〜続・おうじょ様の夏の宿題〜


ちりりりーん
 夏の風物詩と言える、ガラス細工が鳴る。そよ風と言えない生ぬるい風を受けて、ふたりの人物がテーブルを挟んで向かい合っていた。
 テーブルの上には、白乳色の山が、同じくガラスの器に盛られている。
ちりりりーん
 二人は、会話らしいものをはじめたのだろうか?
 すっと伸ばされた、その手には銀のスプーン。さくっと、そのみを崩す――
どがーん!?
「!?」
だだっ
がばっ
かかかかぱっ
「………」
 しーんと、先ほどまで向き合っていた二人の動きが止まります。沈黙です。
 さて、唐突に現れた乱入者も、ふと、動きを止めました。
しーん
 沈黙です。三人のうち、二人の目があったまま沈黙です。
!?
「………?」
 乱入者が、くらりとゆれました。それに目を張った、二人。どちらかが何かを言うよりも、早く――
「騙されないわよ!!!?」
 びしっと、乱入者=彼女は指を指しました。何かに向かって。

 突然扉を蹴破って、(何かを察したのでしょうね。
 目的のものに向かって一直線、(それ以外目に入りませんね
 抵抗したその手の動きをさくっとよけて、(あやうくべしっとたたき落とされそうになりました。
 そして、彼女は気がついてしまったのです。(残念ですね。
 いいえ、気がつかなかったのです。(認めたくないでしょうね。
 なので、両手に氷菓子の器を抱えてかかかぱっと中身をおなかにいれてしまった彼女は考えました。(彼女が物事を考えるなんてなかなかありません。
 ゆっくりと周りの気温に逆らうことなかった氷菓子が、容赦なく消えました。(彼女のはらの中に。

 さて、テーブルを挟んで座っていた二人は、しばらく黙っていました。
 そしてひとりは、それはそれは残念そうに、ため息をつきました。(まるで、何かをあきらめたようなため息でした。でも、それを再認識するには、おそらく遅すぎましたね。
 手遅れですから。

 もうひとりは、呆気にとられていたのが嘘のように、それはもう晴れ晴れしい感じで笑顔でした。
 そして、彼女のびしっと差し出された指をものともせず、(むしろ見えていないといってもいいでしょう。
 消え去った氷菓子に恨みを感じることなく、言いました。
「さぁ王女様。宿題は終わりましたか?」
「3.14ーーー!?」
 氷菓子の器を放り投げた王女様。脱兎のごとく逃げ出しました。
 もちろん、氷菓子の恨みを持った王子様に捕まりましたけどね。




「どーしてぇー世の中では円周率は3で計算するのにぃ〜なんでぇー」
 机に突っ伏した王女様。世の中と私の認識と扱いの間に差があるわぁ〜
 なーんて泣き崩れております。
 だだっこですね。
「王女様」
「いやぁぁーー!?」
「何も言ってませんが」
「ルビが子守歌だったぁーー!!?」
 常識とは言えない読み方です。
「もちろんそのつもりですが、王女様」
「そのつもり!?」
「日々そのくらいまじめに覚えていただければ良かったのに」
 はぁと、数学の先生―エスティはため息をついた。
「世の中と逆行するなんていやーー」
「王女様。円周率の百や二百。覚えられなくてどうしますか」
「百桁もいらないーー!」
「なーにをおっしゃいます。昨年からきちっと宿題をこなしていれば、一日一桁で365桁ですよ」
「一年が365日なんて決まってないもんーー!」
「そんな作者が適当だからって、一年を365日設定にしてないはずだなんて。おそらくそうだとは思いますが。そんな理由は、屁理屈ですね」
「うわぁーん!」
 王女は再び泣いた。
「王女様。近所迷惑ですよ」
「うわーん!」
「うちの娘のほうがよっぽどものわかりがいい」
「いつの間に和解したのよ」
 がばりと起きあがって、王女様食いつきました。
「大人の事情です」
「いやー! のろけと数字にうなされるーー!!」



ちりりーん
 窓際に飾られた風鈴が、涼しげな音を立てます。風流ですね〜
 かりかりとペンを走らせる王子様。その動きは止まりません。一定です。
 しかし、ぴたりと止まりました。何が起こったのでしょう。
 ゆらりと、その視線が動きます。
「た、助けてくれ……い……」
 ばたりと、王子様の執務室の窓の外に現れた腕と手が崩れます。
 ちらりと背後に視線を送った王子様。優秀な護衛に目配せをして立ち上がります。
 その頃にはもう、優秀は護衛は部屋の中に向かって一礼して扉を閉じています。
「てぃっ」
 ちょっといたずらっことほぼ変わらないかわいい声で王子様。心なしかふるえて窓枠にしがみつく手に渾身の一撃(デコピン)です。
「ぎゃあーーっっ」





「あぶねーーぇだろっ落ちたらどうすんだ!」
「扉から入ってこい」
 まっとうな意見に、藺志ががっくりと両手両膝を絨毯に押しつけてへこみます。
 効果音的にはずごーんです。
「それにしてもあんた、何してるのよこんな所で」
 このままでもうざったいと、藺宇が声をかけました。
「そうだよ藺宇! 聞け!」
 藺志は復活して拳を振り上げた。しかし、再び藺宇が口を開きました。
「あんたの予定は、午前中がのろけでお昼が計算でおやつがのろけで夕飯が台形でお風呂で83527秒数えて子守歌が円周率なのよ」
「お前の差し金かーー!!!」
 その格好にそぐわない大声、怒声で王女様―藺志が叫びます。
「ぇえ? なんのこと?」
「いででででdぇいでででっすんません! ごめんなさい!」
「大切なのよ。そういう気持ちって」
「俺が何をしたーー」
「何をした?」
 ゆららん、ピカリーンと王子様―藺宇の目が光ります。
 藺志が一歩と言わずずざざっと飛び退きました。と、続きませんでした。
 だって、つかまったし。
「なんですって? この口は?」
「いひゃいひゃいいいいひゃっ!?」
「ごめんなさいは?」
「ひゃひはははー!」
「私の氷菓子を食べようなんて、いい度胸ね」
 あ、もう食べちゃったのよねという死刑申告を、藺志は聞いておりませんでした。青ざめすぎて、さぁ大変!
「やっぱり、かまゆでよねっ」
 何をとは、聞けない。


