『何を泣いている』
 そう問いかけた。
 肩を震わせたワカナはこちらをふり返って、目を丸くしたのだ。またしばらく涙を流して、開いた口を一度塞いで、こう言った。
『泣かない――あなたの代わりに』
 彼女が本当に俺の悲しみを理解していたとか、そんなことはどうでもよくて。ただ意見も聞かず連れ帰った。よくよく話を聞き、流れる波動が違うことに狂喜した。
 王になれば、異世界人をめとることができる。
 王でなければ、できない。


「まず叔父には合理的な方法で王座を退いてもらい、王冠を頂く参段がついた頃。ワカナの妊娠が発覚した」
 狂喜が狂気に変わった。
「確認を怠った自分を殺したくなる思いだった」
 頭を撫でる手は変わらないので、今度は、そこまで恐怖を覚えなかった。
「どうしたら負担が一番軽く、子を流すことができるのか、そればかり考えていた」
 抱き寄せた存在が、少し震えた。自然と力が入りそうになるのを抑え、頭を撫で続けた。
「時間が過ぎるだけ不利だと言うのに。事実を告げるよりも先に自覚した若菜は、帰ることは難しいと考えていたのか、「帰りたい」とは言わなかった。ただ、「会いたい」と。――それから覚えた帰館の魔術はひどく難解で、確実性が高まるまでさらに日を費やした」
 ワカナはよく歌を歌っては、聞かせているようだった。
 そこだけは、入りこめない空間だった。
 もう涙を流すことはなかったが、歌い終わった姿は、どこか、ひどく、さみしそうで。
「対象者がいるうちに、呼び込みの魔術と水鏡の魔術を同時修得して、ワカナを帰館させた。――ずっと見ていた」
 意味が分からないと、首を振る。
「ずっと、水鏡に映して見ていた。お前達、家族の様子を」
 何度も、手を引こうと思ったのだ。言葉がわからずただそこにある幸せを見せつけられて、何度も水盆を叩き壊した。
「そして、あの日――」
 言葉がまた途切れたので、顔を上げた。金髪はここまで来たら、仕方ないと言うように息をついて。続ける。
「あの「葬式」と呼ばれる日、呼び込みの魔術を使いワカナに会いに行った」
 衝撃が走る。ママと金髪の関係は、終わっていなくて、はじまっていたなんて。
「当然断られたし、夫がいなくても愛情を注がれる唯一の存在には変えられないと言われた。どうして泣きわめかれてもあの時殺しておかなかったのか何度も後悔した。過ぎたことを後悔し続けながら、それから、何度も、足を運んだ」
 ある日、ワカナに求められた時、傍にいてやれないのはもう嫌なんだと思い知ったのだ。
「だから連れてきた。ワカナも、拒みはしなった」
「……知ってる」
 ママは、また自分を愛してくれる人がいて嬉しいって、言ったもん。
 でも、でもそれじゃぁ。
「……じゃぁ亜莉栖は、亜莉栖はもういらないの?」
 金髪が頭を撫でる手が、止まった。
「ママにはもうパパも、亜莉栖もいらないの?」

 ぐずぐずと再び泣き出した子どもの言葉に、根本的な問題はこれかと、頭を抱える想いだった。
 ――いらないと、思った。それは事実だった。
 消えてしまえと願った。それも事実だった。
 願いが呪いのように浸透して、あの男は消え。この娘はただ怯えている。
 簡単なことだった。今度こそこの娘を葬り去れば、名実ともに、ワカナをものにできるのだろう。どれだけ泣きわめかろうが、悲しまれようが、茨で押さえつけて閉じ込めてしまいたい。二度と、手を放すことのないように。
 暗い、暗い思考がよぎる。

 今こそ――と、囁く声は甘美で、衝動に駆られる。

 ――違う。

「俺は、お前を見てきた」
 起き上がって、泣く娘を寝台に座らせる。その前に膝をついて座る。娘は涙を拭うのが間に合わないと、袖を濡らしている。指先で頬をこすった。
 ずっと、ずっと見てきた。笑い、泣き、手を伸ばし、歩き、おどろき、怯える姿。遊び、学び、まねて、復習し、新しいことができるようになって行く姿。悩み、考え、すれ違い、時に我慢して、他者との共存を求める姿。どこも、これも。
 愛しい人を奪ったその存在として、その命が産まれてから、ずっと。
 どれほど、憎く、恨んだかわからない。ただ、
「もしあの時殺していたら、お前の存在がワカナに与えたものは、無くなっていたのだ」
 失われたものの、本当の意味での変わりは存在しえない。形の違う器に理想を重ねて、近づけて、消化するしかないのだ。
 気持ちを踏みにじって、この国に閉じ込めて。それでもワカナを幸せにする自信はあった。ただ――そうした所で、ワカナがこの娘に見せる微笑みは、消えていたのだ。
「お前は、俺にないものをワカナに与えられる。それがひどく憎い」
 愛はすべて、自分だけが与えられるものだと思っていたのに。
 ワカナにとって大切なものはひとつではなかったのだ。
「くだらないことを考えるな。ワカナはアリス、お前を愛しているし。邪魔だとも思っていない」
「ど、うして」
「言っただろう。会いに行ったと。それはもうお前たちの国では一年も前の話だ」
「うん」
「ここにきた時、ワカナはお試し期間だとも言っただろう」
「……うん」
「俺が、お前を愛せるか。アリスに愛してもらえるか試されているんだ」
「……私は?」
「アリスがこの国になじめるかどうかは、ワカナは心配していない」
「だって、だってママ」
「愛しい娘を認められない器の小さい男と、再婚する気はないと言われた」
「う、嘘吐き!」
「……説明を省いたのは謝罪する」
「だ、だってじゃぁ。なんでママは、あんな」
「突き放すような?」
「――うん」
「決めるのはお前だ。アリス。俺は、お前を愛する自信がない」
 息を飲んだ。だって、歩み寄ろうとしていたじゃないかと反論しかけて、金髪は力なく首を振った。
「願っていた。ワカナを帰館させたその日からずっと。お前と、相手の男が、消えていなくなるように」


