しまったと思った暇もなく、体が動いていた。控えめな呼び声に顔を向けると、まるで、そう月明かりの出ている間だけ存在できる月の女神のごとく、その姿は危うい。捕まえていないと消えてしまいそうだ。その何かを決心したようにこちらに向けてくる視線――うつむく顔。手を伸ばしてこちらを見させると同時に、口付けした。

「―――ぇ?」
 驚いて声を失っているうちに、深く。
「んん!!?」

 月明かり照らす城の庭に、浮かぶ影。近づいた距離。重なって、時が止まったように止まった。

 やがて二つの影は、離れた。

「………ぁ……は……」
 上がった息を整えるのに、思いのほか時間がかかる。高鳴ったままの心臓は、落ち着くのを忘れたようで。
「……イリース?」
 控えめな王の声に、一気に浮き上がった思考が返ってきた。
「失礼します!!」
「イリース!!」
 立ち上がって去ろうとすると、手首をつかまれる。
「っ!」
 振り返ったのは失敗だった思う。こちらを見つめる王と視線が絡む。その目は、初めて会った時私を睨んだ目と同じなのに――まるで違う。きっと、もうこの時に囚(とら)われた。
「わっ」
 我ながら色気のない声だとは思うが、そんなこと構(かま)っていられない。強い力で引き付けられ、王の胸の中に。
「………イリース」
「は、ぃ」
「行くな……」
「………王、様?」
「フィリレーク」

『イリース!!!』

「―――!!?」
 王の言葉に返す暇もなく、風の声に答えてイリースは腕からすり抜け走り出した。

「イリース!?」






「たすけっ!!」
「静かにしろ!」
 夜の闇の中、六人の人影が見える。黒ずくめの男に、この国の王と、亡き王妃の息子――ローツェの姿だ。捕らえられ、口元は押さえられている。もがく腕は押さえつけられ、縛り上げられる。
「傷をつけるなよ。王との交渉に使うんだからな」
「わかっている」
「んーー!! んんんー!!」
「何言ってんだかわかんねぇよ!!」
「ん!!?」
「その腕、切り落とそうか?」
 そう言って男の一人が、剣を突きつけた。
「やめろ4(フォー)」
「うっせぇ0(ゼロ)、だいたい、お前のすかした態度が気にいらねぇ」
 ガキーン!!!
「!!?」
「なっ」
 4が剣を王子に振るうと、風に弾かれた。
「なんだぁ!!?」
「これは……」
 風の魔法。
 0と呼ばれた男は獰猛(どうもう)に笑った。見てしまったローツェが青ざめる。
「(まさか、思わぬ誤算だ。魔法使いが、いるのか――?)我らは、この王子を捕らえて連れ帰るのが目的だ。余計な事はするな」
「ちっ」
 4と呼ばれた男が剣を引くと同時に、0と呼ばれた男がはっと振り向く。

「燃えよ炎よ、業火の父よ。彼の者達を焼き尽くせ!」
 振り向いた先からイリースの声が響き渡る。

「(来たか。)海の水夫よ、その妻よ。その櫂(かい)で我らを守れ」
 一足遅れて、0の詠唱が響いた。

 ゴォッと言う音に送れて、水があふれる。ぶつかり合い蒸発し、水蒸気が舞う。白い煙が晴れた先には、五人の黒ずくめの男達と、ローツェをうしろに庇うイリースの姿が見えた。
「なっ」
 4と呼ばれた男が絶句する。
「4」
 0が4を睨みつける。
「イリース!」
「大丈夫ですか?」
 しがみ付いてくるローツェをうしろに庇って、イリースは舌打ちする。――五人。しかも、確実に一人は魔法使い。しかも、同じオリアの。
「奪いかえせ」
 さっき魔法を放った0が命令する。四人が剣を引き抜き、イリースに襲い掛かる。
「イリース!!」
 ひっと、息を飲んだローツェが叫ぶ。
「か、風よっ」
 ――間に合わない。
 魔法を使った戦いでは負けなしのイリースでも、武器との戦いにはなれていない。ローツェに傷をつけることはかなわなくとも、イリース自身に剣は突き刺さる。

ガキィン!!

