16.開花の一輪  


「母上」
「雪華、似合うわ」
「ありがとうございます」
 もう自分の背を越えた息子を褒めると、うれしそうに笑った。そこは昔と変わらない笑顔で、うれしい。
「――本当に、いいんですか?」
 そして、昔私と冬雪王の間に起った事を、彼はぼんやりと覚えている。
「いいのよ。雪華」
 いまさら、冬国に行った所で、何が変わるのだろう。拒絶したのは自分だ。
 虫のいい話だ。
 しかも、雪華をダシにしている。
「行きましょう」
 彼が、違う女性を連れていれば、いい――
 そう思った。


 思っていた通り、違う女性を連れていた。
「母上……」
「なぁに、雪華?」
「……」
 辛そうに、雪華が身を寄せて来た。抱きしめられていた。ぁあ、泣いていたのだと、自覚した。



「どうなの? 雪崩」
 母親面する叔母の声に、うんざりと首を振った。
「あなたはもう、国王としての自覚が――」
「霙(みぞれ)様。それ以上は言葉が過ぎます」
「氷河! あなたが付いていながら――どうして」
 氷河が怒鳴られているうち――いけにえとしておいて来た。

「っ雪崩ーー!!」

 気が付いた叔母の怒鳴り声が漏れて来た。

「はぁ」
 自室に入り。鍵をかけた。すれ違った従者は苦笑いだった。
 寝台の下。隠し棚を開けて、一枚の布を取り出す。
 そこには、我が国の雪模様と、来春の蓮華の花が重なるように刺繍されていた。蓮華の花は控えめに、雪模様は一枚の布を覆い尽くすように。
「輪花……」
 そっと、唇を寄せた。まぶたを閉じれば、思い浮かべるのだ。その姿を。
 最後の逢瀬から、数か月に一度、手紙のやり取りが続いていた。最初の手紙に長々と謝罪を綴ったら、返信がしばらく来なかった。
 本気で頭を悩ました。
 それから、短いやり取りだけが続いていた。ほんの、一言。



「母上、母上!」
 少なからずショックを受けた母親を揺さぶる。覚悟はしていただろうに、震えていた。
「……せっか……?」
「大丈夫ですか?」
「……ぇえ。もう帰りましょう」
「――っ」
 淡々とした言葉に、あれが父親だと思って尊敬しようとしていた自分に怒りを覚えた。
「母上、まだ船は出ません。ひとまず宿屋で休みましょう」
「そう、ね」
 宿の部屋に母親を寝かして、鍵をかけた。置手紙を残して。
(――殴る)
 雪華は決意を新たに、走り出した。



「もう、なんですの!?」
「とにかく、陛下に王妃を押し付ける真似は止めてください!」
「何言ってますの! もう何年前の話だと思っているの!?」
「誰か、馬車を入り口に回してくれ」
「氷河!」
「霙様、一度お帰り下さい。ここにいられては陛下のお心を乱すため害にしかなりません! ――失礼」
 氷河は霙の腕を掴んで、王城の入り口に向かった。
「お放しなさい! 氷河!」
「口も黙らせましょうか?」
「――っひ」
「まったく、わきまえてほしいです。しかも、王の女性関係はまだ」
「過去の女など、どうにでもっ」
「――?」
 本気で殺してくれようかと氷河は目を細め、腕を動かした。が、門の外が騒がしい事に気が付く。
「霙様を頼む」
「はっ!」
 控えていた部下にうるさい女を押し付け、馬車に押し込む。さて、開かない門の外で――
「このっ放せ!」
「うるさい! 黙れ小僧!?」
「どっからやってきた!?」
「うっせぇ! いいから国王を出しやがれ!!?」
「何をしている!」
 鋭い声で叱咤した。――そこに――
「……雪華、様?」
 見間違う事ない。かつて、幼い姿を見たあの面影の残る顔。
「だれだ? あんた?」
 名前を呼ばれて、雪華は不機嫌そうに問いかけた。
「――王に、伝えろ。部屋の鍵がかかっていてもかまわん! こじ開けろ! 輪花様が来ていると伝えろ!」
「――へ?」



