唯一の存在  

 兵士が部屋の中に飛び込んできて、首を切ろうかと怒気を露わに――
「輪花?」
 出てきた名前に驚いて、城門に向かった。

「あ?」
「お前は……」
 見間違えるはずも、忘れるはずもない。輪花の面影を持つ、わが子。
「お前か!」
「輪花はどこだ?」
「うるせぇ! 母さんを捨てて違う女といるくせに!」
「ふざけるな!」
 食って掛かる言葉に、一括した。
 怯え方が輪花と同じで、自己嫌悪に陥った。違う、そうじゃない。そうじゃないだろ!
「……誰とも関係はない」
「……本当なのか?」
「雪崩! 何をしているの!?」
「伯母上。まだいらしたのですか?」
 わが子が何かを誤解している。それが本当かどうか、間違いかもしれないと思い始めていると言うのに! なぜ邪魔をする!
「なんですって!?」
「伯母!?」
 わが子が、何を驚いたのか伯母上を指さして口をぱくぱくさせている。
「ぁあ、せっ……」
 “雪華”を、呼んでもいいのだろうか。許されるのだろうか。しかしわが子も、何か考えている。とりあえず伯母を馬車に放り込み、走らせた。まったく、邪魔を……
「……母さんの事、まだ好きなのか?」
「――ああ」
 それも、許されるのだろうか。
「……俺は、もう母さんが泣かないなら、それでいい」
 ぁあなんと――難しい事だろう。


 宿屋で輪花が嫉妬してくれたのだと思うと、うれしくなって。待ち続けたかいがあるとうぬぼれて、勝手に話を進めて、そして、泣かせていた。
「――輪花」
 ぁあさっき、わが子に言われたばかりではないか。何度、その心を苦しめたのだろう。
「すまない。もう忘れていた」
 こちらの都合で、振り回してはいけない。さっきも言ったではないか。目の前にいてくれるなら、もうそれだけで――待てるだろうか?
 いかん。これではまた同じだ。
「……ひどい事を、した。深く心をえぐった。それが一時の逢瀬で帳消しにならないな……」
 浮かれていた。――それほどまでにうれしかったのだ。
 だがそうして、かつて、その心を踏みにじったのだ。重なり合った小さな疑惑に心を取られて、それが本心なのだと決めつけて。
「………」
 沈黙が痛い。数刻前に「好き」と言ってくれていたのに、そんな事はなかったかのようだ。
「だい、じょうぶ」
 もう二度と会う事は叶わないかもしれないと絶望的な事を考えていた。そんな時に輪花は言った。
「私、もう一度、信じたいの。あなたを」
「そう、か」
 ほっとして、ほほ笑んでいた。許された訳じゃない。過去が消える訳じゃない。だけど今この瞬間は、自分を信じてくれる。その、決して花の咲かない雪原の地に一輪だけ花が咲いたような奇跡に。
 固く握りしめられている手を取って、握った。
「疑うなら何度でも伝えるよう。もう決して、一人にはさせない。だから輪花。共に――生きてくれるか? ……あの城で」
 侍女の行動の原因は、どこか不信を抱いていて、接し方を決めかねていた自分にある。彼女が王妃なのだと、今なら宣言できる。
 最初から、はっきり認め、それ相応の対応をさせるべきだったのに。
「はい」
 苦しみの対象でしかないだろう城を、引き合いに出したのに。輪花は静かに、頷いた。そっと伸びて来た腕が背中に回るのを、したいようにさせていた。
 心地よいぬくもりに、腕を伸ばしてしっかりと抱きとめた。逃がしたくないけれど――手の中から飛び立つのを引き留める権利などない。
 輪花が顔を覗き込んできた。抱きしめて放さないのに、もう否定の言葉は出てこない。うれしくて、ほほ笑んだ。すると――笑ったのだ。
 冬国から雪解けの冷たい水が流れる中、暖かな日差しに咲くと言う来春の花のように。