「………っ?」
 やってこない衝撃に、とっさに腕で顔を庇ったイリースは恐る恐る目を開け、腕を下ろす。
「父上!!」
 ローツェが嬉しそうに声を張り上げる。
「おう……?」
「大丈夫か?」
 目を白黒させるイリースに、気遣わしげに王は、フィリレークは声をかけた。
「はい」
 驚いたまま、イリースは答えた。なんと言っても、目の前にはあろう事か四人の剣を受け止めている王がいる。――とても、心強かった。
「……なっ」
 4は、やわらかい女の肉を切り裂くつもりだった自分の剣を受け止めた王の実力に驚いていた。
「シェルファ国王」
 0はうめいた。――計画は失敗だ。
「お前達、息子を連れ去ろうとはいい度胸だ」
(しかたない――)
 0の視線は、イリースに向けられた。
(こうなったら……)
 0の顔が歪む――喜ぶように。
「せっかくの機会だ、殺してやるよ。オリアの魔法使い」
「あんたも同じでしょ」
「オリアを出た魔法使いの実力を見せてやるよ」
「おい、0――?」
「黙れ4。お前達はそこの王を殺せ」
「――!?」
 ローツェが怯える。
「離れていろ」
 ぽんと頭に手を置き、フィリレークは息子に言う。
「でもっ!」
「大丈夫だ」
「はい、父上」
 ローツェが一歩下がると同時に、イリースは一歩進んだ。
「イリース!?」
 あわてるようにフィリレークが言うと、イリースは振り返らずに言った。
「王、彼らは頼みます」
 フィリレークに剣を受け止められてから、少し距離を取っていた剣士達四人を指した。
「ぁ、ああ。しかし」
「私は、あいつを」
 視線の先で、0が笑った。―――あの笑み、寒気が走る。
「その顔、二度と笑えなくしてあげる」
「ほぉ。やってみるか?」
 くくくっと、0が笑う。さらに嫌そうにイリースは顔をしかめた。それでも、ざっと靴音を響かせてイリースは一歩進み出た。と、
「え?」
 ぐいっと引かれて、王にうしろから抱きつかれた。
「……ぁああぁあの王?」
「フィリレーク」
「………フィリレーク、様?」
 何かに満足したのか、王はイリースを手放した。
「無理はするな」
 耳元に囁かれた言葉にどきりと心臓が音を立てる。――ななななんなの!!? どきどきするから!!

「「「「「…………」」」」」
 目の前の黒ずくめの男達が、あきれているのがわかる。――ちょっと!! 何その視線!!

「待たせたわね」
「顔が赤いぞ」
「うっっさい!」
 少しだけ進んで、0と呼ばれていた男に向き直った。剣を持つ者達とは少しだけ距離をとる。

「焼きつくせ、」
「凍りつかせろ、」

 派手な衝撃音と共に、二人の魔法がぶつかり合った。


「―――!!?」
「よそ見している暇があると思うなよ! ――なっ」
「誰が、なんだ?」
 真っ先にきりつけてきた4の剣を剣で受け止め、フィリレークは睨む。
「はっ! ずいぶんとあの魔法使いが気になるみたいだな。どうだよ、お前を殺したあかつきにはあの女の腹を切り裂くってのは!」
「―――」
 フィリレークの目が細められる。彼はかつてないほどの怒りを、爆発させようとしていた。




「セルス!! セルスぅ!! ユーズ!!」
「ローツェ様!?」
「何事ですか!?」
「父上とイリースが……」
「王と、あの魔法使いがですか?」
「助けて!」





「ってあのガキは?」
「今頃気がついたのか?」
 ずいぶんと遅いな、フィリレークが笑う。
「っ! この!」
「手元がおろそかだ」
「なっ――ぎゃぁ!!」
「くっ」
 たった一人を切り捨てても、まだ三人もいる。
(さすがに、多いな)




「切り裂け! 風よ!」
「放て光、現れろ光の貴人!!」
 二人の魔法がぶつかり合う。いまだに魔法がぶつかり合うだけで、二人の距離は縮まらない。
(まったく、きりないわ)
「くくくくっ」
「?」
「あーーはっはっは!」
「?(こいつ、大丈夫?)」
 怪しすぎる……
「お前、強いな」
「もちろん」
 即答……?
「初めてだよ、俺が本気で相手のできる奴はなぁ!!」

「氷河の業風」
「晴天の雨音」

 爆発が止む間もなく、0はイリースに向かって距離を縮めてきた。

「死ね!」
「誰が!」

 光弾を握った手は、真っ直ぐにイリースの頭に向かっていた。





「―――くっ」
 一瞬の隙を突いて、4を切り裂いた。地面に落ち動かなくなった男を見て、一瞬安堵したところを狙われた。
「こんなものか、4(奴)は我らの中で一番弱いものだ」
「へぇ、やりがいがあるな」
「口の減らない」
 正直、きつくなってないといえば嘘だ。しかし、

ドゴーン!!

「イリース!?」
「どこを見てる!?」
「この!」
 目の前を早々に切り捨て、いや、無視して向こうに進みたい。

ひゅ―――

「ん?」
 ふと、風を切る音がする。

「―――じゃ、まよ!!」

「ふげぎゃぁ!!」
 どがんと、かかと落としを男にくらわせたイリース。って、空から?
「――ふぅ」
 スタンと、地に降り立ったイリース。フィリレークの前、背を向けて。
「イリース?」
 恐る恐るといったように、声をかけるフィリレーク。
「心配した?」
 ちょっと、意地悪にイリースは笑った。
「……」
 ぱくぱくと、空気を求めてフィリレークはあえいだ。
「うしろ!」
「――」
キィン!
 やって来た違う男の剣を受け止めるフィリレーク。
「女、0はどうした!」
「ぁあ、あれ?」
 くいっとあごを向けた先、黒焦げの死体。
「まさか!?」
「弱かったわね」
 あっけらかんと、イリースは言う。
「第五万八千九百三十七回魔法大会優勝者に勝とうなんて、一千年早いわ」



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