〜手紙を残して逃走だ!〜 前編


『そりゃぁね、私だって自覚しているつもりよ。この国のための女王であること。この国の民のための女王である事。義務と責任。すべき事こなす事やり遂げる事。
でもね、ちょっと。
なんだって婚儀の次の日の議題の書類の日付がまるまる一月分は前なのかしら?

私をそんなにいらだたせたいのね。さすがに怒ったわ。婚儀があるからっていつもより頑張って書類も何もかも終わらせたのに、あんた達、なによあれ。
ちょっとは、ってゆうよりも与えられた分はきっちりとこなせ。

ってことで、弦鋼(げんこう)と出かけてくるわ。
新婚旅行――とか。不思議な響きよね。楽しみだわ。
あ、そうそう。帰ってきたときに1度でも行政が傾いていたら、

一生、呪うわよ?

手始めに、この世に生きる場所はないって事を思い知らせてあげる。
え? それじゃあ死んだんじゃないのかって?

そんな簡単には、殺してあげないわよ。

じゃぁね、いってきま〜す!
藺宇(いう)』



 そんな手紙を、もぬけの殻の女王と夫の部屋に、二人を朝起こしに来た茉衣莉(まいり)が見つけたのは、婚儀から二日後だった。





「燕雅(えんが)副隊長!」
「おう、どうした? 弦鋼は女王と愛の逃避行だろ?」
「いえ、ではなく……」
「違うのかよ」
「いえ、その話題で持ちきりってなんで知ってらっしゃるので?」
「でなんか問題か?」
「あ、はいそれが―――実は、」

 この城の中に、確かに女王と弦鋼様はいらっしゃらないようなのですが……
 なんでも、侍女の茉衣莉が言うには、王子様。いえ、藺志(いし)様もお姿が見られないそうなのです。

「………さて、訓練を始めるか」
「よいのですか?」
「何言ってんだ。かかわらないほうが身のためだぞ」
「………」
 あえて否定しない。そんな、この国の兵士達。



 所変わって、ここは海の近く。露天商が立ち並ぶ道に向かう道。暖かい気候に合わせて薄着にサンダル姿の女性と、一見すればそうでないような気がするようで、やはり軍服にしか見えない男性が歩いていた。

「ねぇ! あれは何!?」
 お世辞にも、あまりお金を払って物を買うという理論はわかってもいまいち実践に役に立たない女王が道の先の目立つものに向かう。さっきまで渡し場の案内人と、怪しいみやげ物売りと言い争っていたのが嘘のようだ。―――いや、前者はお金を払い損ねただけなのだが。後者はもっとひどい、これはもっと安いはずだという、値切りを通り越した、脅し。商人は撃沈。
 ほおって置けば、また被害が拡大する……

「――お待ち下さい、女王!」

――――ピタッ
 その言葉に、むしろ女王の行動が止まってしまったのかと思うぐらい、女王は立ちつくした。
 弦鋼の背に、冷や汗が落ちる。―――なんだ? いったい、何事……
 ずかずかとこちらに向かって戻ってくる女王。一歩たりとも、足を引く事は許されない。
 目の前で止まる、当たり前だが。

「――私の名前を、忘れたとは言わせないわ」

「は……?」
「せっかく大臣共を脅しつけ……黙らせてきたって言うのに、あなたが“女王”だなんて言ったら台無(だいな)しでしょう?」
 それは、そうだ。って、脅したという自覚はあるのか。
「―――“恋愛”は藺志(いし)がしてくれるから、私は望まない。だけど」
 だって、私は女王であるんだもの。この国のために、人々の未来のために。
 低い身長から、見下ろされている気分だ。

 でも、
 だが、やはり幼い。

「それでも人並みには幸せを感じたいのよ?」
「………ですが」
「それに、呼んだことがないとは言わせない」
 私の名前を。
「―――っ聞いて!?」
「さぁね」
 夢に届いたと言ったら、笑う?

「私の名前は?」
「藺宇、様」
 嬉しそうに笑う顔が眩しくて、立ちつくす。―――置いてかれた。




「何あれ!?」
「ぁあ、大道芸ですね」
「あっちわ!?」
「果実から直接汁を飲むもので……一つ買いましょう」
「―――甘い!!!」
「………」
「あの店は?」
「あれは……服屋ですね」
「へぇ」
 見るものすべてが初めてだというように、藺宇はあっちに向かいこっちに向かい。はしゃぐ。――元気だ。
 別に弦鋼の体力が追いつかないとかそんなことは問題ではない。ただ、精神的に疲れるというか。
「じょっ! そこには段差が!」
「うわ! っと」
 目を離すと何をしでかすかわからない、いろんな意味で……ででで、
「何するんですか」
 にゅっと伸ばした手でほっぺたをつかまれて引っ張られる。
「なんか、馬鹿にした?」
「いえ」
 そんなつもりは……
「放してください」
 ひりひりと痛む頬を押さえ、ふと提案した。
「海に行きませんか?」
「海!!? 行く!」