「ん……雪華?」
 薄暗い部屋の中、呼び名に答える声はない。窓のカーテンを開けると、机の上に走り書きが置いてあった。
「食べ物なんて……」
 買い出しに行く必要など、ない。何も食べたくない。ぁあ、拒絶したのは自分で、待っていてくれるかもなんて、ただの思い込み。
 あの時、雪華を返してくれた。その一時の温情に、すがっているだけ。
 そっと、懐から手紙を取り出した。謝罪で埋め尽くされた最初の手紙の返信は、苦しいほどの思いに満ちていて悲しくなる。
 だけどそれは最初だけ――あとは事務的な返信が返ってくる。
(きっと、迷惑なのね)
 もう、新しく妃を迎えるのだろう。
(ぁあ)
 あの時、捨てたのは私なのに。拒んだのも私なのに。――こんなにも。こんなにも苦しいなんて。
(また、桜に怒られてしまうわ)
 今回の事も、桜とナズナには秘密だ。雪華にお願いしたら、すべてを手配してくれた。
(もう、最後)
 封筒ごと、手紙を引き裂こうと力をこめて――
 がちゃりと、鍵が回る音がした。
「雪華?」
 おかえりと、続けようとして、口を閉じた。
「輪花」
「……?」
 廊下の明かりがまぶしくて、見えない。影になって部屋の中に入って来たその人は――
「王……」
「輪花」
 とっさに、手紙を握りしめた。部屋の中に入った王は扉を閉じて、こちらに足を向ける。
「――っ」
 後ずさった。ぴたりと、王の足が止まる。
「なん、……で」
「輪花」
「呼ばないで」
「輪花――すまない」
 なにを、と口を開く間もなく、近づいて来た王に抱きしめられた。
「もう、二度と放さない。例え、君が俺を――憎んでいたとしても」
「わた、し……んぅ」
 否定の言葉は聞きたくないと口づけられて、飲み込まれた。
 執拗なそれに意識が持っていかれて、もうろうとする。足に力が入らなくてすがりついた。腕に力が入ったのが分かったのか、強く抱えられた。
「輪花……輪花」
 合間合間に何度も何度も呼ばれて、それに答える暇も、ない。
「――っ」
 ようやく解放された時、倒れこむように寝台に押し倒された。
「……どうして……」
「雪華が来た」
「――雪華!」
 わが子の名前に、王の腕をすり抜けて走った。



 閉じられた扉を見つめたまま、雪華は動けなかった。この中で何が起きているのかはわからない。ただあの王の様子なら、きっと母は幸せになれるだろうと、うれしさと寂しさを感じていた。
 そして、殴り損ねた。
「雪華……王子」
 さっき、自分の名を呼んだ男性がそっと名を呼ぶ。
「止めて下さい。俺は、母上の子供です」
「ですが、私には王のお子です」
「……ですから」
「雪華!?」
「母上!?」
 扉が突然開いて、母上が出て来た。ちょ、ま、母上前!
「雪華ぁ」
 胸元がこぼれそうなぎりぎりの格好で息子に抱きつかないで下さい! しかもなんで涙目!?
 部屋の中をのぞくと、――ひぃ!? なんか睨まれてる!?
「あの〜母上?」
「……ぐすっ……なに?」
 上目使いで見上げないで下さい!?
「父上が怖いので、しばらく出てこないで下さい!」
 返せと言わんばかりに手を広げている父親に向かって、母親を差し出す。
「雪華!」
「あとで、迎えに来ますから!」
 明日にでも。
 だから、おとなしく父上に従って下さい。

