15.未来の手紙 


「……なぁ」
「なによ!?」
 屋敷の中に案内された事を、感謝すべきなのはわかっている。だがどうしても気になっていた。
 毒でも盛ってそうな勢いで出て来たお茶は、まだ湯気が立ち上っている。
「……あの、子供は――」
 侍女が、切れた。


「あんたになんか教えないわ!」と、盛大に叫んだ侍女が荒々しく部屋を出て行った。投げつけられたクッションから顔をのぞかせて、ため息を付く。
「……くくっ」
「氷河、笑うな」
 威厳も何も形無しなのは、自分がよくわかっている。
 長椅子に背を預けて、目を閉じる。浮かぶのはかつてと同じ瞳、肩口で切りそろえられた髪、柔らかさを帯びた体――それから、それから――
「もう、いいんです」と言った、あの、顔。
 思い出して、自己嫌悪に陥る。そこまで、そんなにまで嫌われていた。それほどの事をした。
 心のどこかで思い上がっていた。きっと、許してもらえると――



 ふっと目を見開いた。見上げた天井はいつもと同じで、夢を見ていたように思う。だけど、現実だと首を振る。
 隣で眠る雪華の寝顔が愛おしくて。少しだけ微笑む。同時に悲しむ。
(この子を、慈しめるようになったのに)
 お腹にいるうちは、愛せるか不安だった。慈しめるか不安だった。だけどそれは、いつかし愛しさに変わって――
 なのに。
(どうして)
 どうしていまさら。出て来たのだろう。現れたのだろう。そして、謝ったのだろう。
「……ふ……」
 涙が、また溢れた。どうしたらいいのだろう。どうして、放っておいてくれなかったのだろう。
 もう、戻れないのに。



 翌朝、泣きはらした目もそのままに着替えて、心配する桜に笑って歩いた。目的地は、冬雪王のいる客室――
 部屋の外にいた護衛は膝を付いて、私を迎えてくれた。ものものしい雰囲気に雪華が服を握る手に力が込められていた。
 ゆっくり微笑んで、開かれた扉に進んだ。私と、雪華だけで。
 閉じられた扉を見つめて、桜は指を噛んだ。


「お早うございます」
「――お早う」
 先触れを伝えていたからか、王も着替えて私を待っていた。椅子に座るよううながされて、首を振った。
 部屋の中には、私と、王と、あの幼馴染と言っていた護衛だけ。
 ここは来春で、温かいはずなのに、指先は白く冷え切っていた。ゆっくりと王の傍に向かう。王は、一歩も動かなかった。
 目の前に、立った。
 数年ぶりに見る王は、きっと誰が見ても認める美丈夫なのだろう。
 この子の、父親としても。――そっと目を閉じて、雪華の髪に口を付けた。それから、前を見据える。
「……この子は、あなたの子です」
「まぁ!」
 抱いていたわが子を王に差し出した。伝えた言葉に驚いた王が、そっと受け止める。いやだとぐずった雪華の手を握った。
「輪花……?」
 意図がわからないと、王が目を瞬かせた。
「この子を、雪華をよろしくお願いします」
 頭を、下げた。
「輪花!?」
 伸ばされた手が届かないように距離を取る。背を向けて扉に向かう。
「まぁ!?」
 何かを感じ取った雪華が呼ぶ。びくりと震え、立ち止まる。けれど――振り返れない。
「さようなら、雪華」
 ぁあ、駄目ね。私は――
「輪花!」

 雪華(わが子)を、愛してはいけないの……?

 いいえ、犠牲に、したのね……




 部屋を出て、桜に声をかけられた所までは覚えている。けれど気を失うように倒れこんで――目を覚ましたのは、三日後だった。

「……雪華」
 布団の中で、天井を見上げたまま涙を流す。
「姫様」
 目覚めた事を知った桜が、部屋の中に入ってくる。
「……桜。わたし……」
「姫様」
 てっきり咎めるかと思っていた桜が、笑った。私は驚いて、何事かと口を――
「まぁ!」
 寝台ににじり寄って来た雪華の姿に、息を飲んだ。
「せっか……?」
「まぁ〜」
 小さな手を伸ばしてくる。恐る恐る掴むと、きゅっと、握り返された。
「雪華……どうして……?」
「冬雪王は帰りました。雪華様を置いて」
「……嘘」
「「すまない」と、聞き飽きた言葉を言伝られましたわ」
「王が……」
「姫様。わたくし、あの王の事は嫌いです。でも、輪花様を傷つけた事を謝罪して、何も奪う事無く帰った事は評価してもいいですわ」
「……桜、わたし」
「いいんです」
 桜は、私の言葉を切った。
「私は輪花様が幸せなら、それでいいんです」
 どこか、吹っ切れたような桜の顔に安堵して、かまってとせがむ雪華に声をかける。扉の外で、ナズナが朝食をひっくり返したらしく派手な音が立った。
 鬼のように顔を歪ませた桜は雪華に「こぁぃ」と言われて何事もなかったかのように笑顔で、扉の向こうに姿を消した。
 その向こうで何が起こっているか、聞こえないように雪華の耳を塞いだ。
 それから、窓の外を眺める。

 あとで、便箋をもらおう。
 雪華を返してくれた事に、ありがとう。と。それから、蓮華の花を刺繍しよう。雪模様と一緒に刺繍して、贈ろう。
 ここは来春。一年中が温かく。穏やかな気候。
 海の向こうで、雪に覆われた冬雪国では、きっと彼が、寒さに震える人を救おうと政務に取りかかるのだろう。
 ……もう少し、雪華が大きくなって。もし彼が――

 待っていて、くれるなら――



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