっておけば矢継ぎ早に話を始める妹のあいてを するべく部屋の中に入り、椅子に向かう。その途中。
「ぁあ風花、これを――」
 懐から取り出したのは、風花がねだるので用意した羽飾りの扇だった。
「……お兄様……それ」
「ぁあ、先ほど、輪花が押し付けて来た。そういえば彼女がここに来ていたのか?」
 いつもおびえた小動物のように下を向いて、こちらを見もしない彼女がやはりぶつかって来た時、彼女の普段の態度からは想像できないほど強く、扇を押し付けてきた。
「輪花が、ここに――?」
「違うのか? あそこのひとつ前の角ですれ違ったぞ」
 風花の侍女の一人が、小さく息を飲んだのが見えた。
「そうなの? でもここまでは来ていないわ」
「そうだろうな。これを俺に押し付けていくくらいだからな」
「実は、彼女の部屋で失くしたものなの」
 正直、あの女と妹だったら妹が大事だった。
「――なに」
「でもいいの。返って来たなら。ぁあお兄様怒らないで、彼女はきっと、魔が差しただけよ」
「いいわけないだろう!?」
「でも返って来たの、少しだけ、彼女に貸してあげたものだと思う事にするわ」



 早足で部屋に帰って来た。蕗が不思議そうな顔をしていたが、無視した。
 必死で足音を消して、立ち去ったのに王に会ってしまった。あそこにいるという事は風花に会うのだろう。そう勝手に思い込んで扇を押し付けてしまった。
 でも、彼が風花に扇をあげたのだから、わかるだろう。
 どうしたの、だろう。
 乾いた笑いが、涙を散らした。

「――か!」
「……?」
 部屋の外から漏れ聞こえた声に顔を上げた。蕗があんなに声をあげるなんて――
「おい!」
「!?」
 蹴り開けられた扉は軋んで音を立てた。まるで、壊れていく過程のよう。
 ずんずんと進んでくる国王の姿に嫌なものを感じて後ずさる。逃げられないのに。
「よくも、風花から扇を奪ったな」
「――っ! ……?」
 おろしていた髪をひっぱられて痛い……違う。
「奪っ、た?」
 誰から? 風花から――何を、……扇を?
 何かが、砕けて、粉々になっていく。かろうじて形を保っていたひび割れた花瓶は、崩れるのを待っていたようだ。
「――いらないわよ! あんなもの!!」
 ばっと手を振り払って、外まで聞こえるほどの大きな声を吐き出していた。はじめて私の暴言を聞いた陛下は――驚いたように目を見開いた。
 息を忘れたかのような時間は過ぎ去って、泣きたい気持ちと怒りで頭がいっぱいで、今度は肩で息をしていた。
「……ふざけるな!」
 私の決別をかき消すほど大きな強い意志に、びくりと震える。「ぁ」と漏らした声がかすれた。
 振り上げられた腕が近付いて、衝撃にすべてが――黒く染まった。



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