14.再会の心痛 


 穏やかに過ぎて行く時間に、凍えて身動きが取れなくなっていた事を忘れそうになる。
 何も言っていないのに桜が用意した刺繍糸と布に、銀の雪模様を刺繍していた。それを見た桜が烈火のごとく怒って、再び称月に口をふさがれていた。
 これは、このお腹の子の枕とクッションのカバーにするのと言うと。悲しそうに桜が笑った。
 そう、悲しまないで。
 静かに笑った。

 ――大丈夫。大丈夫よ。だって私は――

 わらって……



「姫様が!」
「落ち着いて下さい」
「姫様が泣かないの。あんなに悲しそうなのに」
「お嬢様」
「冬雪国の雪模様を刺繍して!」
 それ以外はいらないと言うようにずっと!
「もっと、蓮華の花や蒲公英や桜や薺や」
「桜」
「何よ!」
「姫にも考えがあるのだから、好きにさせておこう」
「……わかっているわ。でも」
 でも、姫様がとても遠くて、悲しくなるの――

「輪花さまぁ〜!」
「ナズナ?」
「じゃーん! クッションの完成でーす!」
「ありがとう」
 刺繍した布を形に合わせて縫い合わせるのはナズナの得意技だ。
「本当に輪花様の刺繍はきれいです〜」
「ほめすぎよ」
 ふと、小さく動くおなかに手を当てる。せめて、無事に――
「輪花様!」
「どうしたの桜、あわてて」
 らしくなく走りこんできた桜は、言いにくそうに報告した。
 蓮花が。来春に戻って来たと。
「――そう」
 もう、関係ないわ。
 二度と、来春の城には帰らないと、誓った――




 数年後。

「雪華(せっか)様〜!」
「ナズナ、この役立たず!」
「桜さんひどいです!!?」
「うるさい!」
「あ〜二人とも」
「何よ称月!?」
 ぎろりと睨みながら、桜がふりかえった。
「……輪花様が雪華様と散歩に行くと置手紙があったぞ」
「なんですってぇ!!?」



「まぁー」
 小さい手が、服の裾を握りしめている。
「どうしたの?」
「あっちー」
 手を放して、草原の先を指さす。
「いいわよ。でも、遠くまでは行かないでね」
「うん!」
 自分で立って歩くようになったわが子は、外に興味を持ち始めた。自分(母)のいる所を拠点として、あっちに、こっちに向かってゆく。
 自分は拠点だから、ここで待っている。何か驚いたり、怖かったり、面白かったりするとすぐに戻って来る。
「いってらっしゃい」
 微笑んでわが子の冒険を見送る。空の雲が、わが子を追いかけるように流れて行く。
 そろそろ、桜に黙って出て来たのがばれる頃だ。
「怒っているわね」
 だけど、最後には許してくれるんだ。そこに付け込んできた自分がいる。
「桜、ごめんね」
 木陰の下。気の葉を揺らす風が心地よい。暖かな日差しに、ふっと、まぶたが落ちる。



 手を叩きながら歩く子供の髪の色は銀色で、目の色は母親に似ていた。
「あ〜?」
 道のわきに立っていた子供が目を見開いた。向こうから、近づいて来る一行。
「?」
 と、五頭の馬が道を駆ける。あまりの勢いに、子供は後ろにこてんと、倒れた。
「――!」
 先陣を切って馬を走らせていた男が、驚いたように馬の手綱を引く。急な事に驚いた馬が高くいななく。
 続いて――
「う〜」
 驚いてひっくり返った子供が頭を上げる。銀色の髪がさらりと揺れた。――それは、この緑と色とりどりの花々の中で、妙に浮いていた。
「お前……?」
 馬から降りた男が、子供の前まで向かう。大きな人に驚いたのか、子供の目が見開く。その、おもかげが――
(似ている)
 髪の色こそ違うが、男が探している女性に。
「まぁー」
 見た事ない人と、威圧するような空気に耐えられなくなったのか、子供が走りだす。
「おいっ」
 腕を伸ばして首の根っこを捕まえると、声を上げて泣き出した。驚いて手を放してしまう。しかしそこは優秀な護衛が子供を囲むように立ちふさがった。
 目の前が見えていないのか子供は足を進めて、護衛の一人の足に頭をぶつけて転がった。
「まぁ〜〜!」
「どうしますか?」
「いや……道を譲ってやれ」
 こんな子供に――問い詰めるなど馬鹿げた話だ。
 道が開けたのが見えたのか、子供は一生懸命走り出す。ふと、草原の先を見つめて――子供の後を追って、走り出した。


