人魚姫


 ――海に身を投げたお姫さまは、泡となって、消えてしまいました――


「うっ……うう゛……ぐずっ……ぐずっ。うわぁ〜ん!!」
「ちょっと、エルモア。人の部屋で本をもって大泣きしないでくれる」
 私の部屋の床が汚れるから。
「だって〜〜〜ぜねがさま〜〜!!」
 ズガンと、人が顔面から床に倒れこむ音がした。
「なによ」
 ぱんっぱんっと、ドレスの裾の埃をはらって、セネカが言う。
「……うっうう……お姫さま泡になって死んじゃうんですよーー」
「そうね」
「ううう、かわいそうですーー」
「そうかもね」
 だーーと、両目から涙を流すエルモア。もうぐしょぐきょだ。先ほどセネカに泣きつこうとして避けられ、今は近づけないように足で追い払われている。
「ぐすっ王子様を殺さなければ自分が死んでしまうのに王子様を刺さなかったんですよ〜〜……」
「そうなのね」
「王子様を愛していたからこそ! 自分は海の中に身を投げるんですよーー」
 だだだーーと、再び涙が流れる。床の絨毯は湿っている。
「そうだったのね」
「足は大地を歩くたびに痛んで、歌声はなくて」
「よく頑張ったわね」
 何、その状況。
「しかも! 他国のセネカ様のように腹ぐっっっ!? ……ちゃっかりしたお姫様に王子様は奪われてしまうし!!」
「とろかったのかしら?」
 はたはたと手を振ってセネカ。テーブルの上や壁にかけてあったはずの物が減っている。増えているのは残骸(ざんがい)。
「うわぁ〜ん! 姫がーー!!」
 セネカ様の毒牙にーー!
「…………」
 うるさいわね……まったく。
「ひぐっ……痛いですーー心がくじけますーー」
「和(なご)みなさいよ。童話で」
「うううっ……愛の物語が……」
「自滅でしょ?」
「ゼネカさまーーー!!? 感動したことないんですかーー!?」
「あるわよ」
「エリス様にカエルを送りつけた時ですか?」
「それは、感激」
 むしろほくそ笑み?
「ルシークスの国王陛下にお土産を送った時ですか?」
 中身はもちろん。お父様の嫌いな物。残さずに食べてねと添え書き。
「お父様ったら、泣いてよろこんでくれたわ。あれこそ感涙の涙ね」
「あ、それでお返事の手紙が湿っていたのですね!!」
「そうなのよ。涙が溢れてしかたなかったみたいね」
 にっこりと効果音。実際の手紙も、国王の涙で滲んで読めなかったそうだ。自分の大嫌いな食べ物を娘から残さずと食べてねと贈りつけられた国王が流した涙はいかほどか……
「なら、エリス様にお見合いにと肖像画を送りつけた時ですか?」
 たしか、もうすぐ三十半ばになろうかと言うほどの某貴族。……没貴族? が、自分の顔を八割り増し誤魔化して画かせたもの。
「それには、感謝してほしいくらいね」
 ありがたいでしょう。お姉様?
「皮膚にカエルがべたーーって張り付いたときにきゃ〜! って楽しく引っぺがすことですか?」
「それは感覚……感触?」
 条件反射? むしろカエルを見つけたら、捕獲でしょ?
「国王様が、昔のセネカ様はもっと素直で可愛かったって涙を流す事ですか?」
「(どういう意味かしら、お父様? あとで手紙を送らなくちゃ)それは感旧(かんきゅう)」
「エリス様が、もう結婚は無理だと気が付く事ですか?」
「(そうあってほしいわね。早いうちに)それは感(かん)悟(ご)」
「あ、みんなが同じような行動にでたり病気になったりする事ですか? 例えば、セネカ様の子供がセネカ様のように腹黒くなることです!」
「それは感染……どういう意味よ? ぇえ?」
「いだっ!? ううう〜本の角はいたいです〜」
「あ、一緒に燃やしてほしいって?」
「誰もそんな事言ってません〜〜」
「大丈夫、私、深く嘆き悲しんであげるから」
「ホントですかぁ!?」
「ぇえ」
「あ、じゃぁリノル様とアイレ様が黒魔術にはまったことですか?」
「それは……感化?」
 実はルシークスの黒魔術師が一度、城に来たことがある。お父様のもくろみは、愛娘達が夜であるかないように怖がらすつもりが、お姉様二人はくっついていったという話。
「でのそのお二人が、レイネ様に睨まれてへきょ〜ってなっちゃうことですか?」
「それは感服」
 むしろ征服?
「みなさま〜レイネ様に弱いです物ね〜」
「………」
「せ、セネカ様? いたいです……」
「え? それはあなたの感想でしょう?」
 私しらなーい。
「でもセネカ様〜いつ感動したんですかぁ〜?」
「おしえてあげない」
「ん〜〜〜! はっ! わかりました!! 国王様と結婚した時ですね!?」
「………」
「ふふ〜そうだったんですねセネカ様!! なるほど〜ですセネカ様! 感動して声も出ないんですね!!」
ドゴン!!
 王妃の部屋の真下の部屋の天井に、ひびが入った。今度は、例え護衛が大変でも王妃の部屋を一階にするかどうか国王は本気で考えることになった。
「そんなことよりエルモア、お茶の準備は?」
 私、喉が渇いたんだけど。
「あ、そうだ。セネカ様」
「なに」
「もしセネカ様がっ」
「刺すわよ」
ズガガーン!
 エルモアの頭に、雷が落ちた。
「せせせせねかさま!? 国王様への愛は!?」
(殺したら、私にいくら入るかしら……?)
 慌てふためくエルモアを無視して、セネカは計算を始めていた。
「愛なんですよ!? 姫の心を占めたいのは!! そのためなら痛くて痛くてしかたない足も! 失った声も超えられるんですよ!!」
「死んだら取り戻せないしね」
「……そっそれが王子様への愛です!!」
「ふぅん。死んだけど」
「だって! 王子様を刺して自分だけ生き残るなんて!!」
「レイネお姉様に伝えておくわね。その言葉」
「レイネ様は別ですよ〜」
「なんで?」
「だって愛がありませんから!!」
「………そうね」
「せっセネカ様?」
「なぁに?」
「あの、なんでセネカ様は笑顔で、私は窓枠から落ちそうになっているのでしょうか?」
「雨が降りそうだから」
「その基準はどこから?」
「私の心からよ」
「あの、他の理由は?」
「エルモアだから」
「なんでぇ!?」
 なんだって私に正論を説き始めたのかしら? エルモアなのに。
「……せっセネカ様、お茶が飲めなくなりますよっ!」
「(願ったり叶ったり?)……心配してくれるの?」
「はい!!!」
「ありがとう? とりあえず落ちて」
「なんのために!?」
「私の平穏のために」
「ひどいーーーーー!?」

