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王女の婚約【3】

 やってしまった……
 フルーシェ(ひと)のことを言っている場合ではない。私も負けず劣らず激昂しやすいタイプだ。
 しかも、謝罪しに行って送ってもらった婚約者(かれ)に言うことがだいっ嫌いだ。われながら大人気ないというか、子供か!?
「ぁあ、もう」
 ひどく、心が痛い。


 心地よい陽気だったが、長い袖のドレスを選んで着ていた。今日はおとなしくしておこうと思うが、その前にすることがある。
 昨日の門番の二人だ。フランがあの調子では、どんな処罰を問われるかわかったものではない。
 とにかく、私が会いたくて行ったのだと言えば、お父様は勝手に納得するだろう。
 そう思って、朝一で王の寝所に向か――ったのだが……
「第一王女」
 忘れていた。フラン(かれ)は王の近衛であることを。
 王の寝所の前を囲む五人の兵の中に彼の姿を見つけて一歩後ずさった。どうしたもの、か。
「第一王女?」
 しかし、違う近衛の声にはっと気がつく。落ち着け、私が取り乱してどうする。
「朝早く申し訳ないのだけれど、陛下にお目通りを」
「はっ」
 ひとりが寝所に入っていく。といっても王の寝所に着くまでにいくつか部屋を介すのだけど。
 つくづく、微妙な身分だと思う。昔はそのまま扉を開けてお父様を叩き起こしたものだが、いまは――
「王女?」
 控えめな問いかけに、再びはっとする。
 なんだと顔を向けたのが、まずかった。
「……何かしら」
 いつの間にか、真横にフランがいた。
「……」
 珍しく、彼は一度口ごもった。
「あなたには感謝しているのよ。あなたが護衛してくれるのなら、フルーシェも無事海の向こうに着くことでしょうね」
 それ以上、何も言わせなかった。
「王女様、王がお待ちです」
「ありがとう」
 口を開きかけた彼をおいて、私は扉をくぐった。


「おはようございます陛下。朝早くに申し訳ありません」
「朝からずいぶんかしこまったものだな、ナシェ、どうした?」
 お父様は、ずいぶん寛大だった。そうもなるだろう。
「それが……実は昨夜……」
「昨夜?」
 フルーシェとフランのやり取りはすべて省いて、実は夜中にこっそりと観察しに行ったところ大騒ぎになってしまったと事情を話すと、お父様は驚いたように目を見張った。
「いつの間に?」
「まずは、身辺調査です」
 ほほを少し赤く染めて言えば、それこそ心底ほっとしたようにお父様は言う。
「――そうか、何よりだな。兵のことは任せなさい」
「ありがとうお父様」
「さて、朝食はまだだね」
「ぇ? ええ。先に行ってます」
 早く、逃げ出したかった。


「第一王女様?」
 扉をくぐって出ると、あの五人がいた。その前に何人か侍女にもすれ違ったけど。
 軽く会釈してあけられた道を通る過ぎようとした。早く、早く逃げ――
「第一王女」
「――な、に?」
「お供します」
「いらない!」
 フランの申し出を、力いっぱい断った。
 しまった。他の兵が怪訝そうにしてる。
「申し訳ありません。最初から供をつけて下されば、お心を煩わせることもなかったのですが……」
 逃がさない気ね。
「そうね。だけどあなたは陛下の護衛でしょう、私の――」
「フラン様、陛下がお呼びです」
 控えめな侍女の声。
 助かったーー


 フランが侍女の相手をしている間に、さくっと逃げ出してきた。早足で進んでいたけれど、いつの間にか走っていた。
 早い鼓動の心臓を押さえられずに走る。食堂を通り越して人気の少ない廊下まで来てしまった。
(お父様、ナイス)
 だけど、彼は逆に怒るかもしれない。
 ――? なに、それ。
 なぜ、そんなことを考えているのだろう。


「第一王女?」
「はい?」
「お食事の時間では?」
 シーツを抱えた侍女が、首をかしげている。この先は洗濯場だ。
「しまった!? 遅刻!」
 ドレスのすそを持ち上げて走り出した。

 ばたばたと走っていることは百も承知だ。あわてて駆け込んだ食堂でお父様が苦笑していた。
「なぜ、わしより部屋を早く出て遅刻するのだ?」
「ごめんなさい」
 “迷った”って、言い訳にならないわね。
 素直に謝って、席に着く。私の正面に座ったフルーシェはまだだるそうにしていた。その瞳がこちらを見ているので、しっかりと頷いた。大丈夫だというように。
 それに、フルーシェはほっとしたようだった。

 本当は、何も解決していなかったのに。

 壁際に控えた彼の視線を、感じていた。



 彼はお父様の護衛だし、会う機会も少ないと思っていたから、安心していたのだけど――
「はじめまして、第一王女様」
「あなた達、この……」
 そこまで言って、口をつぐんだ。彼らが“はじめまして”と言った意味がなくなってしまう。ここには、前々から私の身辺警護をしていて、この前フランに怒鳴られたものもいるのだから。
「いったい、この場所で何をしているの」
「はい、フラン様のご命令で王女の身辺警護に加わります」
「――警護に加わる?」
 つまり、人数が増えるということだ。
「なぜ?」
「それは、陛下とフラン様のご意向でありまして」
 ……つまり、本当に夜毎抜け出すのを阻止する気ね。しかもこの人数。行動が逐一監視されているのと同じじゃない。
「必要ないと言ったら?」
「その時は、フラン様に申すように言付かって――」
 根回しのよいこと!!