 話はすんだと、伝えることは伝えたと勝手に決めつけて、金髪は部屋から出て行ってしまった。
 なんなんだとか、じゃぁなんで部屋にいてくれたのかとか、お土産を飾ってたじゃないかとか、それでも、それでも――
 頭に浮かぶのは心の距離を詰めようとする好意ばかりで、相手を憎むには幾分弱い気持ちばかりだった。
「……ってよ」
 勝手に、かき回して、憎んで、心配して、優しくして、逃げ出して。あんな、あんな男――が、新しいパパになるだなんて。




「心は、決まった?」
 部屋を出ると、ママが待っていた。なんでもお見通しだと言うように笑う母の姿に、これでも内緒にしていることはいくつもある。もう、子どもじゃないと、反抗した。
「ママはずるい」
「ママは、智さんも、アリスちゃんも、オーディも、愛しているわ」
「全部欲しいなんて、ママはほんっと、ずるいよ」

 アリスちゃんにもできるわ。ママの子ですもの〜って何よ。



「休まれたほうがよいのでは?」
「こんな状況では、休んだ気にもならん」
 一向に文字が頭に入らない書類を、見つめ続ける。部屋に帰って休んだところで、どうしろと言うのだ。
 覚悟していたつもりで、どうとも思っていなかったのだ。所詮子どもだと。眺め続けた歳月が長すぎて、御しきれるとどこかで軽んじた。最近はずっとワカナに会いに行くばかりで、水鏡を見つめていた時に覚えた感情も忘れていたのだと、話をしながら思い出した。
 あの娘は産まれた時、泣いて泣いて――本当に邪魔な存在だと水盆を叩き壊し、しばらく封じたのだ。しばらくして、再び水盆を見た時、娘はいつの間にか、笑うようになっていた。娘が笑うと、ワカナも笑うのだ。ワカナが笑うと、同じように娘も笑う。
 あの時、歌を聞かせてやっていた時と同じように、穏やかで、満ち足りて、何にも変えられないものを慈しむように。
 認めたく、なかった。
 認められなかった。
 その、存在が――


 ふと、外が騒がしい。アーベルが様子をと、動いた時、バン! と、扉が開かれた。侍女に着替えさせた寝巻のまま、さっきまで泣いていたのだから、目が赤いままのアリスが、こちらを睨んでいた。
 目が合って、急に、動けなくなった。
 それは向こうも同じだったのか、しばらく沈黙した。
「姫様……その恰好では風邪を引きます」
 事態を収拾させるべく、アーベルが続き間の兵士を抑え、アリスにマントをかけて退出した。音もなく、扉が閉じる。前で重ねたマントを固く握りしめて、アリスが唇を噛んでいる。
「――どうした。帰館の魔術なら――」
 声が、柄にもなくかすれた。
「すぐに準備する。急ぐと言うなら、明日にでも――」
「そうじゃない!」
 首を振って、アリスが声を荒げた。なんだと言うのだろうか。首をくれと言うならそれも一興だろう。二度と二人に会うことはないのなら、生きていても――
「ってに」
 耐えきれないと言うように、アリスの声が漏れた。
「勝手に! 亜莉栖を決めないで!」

 私がどう思っているか、決めないで。

 肩で息をするアリスが落ち着くのを待つと言うか、言われた言葉を理解するまでに時間がかかった。アリスが続ける。
「どうして、帰そうとするの」
「帰りたいだろう」
「……亜莉栖はやっぱりいらないの?」
「そうじゃない。それが最善だ」
「勝手に決めないで!」
 ぼろぼろと泣きだしたアリスがこれだけは言うとこちらに向かって叫ぶのだ。

 勝手に、私のいらないものを決めないで。

「亜莉栖は、ずっと、ずっとママとパパと一緒に幸せが続くと思ってた。――でも、違った」
「それは、俺が」
「本当にそうだったかなんて、わかんないし。あんたのせいだってすればいいのかもしれない。でも、それでもパパは帰ってこない。――ママは、さみしそうだった。亜莉栖だけじゃ、だめなの」
 ああどうして、気がついたのだろう。割れた器の代わりに、新しい器が用意された。でも、割れた器がそこにあったことを、否定する必要はない。それぞれは、違うのだから。それは替わりでも、代用品でもない。それは、それなのだから。
「亜莉栖はママも、パパも好き。でも、ママが幸せじゃないのは亜莉栖に力が足りないんだって。私じゃ駄目なんだって。そこにあなたがいた。私にはできないことを簡単にやってのけて。亜莉栖はいらないんだって、そう思った」
「違う」
「ママには亜莉栖じゃ足りない。あなたにママが必要だったように、ママにはあなたも必要だった」
 欠けた器を合わせても、丸くなるわけじゃない。でも、もっと大きなものが受け入れられるかもしれない。受け止められるようになるかもしれない。悲しみも、喜びも、みんなみんな。
 一人じゃ、できないことも。
「だから、ママと一緒にいて」
 そして、
「――亜莉栖を、嫌わないで」


2014.09.24
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