10.足元の崩壊 


「……なにも殴らなくてもよかったんじゃねぇか?」
「うるさい」
「かわいそうに殴られたあげく台の角にさらに頭をぶつけたんだろう?」
「うるさいと言っている!」
 しょうがねぇなと、幼馴染の護衛が肩をすくめる。こちらだって、目の前で二度の衝撃に見舞われた女の体が力を失い、動きを止めた。
 ――死んだのかと思った。
 思い出して身が震えた。何を恐れると言うのか、女一人死んだ所で今さらだろう。
「……なんでもいいが、間違うなよ」
「どういう意味だ」
「……なんでもねぇよ」
 歯切れの悪い言葉を残して、護衛は壁際に戻った。


 確かに、悪かったとは思っている。
 だが――


「ねぇ、輪花」
「かざ、はな……様」
「“様”ね。やっぱり、私の話を聞いていたのね?」
「……何も」
「嘘を付くのが苦手なのね輪花。本当、無能ね」
 暴言に驚いて掛布を握りしめた。
 人払いをした私の部屋。頭に包帯を巻いたまま見舞いに来た風花は、蓮花とは違った質の表情で同じように私を軽蔑した声で私との会話を進めていた。
「これ、なんだと思う?」
 そう言って風花が歪んだ口元を隠したのは、あの日、国王に責められた原因の羽根つきの扇。
「あなたが、陛下からもらった扇でしょう」
「そうよ。そして、あなたが、盗んだ、ね」
 パチンと、扇が閉じられた。
「違う!」
 大きな声をあげると、頭がくらくらした。とっさに頭を押さえて呻く。
「あらま、大丈夫?」
「――盗んでない。あなたが、置いて行ったから返しに」
「真実なんて、どっちでもいいのよ?」
「……」
「だって、私の言葉をお兄様が信じて下さるから」
「……帰ってください」
「くすくす」
「帰ってください!」
「泣くほど悲しいの輪花? だけど、私はあなたの事は認めていないわ」
 絶句した私を置いて、私の望みどおりに風花は部屋を出て行った。

 残された私は、声を殺して泣く以外に出来る事など、ありはしないのだ。



 回廊を足早に歩く影がいた。
「おい……おい」
 それを背後から追いかける影。
「おい!!」
 肩を掴んで相手を振り返らせた。
「――! なんだ」
「なんだ、じゃねぇ! さっきからずっと呼んでるだろう!?」
「そうだったか?」
 護衛はため息をついた。
「で、どうだったんだよ? 姫の見舞いに行ったんだろう?」
「引き返して来た」
「引き返し……なんでだ」
「いや……そんな事より……」
「それは最優先事項だろ!? 来春に何か言われたらどうするんだ!」
「もみ消す」
「いやいやいや」
 それだけの力がある事は間違えようがないからこそ洒落にならない。
「とにかく、問題はない」
「それでいいのかよ。また姫はひきこもりだろう」
「――放っておけ、どうせたいした事じゃない」
 氷河は、ふと幼馴染の声音に違うものを感じて首をひねった。それは、善くも、悪くもないが、どこか――何かを――
「わっかんねぇなぁ」
 執務室に帰る国王に置いて行かれた氷河が回廊で頭を抱える姿が見られた。
「……氷河様」
 そこに、控えめに声がかかった。
「――ぁあ、どうだった?」
 抱えていた頭を上げて、命令に慣れた口調で部下に声をかける氷河は、先ほどとは別人だった。
 それは、彼が率いる部下の中でも、闇にまぎれて暗躍する部下のうちの一人だった。
「侍女の行動に裏付けが取れました」
「つまり……」
 はっとした氷河の声が低く、眼光は鋭くあたりを見渡した。
「はい。あの水差しは取り替えられたあとのものです」
「そうか」
 どうしたものかと、考える。真実は時に、必要ないものもある。しかしこれはいつか――知らせねばならないと考えている。
 問題は、いつ、か。
 そして、これではまだ弱いか、と自問する。
「ご苦労。引き続き調査を進めてくれ」
「は」
 あの調子では、話を聞かないだろう。もう少し冷静になるのを待ってからのほうがいいと判断した。

 その判断がもう遅かったのだと、後で知る事になる。




「……輪花は?」
「あの……」
「私の場所を奪ったあの子を出して!」


 もしかしたら、災厄を呼んでいるのは、彼女なのかもしれない。
 彼女が望んで、その地位に就いているのかもしれないと納得させた。
 そうすれば自分のせいではないと、心が箱に鍵をかけるから。



 足早に、揺さぶられる頭を叱咤して走った。誰も咎めはしない。息はもう切れて、胸は激しく鼓動していた。
 いやな、予感。
 叩き付けるように開けた扉の先――
「生きていたのね、輪花」
 同じ顔が楽しそうに微笑んでいた。そのほほえみは他者を慈しむものではなく、いつも私からすべてを奪う――それだった。
「蓮、花……」
「もう晴夏は最悪よ。虫がいっぱい湧いてくるんですもの」
「……虫?」
「そう。だから輪花、あなた晴夏に行って頂戴」
「……いまさら、そんな事……」
 呆れてものが言えなかった。婚姻を結ぶという事がどういう事なのか、わかっているのだろうか。
「ぁあそうそう、あなたは私から地位を奪った最低な娘って事になっているから、せいぜい気を付ける事ね」
「それはあなたでしょう!?」
「どっちでもいいのよ。そんなのは」
 足元に穴が開いたように、落ちて行く。
「せいぜい頑張って、輪花」
 高らかに笑って、蓮花が部屋を後にした。私は膝を付いて、動けない。
 かろうじて顔を上げると、壁に掛けられた鏡の中の自分と目があった。
 昔、誰かが言った。
「大丈夫、私はまだ、笑っていられる」
 だから、大丈夫だと――




「――は?」
「わたくしが蓮花です。輪花に騙されて、晴夏に追いやられて、ここまで来るのに時間がかかってしまいました」
「そんな大層な事を計画しそうな女には見えなかったがな」
「陛下! 騙されてはなりませんわ!」
「そうなのか……?」
 国王が頭を抱えていた。確かに、来春には“一位”の姫である“蓮花”を連れて来るように最初から言っていたはずだが……
「お兄様!」
「ぁあ風花」
「……その方は?」
 謁見中は入って来るなと言ってあるのに、これはもう直す気がないのだろう。いつもの事だ。
「蓮花だ。蓮花、こっちは風花、私の妹だ」
「蓮花と申します。風花様」
「来春の……?」
「はい。はじめまして、蓮花と申します。風花様の高秋でのお噂は、お聞きしておりますわ」
 途端、冷えた空気が降り立った。風花は一瞬青ざめ、そして無理に笑った。
「――歓迎しますわ、蓮花。ねぇお兄様」
 語尾が、震えていないか?
「でもなぜ――蓮花がここへ?」
「それが輪花の策略で晴夏に行っていそうだ。あの女にそんな大層な事が出来ると思うか?」
「心外ですわ陛下。ねぇ、風花様」
「……そうですわお兄様」
「風花?」
「お兄様。順列一位の姫がここにいるんですよ。相応しくないものは――お帰り願わないと」

 ぁあ、そうだと。誰かが笑った。



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