〜おうじょ様の夏の宿題〜


 暑い暑い夏のさなか、今日も今日とて平和な優麗国(ゆうれいこく)の城の中。
「あ〜つーい」
 そう言って扇でぱたぱたと風を起こすその姿、優麗国王女藺宇(いう)。
「あーつーい、あーつーい、あーーつーーい!」
「うるさい」
 執務室のどまんなかで季節を嘆く王女様に、細い何かが飛来する。
「きゃぁ!? 危ないでしょう!」
「うるさい!」
 騒ぎ出せば、その分暑さも増す今日この頃です。
「ねぇねぇ氷菓子〜」
「………」
「こ・お・り・が・し!」
「うるさいわ!! だいたい! お前が一週間分を食べきったんだろうが!?」
 そうなのです、この王女様、なんと一週間分の氷菓子を三日で食べきってしまったというつわもの……
「私、ひとっくちも食べてないんだけど」
 口調が変わったが、声が低い。
「だって〜甘いものは嫌いだろう?」
 それはそれは、かわいらしい高い声。
「都合のいいときだけ都合のいい解釈をするな!!」
 高い声が部屋の中に響く。
 再び何かが飛来する。
「どぅっわ!? お前!? ペンは危ないだろう!? 刺さったらどーする!」
 殺意を感じたらしく逃げる。
「辞書が望みなのね」
「ぎゃーー!?」
ココン!
「王女様? お元気そうですが執務中の王子様の邪魔をしては……」
 扉をノックして入ってきた侍女の行動が止まる。
 部屋の中の二人は、かなり不自然な位置で動きを止めていた。足元に散乱しているのは辞書。まるで、あわててすぐそこの本棚をひっくり返したような惨状。
「まぁ」
 侍女は目を丸くして、あわてて本を拾い始める。ほっとしたように目を合わせる双子の様子には気がつかなかったようだ。
 あぶ……あぶなっ
 この騒がしい執務室に、緊急時以外に押し入ってくるのは六人。大臣と、弦鋼(げんこう)と、この茉衣莉(まいり)。
「王女様、数学の先生(エスティ)が嘆いておりますわ」
「計算きら〜い」
「王女様、せっかく、夏の間だけいらしてくださるのですから」
 ……なんの夏期講習?
「数字なんかきら〜い」
「お菓子はきっかりもらっていくくせに……」
「数は別!」
「同じだ!」
 間髪いれずに、王子が突っ込んだ。
「王女様、先生がせっかく氷菓子を持ってきてくださったのに……」
「どこに!!」
「昨日、王女様が食べきってしまわれたでしょう?」
 さーっと、王女の顔が青ざめた。
「決まりだな」
「藺志(いし)のいじわる〜!」
 侍女にひきずられていく王女の叫び声が響いた。



「さぁ、王女様。これが素因数分解というものでして……」
「うげっ」
「王女様。ここは言葉の講義ではありません」
「やぁ〜」
「ので、幼児化しても何も言いませんよ?」
「だいすきよねぇ」
「もちろん! この美しい数字の羅列! 切りよく切れる数! ひとてま加えるだけで劇的な変身を遂げる音!」
「何も聞こえないから」
 王女は無難に突っ込んだ。
「足しても引いても美しい! それは女神!」
「聞けや」
「かけて割ったときのあの変わりよう! まさに……それでは王女様。教科書のにじゅうさんページを……」
「寸止め!?」
「さぁ、今日は図形の面積を求めましょう」
「因数分解関係ないし!!」


「台形はですね王女様」
「こんなの面積もとめなくても生きていけるもん!」
「このすその広がり具合のバランスというものがですね」
「面積は!?」

「円柱と言いまして」
「あそこの柱の面積なんて知らなくても生きていけるもん!!」
「あそこの柱は中心が太くなっておりますので円柱とは呼べません」
「そうなの?」
「構造の関係でしょうが……認めない……認められない。上から下まで同じ円形であってこそ美しい円柱の柱……おのれ建築、我が美学の敵!!」
「壊さないでね」

「こちらの三角錐は」
「ピラミッドなんてこの国にないもん!」
「さようですね」
「この国にないものの面積なんて測れなくても生きて……」
「隣国に見物に参りましょうか、もちろん、面積と体積を測るのですよ」
「絵で我慢します」
「遠慮なさらなくてもいいのに」
「遠慮します」

「ほら王女様起きてください」
「台形に潰される!!?」
「うらやましい夢を見ておりましたね王女様」
「まじで?」
「ですが、夢に見るならばやはり円周率でしょう。あの数字の羅列に囲まれて夢に入り数字の羅列に浸り数字の羅列に目覚める。やはり寝る前の絵本は円周率の音読を」
「ごめんなさい、もう居眠りしないからそれだけはやめて」