 しばらくして、抱きしめていた体から力が抜けてもたれかかって来た。驚いて肩を掴むと、静かな寝息に息をつく。気が抜けたのだろうか。
 本当は、城に連れ帰って――
だがと首を振る。
 輪花の意志で、城に入ってもらわなければ困るのだ。眠っている間に運び込んでしまう訳にはいかない。
 寝台に寝かしつけて、掛布をかける。頬に手を当てて、ため息をついた。
 耐えろ、耐えるんだ。さっき自分で輪花にそう言っただろう?
 意に望まぬ事は、しないと。

 もう目の前にいない人を思うのと、目の前にいながら何もできずその姿を目に映すのは、いったいどちらがましなのだろうか。

 ――いや、そう悲観するものでもない。

 少なくとも彼女――輪花自分と共に、いてくれるのだから。

 大輪の花と小花が咲き誇る花畑の中ではなく、雪に埋もれた静かな雪原の真ん中に奇跡のように咲く、一輪の花のように。




 雪華の弟妹  

 母が妊娠した。
 もう、驚くほど子供でも嫉妬するほど子供でもないと思っている。
 だけど、それが双子だと聞いて驚いた。

「母さん。出産は来春でしなよ」
 わざわざ大事な体をこんな寒い国で過ごす必要はないと思う。
「雪華」
 白い布に刺繍をしていた母は驚いたように声を漏らした。
「父さんが説得できなければ今度は冬雪から来春に連れて行くよ」
 あの時と逆だねと、笑って見せる。
「ありがとう雪華。でもいいのよ」
「だけど、ここじゃ寒いだろう? それに一人ならまだしも双子だなんて」
「いいの。本当はそうしたほうがいいだろうって、とてもとても悩んでいるのは、あの人なのよ」
 驚いた。何って、この母を外に出そうと考える父に。
「嘘だ」
「嘘じゃないわ」
「じゃぁなおさら来春に行こうよ。桜と称月の子にも会いたいよ」
「如月(きさらぎ)に?」
「うん」
「そうね。会いたいわ――でもだめ」
「母さん」
「もう、だめよ雪華。こんな事を話していたら、お父様がここまで来てしまうわよ」
「どこまで過保護なんだよ」
「輪花!」
 って来たぁぁぁあああーーーーー!!
「……どうされました?」
 母さんも驚いている。あれは、たぶん本当に来た事に驚いたんじゃなくて、自分で言った事がそうなって驚いてるって顔だ。
「いや……それは」
 そして、父さんは言葉に詰まった。そりゃそうだ。昼下がりに妻と息子の会話を盗聴していたなんて、言えるか。
「………お前も、出産は来春のほうがいいと思うか? 雪華?」
「俺!?」
 って俺にふるか!?
「雪華が困ってしまうわ」
 母さんが助け船を!
「……すまない……だが……」
 父さんの言葉の歯切れが悪い。すると母さんは“だっこ”とでもせがむ様に父さんに両手を伸ばした。
 父さんが見ていて面白いように固まった。
 そして、諦めたように母さんを横向きに抱き上げる。母さんはそっと腕を父さんの首に回していた。
「大丈夫です。お医者様もどちらでもいいとおっしゃいましたし」
「だが……」
「お気持ちだけもらいますわ」
 父さんは恐れていたんだ。来春に行って、帰ってこないかもしれないと二度と会えないかもしれないと、再び引き裂かれる事が。
「だから、いいんです。この話はおしまい。ねぇ雪崩。雪華」
「ぁあ」
「はい」
「二人も家族が増えるなんてびっくりしたわ。楽しみね」
 にっこりとほほ笑んだ母の顔はもうすっかり産まれる双子の母の顔で――柄にもなく嫉妬した。産まれてくる二人の“吹雪(ふぶき)”と“美雪(みゆき)”と名付けられた。弟と妹に。




 次男の誤解  

「ぅわーん!」
「どうしたの? 美雪?」
 涙を流して、駆け寄ってきた小さな娘に声をかける。抱きしめていたぬくもりはどんどん大きくなって、抱き上げる瞬間が大好きだ。
「吹雪がいじめるのー!」
「そう」
 ふと扉の外を見ると、その吹雪が雪華にこってり絞られていた。
 雪華は常に私に対して、「父さんは過保護だ」と言うけれど――美雪に対しては雪華のほうが過保護だ。
 きっと泣かせてしまった事は悪かったと、吹雪は美雪の後を追って来ていたはずなのに。
 ぁあ、泣きそうに目を見開いて、吹雪はたっと、走り去ってしまった。満足そうに頷いて、雪華が部屋に入ってくる。
「美雪。ちょっと雪華お兄ちゃんと遊んでいて。雪華、美雪をお願い」
「え?」
「母さん?」
 ふふふと、笑って、部屋を出る。変なの? と首を傾げながらも、きっと二人は仲良く遊ぶだろう。問題は吹雪だ。