 太陽より眩しいと、言ってもよかった。

「海、だーーー!!」
「来られるのははじめて―――」
 ですか? と言う言葉は続かなかった。一直線に走って海に向かう藺宇。それまではまだいい。許す。しかし、
「わーー!! きゃぁ!!」
ばしゃん!
「藺宇!」
 海の中でこけたのを見てあわてて走りよる。すべったのか?
「ぬぅ……」
 ずぶ濡れで上がってくる藺宇。ぽたぽたと水がおちる。
「………」
 さっそく、さっき買った新しい服が役に立ちそうだ。と、考えていたので、反応が遅れた。力いっぱい、藺宇に腕を引かれて、私も海の中におちた。
「わーーい!」
「女王……」
 どうするんですか……
「しらないもーーん!」
 着の身着ままで泳がないで下さい……

 気がすんだらしく、少したってから藺宇が浜辺に上がってくる。

 海で泳いだのは初めてだった。波にさらわれそうになって大変だったけど、なんとかなったし。一向に弦鋼は泳ぎそうもなかったけど、ずっとこっちを見ているのがわかる。ちょっと波に沈むと、あわてたようにうろたえているのが面白かった。

 ――――なのに、なんで?
 海から上がるとすぐに早く着替えましょうといい、海水も流さなければなりませんねと言う。ここは海ですし、着替えるための場所は用意してあるはずです。どこか探してきますから待っていてくださいと言って、弦鋼は行ってしまう。

 もう着替えるの? その言葉は、届く事はない。だって、一人で服を選んだのは初めてなんだから。いつもは、藺志の服だし。今日は昨日から悩んで藺志が城下に出かけている時の格好を真似て見たんだけど、やっぱり似合わないのかしら? あの、さっき買った服が役に立たんといわんばかりの顔。それに今は暖かいもの、すぐ乾くわ、きっと。なのに……

 あ〜あ。腕と首の飾りも邪魔でしょうがないわ。取ってしまいたい。婚儀の時も邪魔って言ったら、ないほうが清楚(せいそ)でいいですわねとかいって茉衣莉が取ってくれた。でも普段はするんですよっていうから……してきたんだけど……なぁ。あ!

「あちらで、水と部屋が借りられるそうですので、着替えてください」
 息を切らせて帰ってきた弦鋼が指したのは、飲み物とか売っているみたいな小さな店。ってあなたもずぶ濡れだけど?

 無事だったのは荷物だけ。弦鋼は、着替えは持っているから安心してくださいという。海から上がるときに引っ張られた手がいまだにつながれたまま。数人の人とすれ違う。これから泳ぐみたい。すれ違ったあとも、なんだかまた振り返られる。

 そういえば――私達って、どう見えるのかしら?




「お忍びのお嬢様かい?」
「………」
 否定しきれないわよね……

「娘さんかい?」
「ごふっ!?」
「いいねぇ、私達の娘は、あのくらいになると存在も無視してくれていたよ…」
 きらりと目に涙が光れば、なんとも反応を返しにくい。
(“妻”だと言ったら、どれだけ驚いてくれるのだろうか……)
 そんな弦鋼の思考を余所に、海水を洗い落とし新しい服に着替えた藺宇がやってきた。

 二人とも、一抹の不安を覚えて店をあとにする。

((本当に、そう見えるのか?))
 ちらりと隣を窺(うかが)えば、目が合って気まずくなった。



 すっかり遅くなってしまった昼食は海の近くらしく魚料理で、こんなとき好き嫌いのそうない藺宇の嗜好(しこう)をありがたく思う。
「おいしい」
「それは、よかった」
「それは! それ何!?」
 元気よくこちらの頼んだものにも興味を引かれている藺宇。よかった、これで気まずさから開放されたい。
 料理はとてもおいしい。魚と貝中心で。特に藺宇が好んだのはカルパッチョ。
「藺志は嫌いなのよ、これ」
「そうなんですか」
 二人分にしては注文が多かったかと思ったが、問題なかった。




 夕方に差し掛かり、これからどうしたものかと悩んでいると、海に入って思いのほか消耗(しょうもう)したらしい藺宇が疲れたという。
 藺宇が着替えている間に暗記した地図を思い返し、昼食のときに情報得て決めた宿屋に向かう。