「さぁ王女様。目測であの塔の面積を測ってください」
「人間業じゃない!!」
「何を仰いますか、この城に多々植えてあるあの木の平均の高さは十五メートル。その木の先端が二階の窓にかかっております。この塔の窓の数は五つで等間隔に並んでおりますので高さを求めて。次に直径ですがあの老人が塔を一周するのにかかった時間は約一分三十七秒、彼の年代の方の歩く平均速度が……」
「そんな余分な知識持ってない!!」
「円周から面積を求めて直径を……お教えしましたよ?」
「そこはね」

「円周で思い出しました」
「円周率じゃないでしょうね」
「それはあとで暗記してもらいますが、違います」
「暗記!?」

「このサイコロの表面積を求めてください」
「そんなの簡単だもん! 正方形の面積を求めて六かければいいんだもん!」
「そう思いますよね」
「………違うの?」
「いいえ、そうは言ってませんよ」
「………」

「そう言えば王女様」
「なによ」
「その手編みのレースですが、」
「これ、私が作ったの〜」
「ほどいた時の糸の長さを……」
「知らない! 何も聞こえない!! 知りたいと思わない!!!」

「面積と体積と密度と糸の太さから、考えるのですよ」
「聞いてないのに……」
「何を仰いますか、日常に根付いてこそ数学の本領発揮ですよ」
「知りたくないのに……」

「思うことがあるのですが」
「……なに」
「やはり体積を求めるのであれば中身を入れておくべきかと」
「……?」
「中身が空洞なのに体積を求めるのはいかがなものかと思いませんか?」
「いや、どっちでもいいけど」
「いえ、空の水槽の体積を求めるのと満杯の水槽の体積を求めるのでは差が出ます」
「それで、紅茶を自分のカップにはなみなみとついで私のカップには半分しか注がないことに意味はあるのかしら?」
「脳細胞の数の差です」
「誰が数えたのよ?」
「体積です」
「関係ない!!!」

「では王女様。現在この国の面積はここからここまで」
「求めろって?」
「ですが、」
「引っ掛け?!」
「三年後はどうなっているでしょう」
「変わんない」
「何を仰いますか!! 三年後はこの国を攻め滅ぼして今の国土の20%を手に入れて……」
「どこの回し者だ!!」

「いえ、個人的な事情でこの国を滅ぼしてほしいなぁなんて、思っておりませんよ?」
「悪巧みなら藺志に言って頂戴」
「そう、かわいいかわいい姪っ子がこの国の男に嫁いだ挙句妻にこの国に逃げ込まれたからといってたぶらかした王族の男を締め殺……刺し違えようなんて考えておりませんよ」
「自分は生き残る道を選んだのね」

「寝る間を惜しんで円周率のすばらしさを語っただけですよ」
「毎晩?」
「もちろん」
「……どこで」
「それは、王女様。まだまだ知らなくていい世界ですよ」
「純粋にノイローゼになりそうよね」

「そういえば王女様、そこのゴミ箱ですが」
「ゴミ箱がどうしたのよ」
「あと20p高さをあげれば侍女の仕事も減るでしょうね」
「………どういう意味よ」
「あなたの落書きがかさばるというお話です」
「最近は糸くずしか捨ててないわよ」

「こんなに紙を無駄にして、これを全部敷き詰めたらどのくらいの面積になると思っているのですか」
「私が書いたんじゃない」
「何を仰いますか、王女様とあろう方が落書き以外に紙の無駄遣いですか」
「別に無駄にしてないわ。燃やして肥料にするもの」
「紙は文字を書いてこそ紙としての機能を果たすのですよ! それを放火など……」
「勝手に送りつけてくる求婚の手紙まで私のものじゃない!!」

「いいですね王女様、この部分の面積を求めるのですよ」
「意味ない、役に立たない」
「王女様。そんなことで将来面積マスターになれると思っているのですか!!」
「だれもなりたいと言ってない!!」



 日も暮れて夕食の時間。若干やせ細った王女様が食堂に現れる。すでに椅子についていた王子は気にした様子もなく問いかけた。
「ぁあおつかれ、どうだった」
「もう会いたくない」
「じゃぁ来年も呼ぶとするか」
「いじめ!?」
「でないと氷菓子がやってこないぞ?」
 王女の頭の中で甘いものと数学が天秤にかかることはなかった。だって、答えは決まっているから。


 そんな数学の先生は、帰り際にこう言ったらしい。
「そうそう、円周率の暗記は宿題ですよ」


別に歌夜は数学マニアじゃありません。
おまけ
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