「う〜」
 小さく泣きながら、吹雪は廊下を進んでいた。いつもいつも父と兄に甘やかされる妹をちょっと驚かせようと、晴夏に生息すると言う虫の標本を見せただけなのに。
「兄なんて嫌いだ……」
 さすがに嫌がったので、悪かったと思ったのに。なのにあんなに怒らなくてもいいじゃないか。謝ろうとしていたのに。
 本当は美雪が悪い時だって、吹雪が多く怒られるのに。
「うっ……え」
「吹雪?」
 父の声がした。
「何を泣いている? いつもいつもそうやって泣いてばかりだな」
 悲しくなった。
「う……ひく」
「なぜ……」
 ぁあやはり父は、優秀な兄と快活な妹が好きなんだ。僕は――
「なぜ泣く!?」
 怖い!
「吹雪、ここにいたのね。あなた。そう怒鳴っては駄目」
「――すまない」
「おかあさん」
 母がいる時はこうやってすがれる。でも母の周りはいつも雪華兄と美雪がいて――
「お母さん……」
 ぎゅっと、しがみついた。
「吹雪。ごめんなさい。お父様は決してあなたの事が嫌いになったのではないのよ。ただ、――あなたが泣いていると自分が悪いのかとお父様は自分を責めてしまって、どうしたらいいかわからなくて困ってしまうのよ」
「……ひくっ」
 変な事を言われた。
 驚いて涙が引っ込んでいるうち。母は父をきっと見上げた。
「あなた。泣いている時に責めては駄目です」
「すまない。そんなつもりじゃ――」
「わかっております。私のせいなのは」
 父と母の間に、奇妙な沈黙が下りた。昔、いろいろあったって、噂で聞いた。あくまで噂で、兄にそれとなく聞いてみると、きっといつか、話してもらえると言われた。でもそれは、今じゃないんだとも。
 と、母が抱きしめてくれる。
「吹雪、本当は謝りたかったのよね。きっと、泣かせるつもりじゃなかったのよね」
 どうして母は――わかるのだろうか。
「雪華もお父様と同じで、思う事に一途なの。いい時と悪い時があるのだけれど」
 ぐ、と父のうめき声が聞こえた。かなりの衝撃を受けているのではないか。
「でも、ほら見て」
 言われて、顔を上げた。
 立ち尽くす父の後ろには数人の兵士がいた。そういえば、今はまだ執務と呼ばれる仕事をしている時間のはずだ。
「泣いている吹雪が気になって、仕事にも戻れないって顔をしているわ」
「輪花!」
「声を荒げない」
「――っ」
「ほら、お父様も、吹雪の事が大好きなのよ」
「……本当?」
 本当に、本当?
 そうよとお母さんは笑って、手を握ってくれた。その視線が動くのを追って、お父さんと目があった。
「本当だ。――ほら、行くぞ」
 抱えあげられて、お父さんの肩に座った。肩車されていた。お母さんの手は離れて、お父さんの頭の上に手が置かれていた。
「そうだわ。中庭でお茶にしましょう」
 お母さんがいい事を思いついたと手を叩く。
「執務中なんだが……」
「あら? お茶の時間をさぼりの口実に使わないで下さい」
 ち、とお父さんが舌打ちをした。どうあってもお父さんは、お母さんには敵わないって、兄が言っていたのを思い出す。
 あとで覚えておけと、お父さんが呟いて、お母さんの顔が一瞬ひきつった。二人の間の取り決めに、よくわからないと首を傾げる。
 そのまま中庭で飲んだお茶とお菓子はおいしくて、途中で雪華兄と美雪が母さんを独り占めしても、悲しくはなかった。
 お父さんもお母さんも、大好きだから。



おしまい



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