雨の日


「雨、ね」
「雨ですね!!」
「……」
 後ろから聞こえた、楽観的な声。
 セネカは、まるで人形のように首をぎしぎしといわせながら、この世の存在ではない物の気配を察したような顔で振り返った。

 そして見た――頭に花を咲かせた自分の侍女。エルモアを。
 その彼女は、自分の主の行動に首を傾けていた。

「……ぁあ、あんたが早く着たから雨が降ったのね」
「どぅいうことですかぁ!!?」
 いきなりの言いように、憤慨するエルモア。
「覚えがないの?」
 普段、絶対に私が起きるときにはいないし。ってか本当になんでいるのよ。気が散るわ。
 三白眼で、セネカはエルモアを睨みつけた。
「何をおっしゃるんですかセネカ様! 私はいつもセネカ様の朝の御手伝いをさせていただこうと……」
「して寝ているのね」
「違いますぅ!」
「なら永眠?」
「いつまでそのネタ引っ張るんですかぁ〜古いですぅ!?」
「……それしかないじゃない。ぁあ、死にたかったのね」
 にっこりと、笑顔。
「セネカ様!? そのテーブル結構重いんですよぉっ!?」
「鍛え方が違うもの」
「ぁあ〜! 確かに」
「なんですってぇ!?」
「何で怒るんですかぁ!?」
「まったく! あなたが早く起きるから雨が降ったでしょう!?」
「私は雨女じゃありませんっ! 晴れ女ですぅ!」
「なら雨止ませて」
「無理ですぅ!」
「……ぁあ゛!?」
「うっうう……ごめんなさい……」
「まぁいいわ。どうでも」
 あっさりとセネカは窓から視線を外した。
「ほら働いた働いた。お茶」
「ぇええ゛!!?」
「――何よ」
「だって、だってセネカ様。目覚めの一杯は“生卵”じゃなかったんですか!?」
「………」

 とりあえず、その思考にいたった経緯(いきさつ)を述べてくれるかしら? 詳しく。

「なのでちゃんと用意してきました! どうぞ!」
 コップにご丁寧に、生卵。
「お茶」
「ななんでですかぁーー!!?」
 ずががーんと、岩が降ってきたようにショックを受けたエルモア。
「ひっひどいセネカ様。世の中には食べることもできない子どももいるのに。せっかく! 私が朝一番に取って来た卵なのに! まさに新鮮取れたてっ!」
 つまり、また鶏を襲ってきたのね。――朝食は無事? 今日はスコッチエッグが食べたいのよ?
「味付けもできるように! 砂糖とどっかの国の赤い粉とジャムとこしょうとタイムとパセリとお水を持ってきたのにっ!?」
「水で何を味付けるのよ」
 それか!!? 明らかに調味料としておかしいのあったでしょう!?
「ううう……ほら見てくださいよぉ〜黄身もまんまる〜つやがあってはりがあるんですよぉ〜」
 何を求めるんだ。
「どうぞ! セネカ様」
「飲めば?」
「ほんとですかぁ!!?」
 ぱぁっと顔を輝かせた。
「やっぱり目覚めの一杯はこれですぅ〜」

 目をそらしたセネカは、再び窓の外を見た。
 暗雲が立ち込めて、暗い。それはもうドロドロとした雲が。セネカの心情を代弁するようだった。

 その後ろで、腰に手をあててエルモアが生卵を飲み込んでいる。

「……“雲(クラウド)”ね」

「――!」
 小さな小さな呟きを、耳をでかくして聞いたエルモア。ピーンとひらめき、飲み干したカップを持ったまま酔っ払いのごとくセネカに近づいた。
「なんですかなんですかセネカ様ぁ〜」
「何よ」
「そうですよねぇ〜新婚ですものねぇ〜」
「……」
「ぁあいいんです! 何も言わなくても!」
「何が」
「まったまたぁ〜セネカ様ったらぁ〜」
 バンバンと、容赦なくセネカの背中を叩くエルモア。
「昨日の夜も、愛を交わしたんですね!!」
 ピシリと、セネカの顔に青筋が浮かんだ。
「もぉ〜セネカ様ったらぁ〜て・れ・や・さっ――ぶぼげほげぇ!!?」