 変だな。あったら殴り倒そうと思っていたのに、もうそれも出来そうにない……



 ぱたんと、再び扉が閉じた。
「雪華!」
「輪花。心配しなくても彼は生きている」
「……」
「彼は……私達の子供だろう」
「あなたの子だわ」
「心配しなくても、輪花から取り上げたりはしない。一度、返しただろう」
「それは……」
 雪崩が、背後から輪花を抱きしめる腕に力を込めた。
「輪花、会いたかった」
「……嘘」
「輪花」
 どうしたら、信じてもらえるのだろうか。雪崩は途方に暮れた。
「だって、あなた、きれいな人と一緒だったじゃない」
「――いつだ」
「大広場で」
「……あれは叔母だ……勘弁してくれ。あんな性悪女が好きだと思われたくない」
「だって」
「輪花。もういいだろう?」
 雪崩は、輪花を抱き上げて寝台の上に座らせた。
「輪花。――愛している」
 そっと、スカートの裾に口を寄せる。輪花は驚いて、声も出ない。
「そんな所……」
「輪花、お前のためなら惜しくない」
「嘘」
「まだ、信じられないのか?」
 そういって、王は私に布を握らせた。
「これ」
「お前が、贈ってくれたものだ。――美しいな」
 引き裂かれなかった事に、ほっとした。
「かつて、お前にした仕打ちを考えると夜も眠れない」
 王の声と、その手が、震えていた。私は驚いて――口を開いた。
「私……あなたがほかの人といる所を見て、悲しかったの」
 王が、うれしそうに笑った。
「どうして、うれしそうなの?」
「嫉妬してくれたのだろう?」
「違うわ」
「違わない」
「ちが」
「違わないだろう?」
 静かに、ほほ笑まれた。――もう、声もない。
「……好きよ」
「愛しているよ」
 嘘と口を付いて出そうだったのに、再び口づけにふさがれた。
「……っいや」
「嫌なのか……」
 合間を縫って出た否定の言葉に、王が固まった。その隙に距離を取る。
 嫌に決まっている。ここはただの宿屋で、外には雪華がいて、きっと護衛の人もいて――
 かっと顔が赤くなる。
「輪花」
「嫌」
「……輪花」
 皇帝が伸ばした腕が、落ちた。
「……ならば、城に来てくれるか?」
 そうきたか。
「いや、城に帰ろう」
 何かを決意したらしい王が突然、私を抱き上げた。
「え?」
「ひどい仕打ちをして、二度とこの手には抱けないと思っていた。けれど今まで待ち続けた。城にいてくれると言うなら、気が済むまで待とう」
 もう、逃がさないのだから――
 そう、王が言った気がした。
「っ嫌!」
「輪花」
 否定の言葉が口をついて出て来て、王は怒りと悲しみが混じったように途方に暮れた表情で私を見た。
「輪花――ならばなぜ来た――? 二度と、目の前に現れないならば、もうこちらから出む事は……できなかったのに」
「……それは」
 それは――
「……本当に、私の事を?」
 まだ疑うかと、王がいらだちを露わに呟く。ぎくりと身を震わせ、どうしたらいいのかわからなくて涙が流れた。その震えが伝わったのか王が私を見る。驚いたように気配が慌てて、そして、私を再び寝台の上に座らせる。
「――輪花」
 ぁあ、こんなにも今は優しいのに――
「すまない。もう忘れていた」
 そして、後悔したように膝をついて、顔を伏せる。目が合わない。
「……ひどい事を、した。深く心をえぐった。それが一時の逢瀬で帳消しにならないな……」
「………」
 会いたい、だけど。信じたい、けれど――
「だい、じょうぶ」
 だって、あなたはあの刺繍した布を持っていてくれた。大広場で共にいた女性は叔母だと言った。そして何より、雪華を――
「私、もう一度、信じたいの。あなたを」
「そう、か」
 王が、笑った。
 驚いて見惚れていると、手を取られた。
「疑うなら何度でも伝えるよう。もう決して、一人にはさせない。だから輪花。共に――生きてくれるか? ……あの城で」
 “あの”城には、あまりいい思い出はない。でも。
「はい」
 少しずつでいい。進もう。
 何かを恐れるように、苦しむように眉間にしわを寄せている王を、そっと腕を伸ばして、引き寄せた。温かさに安心して、とてもとても緊張していた事に気が付いた。触れているだけだったのに、王がきゅっと、抱きしめて来た。強い力。でもきっと、抵抗すれば簡単にほどけるのだろうと思う。
 互いに、緊張していたのだろうか? そう思って王の顔を覗き込んだ。すると目がった彼がとてもうれしそうに笑って。
 私もつられて微笑んだ。そしてそのまま、ゆっくりと目を閉じた。


おしまい



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