 それからが、地獄だった。
「王女様?」
「どちらへ?」
「〜〜〜」
 部屋の前に二人の護衛。ひとりだったら、融通が利いたものの、二人では説得に時間がかかるし、アリバイを徹底することも大変だ。
 部屋の扉を出るたびに何かと問われ、窓の外の巡回は明らかに増えている。昼も、夜も。
 どういうことかしら、ランシュール・フラン!

 私が自由に部屋と外を出入りできなくなった間、フルーシェの出発の日も迫ってきていた。フルーシェは婚儀の二ヶ月前には海の向こう、セランジュルに到着することになっている。
 私とお父様は婚儀の三日前に行く予定。
 本当に、あの子は他国に嫁いでしまうのだと唐突に実感した。
 自由に出られない部屋、去っていく妹。急に寂しさに襲われて、寝台に突っ伏す。こんな時、私の心を和ませてくれる泉も、森も今は遠い。
「姉さま!」
「フルーシェ?」
 突然、部屋に入ってきたフルーシェにあわてる。目の端ににじんだ涙をぬぐって、あわてて起き上がる。
「ああ姉さま! こんな所に閉じ込めるなんて! 絶対許せないわ!!?」
「……待ってフルーシェ。なんのこと?」
「姉さま! フルーシェはわかってます! だから今日は――」
 まくし立てるフルーシェに押されて、私はその案に参加させられた――


 きゅっと帽子をかぶって、外にでる。顔はうつむいたまま。「今日は朝から機嫌を悪くしていたので、誰も近づいてきません!」――本当ねフルーシェ。
 ああ、久しぶりに、自由だわ!
 さっきまでフルーシェが着ていた服を着て、外に出る。身代わりなんて、思いつきもしなかった。
 「近衛が新しくなったのなら好都合です。だって! 彼らはまだ姉さまのことも私のこともよく知らないもん!」なんて、どこでそんな悪知恵を得たのかしら。
 ――ありがとう、フルーシェ。
 ゆっくりと、不自然にならないように裏口に向かう。大丈夫、この城のことは、よく知っているもの。


 久しぶりに来た森は光を浴びて、いっそう輝いているように見えた。天気がいいから、フルーシェも半そでだった。
 あのつかまれた時に腕にできた赤い痕は消えていたから、よかった。
 気持ちがいいから、芝生の上に寝そべった。――ああ! こんなことをするのは、何日ぶりかしらね!
 さわさわと風が揺れる。寒さを感じて目が覚める。ずいぶん寝入っていたようだ。日が暮れようとしている。
「大変」
 いくらフルーシェでも、そろそろまずい。
 でも遅かった。私は、寝過ごしてしまったのだ――


「ぅわーん!」
「第二王女様、いくらあなたといえども、泣いていようと関係ありません。第一王女はどこですか」
「ふっ……ぇっ……知らない」
「ふざけないで下さい」
「絶対、おしえない」
「……この、」
「お前なんか嫌い! 姉さまを悲しませるなんて!! だいっ嫌い!!」
「――っ」
「フルーシェ!」
「姉さま!?」
「フルーシェ、大丈夫?」
 城の中に帰ると、怒鳴り声と泣き声が響き渡っていて、あわてて走り出した。
 部屋に近づくにつれて聞こえてくるやり取り。フルーシェ! と、部屋の前でおろおろする兵士と侍女を押しのけた。
 かわいそうにフルーシェは泣きながら、だけど怖いのかクッションを抱きしめたまま震えていた。――対して、フランは無表情にフルーシェを見下ろしていた。
「フルーシェに何をしたの」
「王女。どこに行っていたのですか」
「あなたに関係ないわ。質問に答えなさい」
「どういうことですか」
「どうもこうもないわ!」
「勝手に! どこに行っていたのですか!!」
 厳しい怒鳴り声に負けそうになる。ううっ怖いわよ。
 だけど、私は、この子(フルーシェ)を。
「私がどこにも行けないようにしたのはあなたでしょう!?」
 負けられない。
「それを変えてくれたフルーシェに怒鳴るなんて、絶対に許さない」
「……あなたを半監禁状態にしたつもりはありません」
「そうでしょうね。お父様の護衛をしているあなたにとってはそうでしょうよ」
 それはわかる。だけど、
「どういう……?」
「わからないなら、邪魔をしないでよ!」
 ぁあ。ごめんなさい。私が悪いのね。



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