「まぁーー!」
「んっ!? 雪華……?」
 うたた寝の中で、夢を見ていた。それは、なつかしくもどこかさみしい夢で、まぶたに涙が溢れていた。胸の中に突撃してきたわが子に驚いて目を瞬かせた拍子に、零れ落ちた。あわてて拭う。
 わが子はしがみつくように小さな手で洋服を握りしめていて。ゆっくりと頭を撫でた。
「どうしたの雪華――?」
「輪花……」
 忘れられない声に名を呼ばれて、目を見開いて顔を上げた。そこにいたのは息を切らせた――冬雪国王、雪崩。数歩あとに氷河ともう三人。
 ぎゅっと、雪華を抱きしめる腕に力を込めてずりさがった。だけど木の背に行く手を阻まれて、動けない。
 すばやく周囲を見渡しても、ほかに何もない。
 今になって、桜を置いてきた事を後悔しても遅すぎる。
「まぁ?」
 わが子の呼び声にはっとして、息を付いた。一瞬だけ目を伏せて、前を見据える。
「――お久しぶりです」
 雪華を抱き上げて立ち上がる。逃げられるとは思わないが、せめて。
「輪花」
「……失礼します」
「輪花!?」
「姫様!?」
 すがるように名を呼ぶ冬雪王と、桜の声が重なった。
「桜!」
 だっと、走った。すれ違うように称月が、私と冬雪王の間に入り込む。彼は、剣をかまえていた。
「輪花!」
 再度、冬雪王が私を呼ぶ。ふっと目を向けて――真剣な瞳に目が逸らせない。
 冬雪王の護衛が称月に向けていた剣を収めるように彼は言う。しぶしぶ従った護衛を後ろに下げて、彼は丸腰で称月の前に立った。
「輪花、せめて話を――」
「姫様があなたと話す事などありません!」
 桜が、さらに間に割って入った。もう、王の瞳は見えない。
「――っ」
 雪崩がすがるように伸ばしていた手が、力なく落ちた。
「――輪花。……すまない」
 静かな声に、はっとした。
 そっと立ち位置をずらすと、王が地面に膝を付いた。
「許されるとは思っていない。だが、――謝りたい」
「……なにに、対してですか」
 声が、震えた。
 言葉に重みを噛みしめるように、王も震えていた。
「輪花……お前を疑っていた。それに――せっかくの刺繍を台無しにした」
 あの時、近づいたと思った心が、引き裂かれたあの瞬間。
「もう、いいんです」
 あれ以来。怖くて蓮華が刺繍できない。あの時のように簡単に、引き裂かれそうで。
「輪花」
 動かない王の傍に、そっと足を進めた。「姫様!」と声を上げた桜を、称月が引き留めた。称月も剣を戻している。
「もういいんです」
 手が届かない距離で足を止めた。顔を上げた王の瞳が、私を映していた。
「輪花――会いたかった」
 優しい言葉に驚いて目を逸らした。
「――嘘」
「……信じては、もらえないだろう。わかっている。それだけ、お前を傷付けた」
 王は、悲しそうに言った。
「すまなかった」
 ぱたりと、涙が落ちた。溢れ出す涙は雪解けの川に似ていて。とどまる事を知らなかった。
「……っ」
 雪華を抱き上げたまま、自由になる片腕で涙を拭う。でも足りない。嗚咽が漏れて、止められない。
 はっとした王が立ち上がろうとする気配を感じて、体をこわばらせた。それに気が付いたのか、王は再び膝を付いた。
 私は、溢れる涙を袖で拭って、嗚咽を必死に噛み殺した。
「まぁー」
「……雪華」
「まぁ、かなしい?」
 泣いていると僕も悲しいと、雪華が顔を歪ませる。
「ちが……ちがうのよ、雪華……っ」
 必死で、違うのだと伝えたかった。あなたが悲しむ事じゃないと伝えたかった。そうしないと、生まれて来た事を否定してしまう。
 だけど――止められない。
 かくりと、膝が崩れた。あわてたように周囲の気配が揺らぐ。一番近い所にいた冬雪王が、抱きとめてくれた。
「輪花」
 ぁあだから――そんな風に呼ばないで。
 また必要とされているのだと、勘違いしてしまうから。
「……ら、――桜っ!」
 必死にこぼした名前、突き飛ばされるように冬雪王が離れて、桜が名を呼んでくれる。すがりついた。


 侍女にすがりついて、連れて行かれるその姿を追っていた。一度抱きしめた体のぬくもりが腕に残っていて。目の前にいるにも関わらず遠ざかってゆく。睨み付ける侍女の視線が痛い。
 想像していたのと比べ物にならないくらい。心が痛い。
 会えてうれしい喜びは、拒絶に引き裂かれた。追い求める姿が見れた事の安堵は、この手に入らないもどかしさに変わる。
「輪花」
 ――会いたかった。
 蓮花を追い出して、何を思ったのかすぐに輪花を探した。氷河は呆れたが、付き合ってくれた。
 とにかく、謝りたかった。どれだけ嫌われていても、きっと受け入れてくれるとうぬぼれて。


「消えて下さい」
 侍女の一人はどうやら有力者の娘らしく、輪花を休ませた後屋敷の前で待っていた自分の前に立ってそう言った。辛辣に言い切った。
「断る」
 だが引けない。
「――このっ!」
 侍女が手を振り上げた。護衛が揺らぐ気配を感じたが、殴られるのは覚悟の上だったから手を出すなと言ってある。
「お嬢様」
「なによ! 邪魔しないで称月!?」
 と、先ほど剣を向けて来た男に羽交い絞めにされている。
「お嬢様。あなたが憎しみを背負ったら、姫様が嘆きますよ」
「――っ! じゃぁどうしろって言うのよ!?」
「それは、姫様が決める事ですよ。例え――辛くとも」
 称月の言葉が、雪崩の胸をえぐった。



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