 なんでも混んでいるらしく、部屋は一つしか空いていなかった。


「へーー」
 鍵をもらって、不思議そうに眺めている藺宇。
「こっちだ」
 案内図を見てもいない。まったく。
 逆方向に進みそうな藺宇の手を引いて、弦鋼は部屋に向かった。

「開けていい?」
 わくわくと効果音が聞こえそうに問いかけられば、というか、こちらに拒否権はないと思うが……
「どうぞ」
「わーい」

 がちゃりと、鍵が差し込まれ、回る。扉を開いて中に踏み込めば――……

「いよぅ! 遅かったな!」
 瞬間の藺宇の怒りと行動の速さについては、何か、見てはいけなかったものを感じる……
「わぁ! かわいい部屋!」
 王子を開いてカーテンのはためいていた窓に向かって投げ飛ばして(ここは三階)、何事もなかった……なかった、です。同意を求めてくる藺宇の言葉にうなずく。

 何か、嫌な予感が消えないが。





「わ〜い! お夕飯!」
「だから、何してるのよ」
「ひどいわぁ藺宇ったら、私のことが嫌いなのぉ?」
 そう言って、向かいの席に座る女性――いや、藺志王子だ。確かに。しかし、
「それ、私の服」
「借りた。だって、似合うだろ」
 相変わらず女装……。ちなみに、女王が立ってからも王子の格好は女装九割。
「……」
 そして、無傷。さっき、窓から落ちたはずなのだが……。そして、普段なら、別になんてことないはずなのだが……。黒い。藺宇のうしろに魔人が……いる。

「お待たせしました!」
「え゛? 俺魚嫌い」
「だったら帰れーーー!!!」

 簀巻(すま)きにして魚と一緒に藺志様を藺宇は城に送りつけた。




「おやまぁ、お前。見てごらん」
「あら、あれは昼間のお嬢様ね」
「そうか、双子の娘さんだったのか、うらやましいのぅ」
 そう言った海の店の店主の目に、涙が光った。




「なんなの!!!?」
「さぁ……」
 王子の神出鬼没っぷりが、こんな所で繁栄されている……。待て、燕雅はいったい何をしている?

 どうやら相当エネルギーを消費したらしく、藺宇はむしろ昼間の倍は食べていた。


 部屋に帰ると、いつの間にか夜用に室内の明かりが灯されていた。開いている窓からは活気ある声が聞こえる。
 それにひかれるように藺宇は窓まで行って下を覗き込んでいる。潮風が髪と、スカートの裾をはためかす。明るすぎない程度に照らされた室内。さっき、下の食事場で女性にサービスだと配られていた花が耳の少し上に刺さっている。

 ほけっと、下の光景に視線を奪われている藺宇の様子に少し嫉妬(しっと)した。それに、ずっと感じていた事。
「……藺宇」
 ゆっくりと、近づいた。
「なっな何?」
 近づいてきてるなーーとは思った。けどさぁ! うしろから抱きすくめられたのは初めてだった。驚いて声が裏返る。今まであんまり意識した事なかったし、使えるから容赦(ようしゃ)なく使ってきたけど。………男の、人だ。私よりも大きな手、強い力。私が、藺志代わりが出来た事なんて奇跡みたい。

「今日―――いや、」

 だから、何!! 早く言ってよ!
 藺宇の心臓の鼓動が早いのが聞こえる。

「あの日から、私の名呼んで下さいませんが」
「――っ!」

 なんで気にしてるのよーー!!

「それはっ!」
「?」
 勢いよく振り返って、顔を見る。―――近い。ほほが熱くなる。やだもう……なんで?

「藺宇」
 また名前を呼ばれる―――ずるい。
「ずるいっ!」
「は?」
 予想だにしなかった言葉に問い返す。あわてふためいた表情に小さな怒りが浮かんでいた。
「ずるいずるい!」
 なんで、そんなに大人なのよ!
 いつから、こんなにわがままになったのだろう。今まで、こんなにわがままであったことがあっただろうか?
「私は、」
 わたし、は……
 今まで誰にも負けるはずなかった、負けてはいけなかった。王の代わりとして国をまとめる事にも、ともすれば国を破滅に導きそうな大臣達を扱うのも。全部、一人。すべて行なってきたし、問題もなかった。
 なのに……

 なのに今、なぜこうも敵わないと感じてしまうのだろう?

 ぼろぼろと泣き出した藺宇を見て、弦鋼は焦った。―――そんなに、嫌だったのだろうか。それはそれで寂しいのだが、そんなことを言っている場合ではない。

「………」
 ―――って、何を言えばいいのだ?

