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王女の婚約【1】

 妹に婚約の話が来た。――それはもちろん、喜ばしいもの。妹を婚約者にと望んだのは海の向こうの国だけど、この国よりも大きくて、強い国。
 誰もが、良縁だと言った。
 だけど、問題があった。
 それは姉(わたし)が結婚どころか婚約もしていないこと。
 もちろん、話はそれでは終わらなかった。別に、妹が先に嫁いでもいいと思うの。私は、けれどそれは、この王家(ばしょ)では許されないこと。
 だから――


「ナシェ、喜べ。お前の婚約話が決まった」
「……ふぅん」
 まぁ、そうなるわね。
「………嬉しくなさそうだな」
「喜べと?」
 父は、馬鹿みたいににこにこしていたが、表情を変えた。
「わかっているとは、思うが」
「別に、だから何も言っていません」
「姉さま!」
 扉をくぐって入ってくる影。それは――
「フルーシェ」
 何をあわてているのだろう、妹(フルーシェ)らしくない。
「姉さま……あの」
「おめでとう、フルーシェ」
 何か言う前に、口を開く。それは、本心だった。だって、この子はあの国の王子に、思いを寄せているのだから。
「でもっ」
「“でも”はなしよ。私が、あなたの幸せを踏みにじるとでも?」
「私は! 姉さまの悲しみの上に幸せをもらっても嬉しくありません!」
「――馬鹿ね」
 そう言って涙を流すのは、誰のためなの?
「あなたが結婚するから私に婚約の話を作ったわけじゃないのよ? あなたが結婚するというから私の話が現れたのよ」
 たぶん、そうでなければ一生結婚なんてしなかったかもしれない。もう二十を超えている。もう望んで、自分の思いを貫いて誰かの元に嫁ぐことなどできないだろう。
 こうなってしまえば、国のため、か。
 黙りこんだ国王が、いい証拠。
「そんなの……」
「私の言うことが信じられないの?」
「だって」
「“だって”も禁止よ。ありがとうフルーシェ。大好きよ」
 泣き出したフルーシェを部屋まで送ることにした。だって、嫁ぎ先に行く準備とかあるし。
 あ、結局誰と婚約したのか聞きそびれた。


 私が誰と婚約したのかは、それからすぐにわかった。だって、城中でうわさになっているんだもの。周りを固める気ね。お父様。
 廊下を歩きながら聞こえてくる声から、相手はわかった。ランシュール・フラン。簡単に言うと、王族の近衛兵の長だったりする。彼は若くしてその地位を得たものとして有名なのよね。代々近衛の任についている家系だけど彼の歳でその地位に就いたものはまれなことだったのよね。
「姉さまは!」
 っと、あぶない。
「何?」
「姉さまはそれでいいんですか?」
「いいんじゃないの?」
「――っそうやって、国の有力者の中からある日突然選ばれた者で」
「まぁ条件は同じでしょう」
 こちらも、向こうも。
「そんなの!」
 叫んだフルーシェの声が途中で途切れた。見ると、向こうからその彼がやってくるところだった。


 たぶん、妹を嫁ぎ先に連れて行く時の護衛のことで忙しいのだろう。彼はいつものように私達に会釈だけしてすれ違う。――それこそ、いつものように。
 婚約が成立したということは、彼に話は私より先に言っているはずだ。そうだ、たぶん王命だし、逆らうということはないだろう。恋人とかいないのかしら? 聞いたことないけど。それなら違う人にしてもらってもいいんだけど。