 さて、簀巻きにされて連れて行かれた先のお昼は、計算でした。
「ほら王女様。夏休み特別スーパー講習メニューいちまるにいさん! のビバッ☆ エンドレス計算ですよ!」
 ただひたすらに足し算と引き算とわり算と連立方程式を解いていく。
 ただそれだけ。
 ぇえそれだけです。なんたって、エスティ先生が即席で問題をつくってそれを王女様が解いていくのですから。隣り合わせで。
「……死んじゃう……」


 おやつはのろけです。
「うちの娘がね〜」
「ぁあはいはい」
「うちの奥さんが……」
「ぁあはいはい」
 もう燃え尽きた王女様。机に突っ伏したままエスティの言葉に応えます。
「王女様、そこは手を叩いて三回回ってすてきねっオーラをかもし出しつつルートの2とルートの6を足すところですよ」
「できるかっ!?」
「答えは2とルートの2ですよ」
「そっちじゃないから!!」
「王女様。こんな単純な計算もできなくなってしまったのですか!? この一年間! 何を復習していたのです! それでもかいの自乗マスター(初級)を目指す勇者ですか!?」
「面積は!?」


 夕食は台形です。……台形?
「台形はですね王女様」
「裾の広がり具合のバランスなんでしょ」
「王女様。それは面積マスター(準級)の模範解答ですね」
「極めたくないのに……」
 しかも準級。微妙に階段を上ってます。順調に?
「昨年の最後に出した、『台形と認めるバランス』という本が大ヒットいたしまして」
「……へぇ」
「『もっとも美しい数字の並び』と『だから数字は美しいに』並ぶどころか!」
「売れちゃったんだ……」
 がっくりと、王女様は頭を落としました。テーブルに落ちてゴンと音が立ちます。
 先ほどから運ばれてくる暖かい料理の湯気が、徐々に減り、冷めていきます。
 夕食を目の前にして台形の話しに相づちを打つのでいっこうに料理が食べられない王女様。
 フォークを持ったその瞬間にはじまる台形の嵐。これはどういうことでしょうね。
 ちなみにその正面で、無言の王子様がもくもくと夕飯を食べておりましたとさ。


「ひゃくにじゅうにー」
 さて、王女様(藺志)、お風呂です。基本長風呂なので、問題ないかと思いきや……
「せんにじゅうはちーせんにじゅうきゅー……」
 9というより、ばたんきゅーしそうです。
 なんたって、
「83527!」
 その頃、与えられた客間でその数を数え終えたエスティがいるのですから。
 どうやってのでしょうね。きっとエスティにしてみれば、数を数えることなど早口言葉と同じなのでしょうね。
「にせんろっぴゃくー」
 はぁと、王女様。ため息をつきました。見渡しても誰もいない風呂場、ちらりとよぎります。
(ばれねんでねぇか?)
 ここで、終えても。
 ざぱりと、藺志の体が浮上します。その時、
「あと八万一千九百二十七」
「ぎゃーー!!!?」
 藺志は逃げ出した。


「さて王女様」
「四面楚歌ーー!!!」
「今は古典の勉強ではありません」
「嫌いそうよね」
「王女様、四字熟語より、数字の並びの持つあの永遠に割り切れないという宿命がわからないというのですか!? 曲がりなりとも円周率マスターを志すものとしてそれはあり得ません!!」
「だから目指してないって何回言ったらいいの?」
 王女様の声は弱々しかった。ここにきて戦略を変えてみたようだが、
「さぁ王女様。さっさと寝てください。もちろん眠った後も円周率は朗読してあげますから」
「いやぁーー!!!?」
 エスティの片手には、『円周率が大好きなミミちゃん』という本があった。
「なによそれ」
 ずびしと、王女様が指さしました。
「王女様。恥ずかしながら、妻が書きました」
「本当にアホ毛が数字をかたどっていたんだ……」
「ん? なんのことです?」
「こっちの話」
「……?」
 エスティは一瞬首を傾げた。そこには口を開いて数字の話をしなければ美男子、がいた。
 だがしかし妻子持ち、ついでに藺志は男。ちなみにネグリジェはふりふりで布地たっぷりでいろんなものを隠していました。
 もちろん花柄で。王女様のナイトキャップも花柄です。三角ですけどね。
 ぽすっと、ぐったりつかれた王女様はお日様のニオイのする寝台に潜り込みました。
 習慣って、すごいですね。怖いですね。最悪ですね。
 王女様が「はぁっ!」と気がついた時にはすでに遅し、エスティ先生はすばらしい神業で王女様の寝台の下を通して、布団の上を通して、ひもでぐるぐる巻きにしました。
「ぎゃぁーー!!? たすけてーー!!?」
「さぁ王女様、おやすみなさい」
 にっこりと、数学の先生はほほえみました。

 もちろん、本の一ページ目の出だしは、3.14ですよ。



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