 そういえば燕雅がひとつ言っておきますけどと言う隣で茉衣莉がうんうんと頷いていた。……いつの間に仲良くなったんだあの二人……まぁ、それはいいとして、「隊長が乙女心をわかることは出来ないでしょうけど、せめて服装の一つでもほめるんですよ」と言っていたが何も言っていない……その所為(せい)なのか!?

 どうしようもなく、とりあえず抱き上げて寝台の端に座らせる。ほおを伝う涙は透明で、ぱたぱたとシーツに吸い込まれていく。

 王子でいたとき……だと思う頃より細身に、実際に細い身体を抱き寄せる。ふわりと、花の香りが鼻をくすぐった。よくよく見れば王女――わけがわからなくなってきたが、この服も、さっきの服も嫌いではない。どちらかといえば朝着ていた服を着ているほうが好きだ。腕と首にかけられた装飾品が光る。足下のサンダルはシンプルなものだが、色使いに好感が持てた。いや、それを言うなら、朝会った瞬間から―――

「はっく、ひっく……」
 すすり泣きに声が加わって、はっと戻ってきた。危ない、どこに行く気だったのだ、私は?
「なんで……」
「はい」
「なんでそうも落ち着いてるのよぉ!! ―――きゃぁ!」
 ―――まずい、と思う。誰が落ち着いているのだ! と叫ぶ代わりにもみ合うように押し倒していた。
「………弦鋼?」
 ここで、呼びますか?
 はぁっと、ため息をついて寝台に横たわった藺宇の耳に口を寄せる。

「誰が、落ち着いていると?」

 ぞくっと、した。なんだかわからないけど。それが恐ろしいのか嬉しいのか、逃げるべきなのか泣くべきなのか騒ぐべきなのかわからない。ただ、ただ何も考えられない。
「「………」」
 ふと見れば涙は止まっていて、あとだけが残っている。舌打ちをしてそれを拭い去ると、赤い目でこちらを睨む――その目。

 いったい、誰が落ち着いているというのだ。―――最初から。



※ ※ ※



 日差しを感じる。こんな時でもなんでも、起きる時間に変化がない事が少し疎ましく思う。隣に眠る藺宇は寝たいだけ眠るらしく、まだ起きる気配もない。普段ならあと半刻で起こされている。
「………」
 同じ寝台にいるというのに遠く感じる距離を縮めたくて、腕の中に抱きしめるように藺宇を引き寄せる。―――まだ、彼女が起きるまでは眠ろう。




「………」
 きっと寝ていてもわかる。腕の中で藺宇が目覚めようとしている。もう少し引き寄せると、今度こそはっきりと身じろいだ。
「―――?」
 ぼけっと、こちらを焦点の合わぬ目で見つめてくる。もう、この女王と王子を間違える事はないと思う。―――たぶん。
「……弦っ」
 “名”を呼ぶことを遮って、いや、口の中に運ぶ。
 呼べって言ったのにーーー!!! 聞いてくれないじゃない!!
「――? どうかしましたか?」
 途端に、不機嫌となっている。
「べつーーに……」
 そこまで言って、藺宇はようやく起きた頭で現状を確認した。
「―――っ!!!? やっ!」
 はっきりとした意志で腕から逃れようとするので、力をこめて押さえつける。
「イタイっ!」
 力が加わりすぎたのは自覚したが、放したくない。我ながら、いつの間にこんなにも気持ちが膨らんでいた事に驚く。藺宇を渡したくないと。
「やだってばぁ!」
 素肌同士が触れ合って、弦鋼の胸に顔をうずめるような格好の藺宇。
「そんなに、嫌ですか?」
 なんでこんな時だけ小動物っぽいのよ!! がばっと顔を上げて、あわてて逸らした。

「………恥ずかしい……」

「………」
 逃げる意思がない事を確認できたと言わんばかりに、弦鋼は藺宇を手放した。すぐさま起き上がる藺宇の髪を、指で追いながら。
 さらっとシーツがおちていくのを感じて、あわてて引き寄せる。確か、ここの宿は温泉入り放題! だったはず。
 立ち上がって早々に服を着込む藺宇に、不思議そうに弦鋼は声をかけた。
「どちらまで?」
「お風呂」
「――――ぁあ、混浴の?」
「………狙ってくれる」
「偶然です」
「〜〜〜〜〜!!!!」
 目の前にあった花瓶を投げつけた。やっぱり、敵わないなぁと思う。悔しいから、今日も明日もこれからずっと、城に帰ったらいじめてあげるわ。盛大にね!!
 どうも、藺宇の顔が黒い。少し、失敗したかと思う。まぁ、こき使われるのはいつもの事だ。

 そんな安直な思いを、城に帰ってから激しく弦鋼が後悔する事になるのは、誰にも知られなかった話。


後編に続く。

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