 すれ違った瞬間、彼の周りにいた兵士達が青ざめていたけど、彼はいたって平静なままだった。
 だから私も、そのまま通り過ぎようとしたんだけれど――

「ちょっと待ちなさい!!」

 しまった、口を塞ぐのを忘れた。
「フルーシェ」
 咎めるように妹をいさめようとしたんだけど――
「あなた! なんなんですの! その態度!!」
 って、あんた。私より先に知ってたのか。
 立ち止まったフランは、思いがけないものを見、聞くように妹を凝視してから、私を見た。
 一瞬目が合って、逸らしてしまった。まずい、かも。
 だけど、どうしろと?
 フランと共にいる近衛の兵達も、気まずそうに視線を泳がせている。
 ひとり、その状態が気に食わないのは、フルーシェ。
「なんなのですか! 何か言ったらどうですの!?」
 まずい、かなりまずい。
「姉さまとすれ違ったのにその態度――あなたが――」
 自分が思い人と結ばれることがうれしい、けれど、私(あね)がその犠牲になるのはいや――
 どちらも捨てられないから、どちらかを選ぶことはできないから。嘆く。
「本当に、」
 不器用な子ねぇ。喜べばいいのに。
 離れていた距離を縮めるように、フランがこちらに向かってくる。当たり前だけど私達よりかなり背の高い男性が、今にも泣きそうな妹のそばに向かってくる。
「なっなんですの!?」
 あーーー刺激しないで〜ほしいんだけど。
 彼は何も言わずにこちらに向かってくるだけだから、フルーシェの感情は余計に行き場をなくす。
 彼がフルーシェと私の近くまで来る。感情を制御できないフルーシェはもう泣きそうだ。
「何か言ったらどうなのランシュール・フラン!! よい身分ですわね! 何もしなくとも姉さまを得ればあなたの地位は安泰ですもの!!」
「フルーシェ!」
 それは、聞き捨てならない。彼も、歩みを止めた。
「……ぁ……」
 怒鳴り声に驚いたのか、われに返ったフルーシェは固まった。かたかたと震えて――
「……ぇっ……ふっ」
「フルーシェ」
 引き寄せて頭を抱いた。すると昨日まで輝いていた瞳いっぱいにためた涙を流し始める。
 あやすように背をなでる間、視線だけで彼らに退場を促した。一礼して去っていく姿を見送った後。声をあげて泣くフルーシェをつれて部屋に向かう。
 しばらく、一緒にいた。むしろそのまま一緒に寝台で眠ってしまった。



 泣き腫らした赤い目を見せたくないと、部屋から出ないフルーシェをおいて、私は父と夕食をとった。
 始終沈黙ばかりで、なんとなく、味気ないものだった。
 結局、政略結婚の延長のようなものだと、誰もが知っていた。
 彼は、それでいいのかしら? って、王命だった。結論は、いつもそれ。


 部屋に帰ってきて、早めに湯に入る。今日は疲れたからもう寝ると侍女に言って下がらせる。
 全員下がったのを確認して、窓から抜け出した。

 昼間のフルーシェの失言は、城内のものには知られていない。意外だったのは、彼が誰にも伝えていないことだ。
 王家の近衛を務めるものだけあるというか、なんというか。
 しかし失言は、失言だ。
 薄暗い森の中、私は道を進む。今日彼は城内勤務は昼だけで、夜は兵舎に戻るということは確認済みだった。
 兵舎は城から少し離れた森の中にある。寝るために着せられた服はもちろん、着替えて。目立たない紺色のワンピースを着て、私は夜道を急いだ。



「しっかし、隊長もすげぇよなぁ」
「第一王女との婚約だろう」
「第二王女が他国に嫁ぐというだけで護衛の任務や手配で忙しいというのに、さらに婚約者ができるなんてな」
「そうだよなぁ」
「昼間聞いた話だと、第二王女はその話に納得していないという話しだし」
「第一王女の婚約にか?」
「ぁあ、隊長もやりにくいだろうなぁ。第二王女の護衛の認。今会議中だろう?」
「昼間もお忙しい方なのに、夜までか」
「ずいぶん長引いてるみたいだしなぁ」
「忙しいかただよなぁ」
「――そうよね。忙しいわよね」
 すっかり、忘れていたわ。彼は、今城内でも超多忙な人間に当たるということを。
「だっだだだ!?「第一王女様!!?」」
「こんばんは、月がきれいね」
 にっこりと笑顔だ。しかし心の中はどんよりだ。
「なっなぜこのような場所に!?」
 あなた達、あわてすぎよ。落ち着きなさいよ。まぁ、盗み聞きした私もよくないんだけど。
「フランに用があったのだけど……会議中なのでしょう? 突然押しかけて悪かったわ。明日また、先に連絡を入れてまたくるわ」
 本当に、しまったわーーこれなら明日にすればよかったわ。はぁ。せっかく来たのに。
「お待ちください!」
「今隊長を呼んできますから!!」
「え? いいわよ!?」
 二人いた門番のひとりが走り去っていく。……あああーーーだからーいいって言ってるのにーー……
 勘弁してよ〜心の準備って物がいるのよ〜
 ちらりと視線を送ると、直立不動で立つ兵士。
「もうすぐ、きますから」
 いや、だからさーー
 しかたないので、門の前で待たせてもらうことにした。
 いくらなんでも、私が兵舎に入るわけに行かないから。

 と、思ったんだけど――

「こないわね」
「もっ申し訳ありません!!!」
 待つこと一時間。なんで?
 もう戻らないと、明日に響くわーーなんてね。でも肌寒くなってきたし。やっぱり、忙しいのよね。
「もう戻るわ。騒がせてごめんなさい」
 また明日、出直そう。
「しっしかし!?」
「手間をかけさせてごめんなさい。あなた達には迷惑をかけないようにするから」
 秘密裏にしようとしたのに、これじゃ台無しね。まぁいいわ。婚約者に会いに行ったとでも何とでも言えるもの。
 ――ああ、城に帰るまでが遠い。



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