「――あら、今何かが溺れていくような効果音が?」
 鈴のように軽く響く声だった。
「気のせいね。さ、行きましょ」

 セネカは、一人食堂に向かった。






「おはよう」
「――おはよう」
 大体そうだが、国王はセネカより早く起きている。朝議は朝食のあと行なわれるから、その間自主的に政務をしていることになる。
 細長いテーブルの端と端に座って、二人は食事を取る。
 結局お茶を飲むことができなかったセネカに飲み物が出される。
 喉を潤すことを目的としたお茶で、少し薄めである。ふんわりと上る湯気を眺めながら、セネカがお茶を飲み干す。
 給仕達の目配せによって、朝食の準備が始まる。
「――で?」
 セネカは、視線を上げた。
 国王の後ろに、普段ならいないはずの軍服の男が二人。国王直属の護衛ではなく、この城の兵士を統括している人だ。
「今日は軍の訓練を見学すると言っただろう? それが雨で中止になった」
 視線を感じて、国王が言った。
「雨で?」
 たかが雨だ。こう言ってはなんだが、戦場で雨が降ったからと言って戦いが終わるわけじゃない。
「心配する事じゃない。――ただ雨の中“王妃”が見学するのは侍女達の危惧を増やすだけだ」
 軍の訓練だ、雨だろうが雪だろうが行なわれる。問題はそこではない。
 それを見学する“王妃”のために、いったいどれだけ、雨よけを必要とするのだろうか?
 ぬかるんだ足下、跳ねる泥。
「そんなこと?」
 セネカは心底呆れていた。
「それで、謝罪だそうだ」
 国王は一人を振り返った。
「おはようございます。王妃様は今日もご機嫌麗しいようで」
 そうね、朝から生卵を飲むことになってなきゃ麗しいわ。
「本日予定していた視察ですが、あいにくの天気ですので真に勝手ながら延期にさせていただく旨を陛下に進言しました」
「なぜ?」
「この雨の中です。ご婦人には辛いかと、思いまして」
 別に、ドレスに泥が跳ねたぐらいで首落としたりしないわよ?
「世間一般論だ」
 国王の一言。
「それが何」
「別に、お前に当てはまると思ってはいない」
「……」
 ひーーと、回りでは零下の温度を感じて兵士や給仕たちが青ざめていた。
 あいにくとその夫婦の間の緊迫感を察せなかった男は、言った。
「ですから、陛下に延期を。と進言しました」
「――そうですか」
 セネカは、氷のように微笑んだ。
 あいかわらず、軍人の男は気がつかない。
「お気遣い感謝いたします、ディスペル隊長」
「どうぞディスペルとお呼び下さい」

 そしてセネカの後ろのブリザードに気がつかないまま、ディスペルは食堂を去った。

(つまり、今日の暇つぶしがなくなったってことね)

 セネカの結論は非情だった。



 気を取り直した給仕が食事を運んできて、暖かいスープに口をつける。

 と、
「扉の鍵は!?」
「セネカさーーまぁーー」
 荒々しくセネカが振り返るのと、扉を蹴破ってエルモアが入ってくるのは同時だった。

 その場の人々が何よりも驚いたのは、この王妃は相変わらず自分の侍女を部屋から追い出すのか!? という事であったらしい。

「見てください見てください!」
 とたたたーと、走ってセネカの横に向かうエルモア。
「………」
 セネカはフォークを準備していた。
「カエルを捕まえてきました!」

 “捕まって”来たのか!!?

 と思いたくなるほど、エルモアの状況はすごかった。
 手の中に捕まえていた蛙はまだいい。
 問題は、エルモアの髪の中、肩の上、ポケットに、所狭しに潜んでいる蛙の存在に、本人が、気がついていないことだ。絶対。

「私、食事中」
 セネカのフォークは、もう呆れてものも言えないというように料理に向かった。
「ぇえ〜かわいいんですよぉ〜」
 テーブルの上に置くエルモア。
「ほらぁ〜セネカ様ぁ〜」
「……」
 コトリと、セネカはフォークを置いた。
 わくわく、きらきらと、期待に胸を弾ませて目を輝かせるエルモア。
「そういえば昔――これくらいの蛙を捕まえて」
 そう言って、目の前の蛙の片足をつまんで持ち上げる。
 逆さまで宙に浮いた蛙が、あっぷあっぷともがいている。

「焚き火の上で炙(あぶ)って遊んだわね」

 それかもしくはよく湧いたお湯の上に――とセネカが続ける前に、猛烈な勢いでエルモアは蛙を死守した。
「なっなんて恐ろしい事をセネカ様!!」
 蛙を抱き寄せて、涙目のエルモア。
「かわいそうですよ! いじめですよ!! 虐待ですよ!!? はっ! まさか他の動物も生贄に……」
「何言ってんの。沼で安穏に暮らすおたまじゃくしを大量に捕まえて川の激流に叩き込んだくらいよ?」
 ひーーとエルモアが青ざめた。
「その頃から素質があったんですね!」
 実は、この言葉にはセネカを除く一同が同意していた。

「………」
 いったい誰に、なんの素質が、いつから備わっているって?

「天国のカエルさんに謝るんですぅ〜!」
 いや、その時はまだおたまじゃくし。
「その前にあなたが私に謝る事は多々あるわよ」
 存在とか。
「ううう〜カエルさんをいじめるなんて! 今度セネカ様の寝台にカエルさんいっぱい潜ませますよぉ!」
「一緒に埋めるから」
「えっと、えっと、大きい子を連れてきて引き出しに入れますよ!!」
 古風だ。
「そういえば、食べるとおいしいらしいわね」
 がごががーーんと、エルモア大ショック。
「ひどいですセネカ様!」
「なんでよ」
「やっぱり血が騒ぐんですね! っきゃーーカエルさん!?」
 エルモアが何か言う前に、セネカは蛙をむんずとつかんでガタッと立ち上がって、振りかぶって窓の外に放り投げた。
 ちなみに、木の幹にあたっている。
「なんてことするんですかぁ!?」
「一緒に戯(たわむ)れてくるといいわっ」
 一生。
「はぁっ!? セネカ様! それいい案です〜!」
 マジで!? 兵士達も給仕も目をむいた。
「いってきま〜す!」
 セネカの後ろの不穏な空気を全く知る由もなく。窓から、エルモアは出て行った。



 一緒に冬眠してくればいいんだわ。と、呟いたセネカはぱんぱんと手を払って、再び席に着く。
 すると目の前には、頭を抱えた国王。
「――どうしたのよ?」
「いや、ちょっと思い出して……」
 彼は蛙がトラウマのようだった。



蛙ネタ多いなぁ。

2007.06.25