 今日もまた、王妃の部屋の窓からは絶叫と泣き声と高笑いが聞こえてきた。



「今日もさわがしいねぇ〜」
「何がだ、なにが」
 ぅっわ!? 機嫌わる? なんだよーいったい〜昨日の夜王妃の部屋に行ったら追い返されたわけじゃあるまいし。
「黙れ、セズ」
 あれ? 図星?
「今年は豊作が見込めそうだな」
 気象と、産地の穀物の育ち具合の報告書を見て、国王。
「で、お前のほうは?」
「何が言いたい。何が」
 国王の手の中の羽ペンが、折れた。



「まっずっ――デッドオアアライブ?」
「なんですか〜いきなり〜」
 言葉を途中で切って深刻に呟いたセネカの呟きに、エルモアが声を掛ける。
「あなたの存在の話」
「ほへぇ〜?」
 エルモアは首を傾げた。セネカの額に青筋が浮かんだ。
「あ、おいし」
 が、焼き菓子をひとつつまんで噛み砕くセネカ。
「セネカ様〜さっきっからお茶が進んでません〜よぉ?」
「まずいから」
「ひどいですぅ!」
「なにが、どこが?」
「セネカ様の存在?」
 ぁあ。いい天気、エルモアの雑音さえ聞こえてこなければもっといいのに。
 優雅にお茶に口を――つけずに地面に流すセネカの背後で、顔を地面にめり込ませた女の腕がぴくぴくと動いていた。



「陛下、こちらの議題を……」
「わかった」
 打って変わって強固に守られた会議室の中、国王と新大臣と数人の側近がテーブルを囲っていた。
 議題はいろいろある。町の治安。領土。税金。輸入輸出。外交。農業……などなどなど。仕事はつきない。一年中。
「そうだな、これは……」
 さくさくさくと議題は進んでいく。今日は進が早い。
 この会議のあとも執務室に国王は入り浸りだ。



「う〜ん。暇ねえ」
「そ、うですがぁ〜」
 ぎぎぎとめり込んだ地面から抜け出そうともがくエルモア。
「暇ねぇ〜」
「ぐちょっ!?」
 細く長い足。ピンヒールで踏みつけるエルモアの背中。
「いたいです〜〜!!」
 優雅に手に収まる。魚が描かれ、とってに真珠があしらわれたカップ。
(ずいぶんと、皮肉な物を持ち出したわね)
 洒落ているのか、シャレなのか。
(……後者ね)
 だって、エルモアだもの。
「セネカ様〜ぁ」
「なに」
「あの絵本さん、どこからきだんでしょうねぇ〜」
「………」
 いや、知らないから。



 日が暮れて、夜が来る。屋外のテーブルにはもう誰もいない。満開の花はその姿を閉じて、眠りに付く。動物も、空も。
 今度は、月と星の時間。そして梟(ふくろう)が鳴いた。

「……ん〜〜人魚ひめぇ〜……むにゃ……」
 城の人々の中でも、早々と眠りに付いた影。寝台の上でごろごろと動く影。その寝相の悪さ。
「大変!? セネカ様の毒牙がーー……ぐー」
 寝言なのか?



「ようやく静かになったわね」
 と、セネカは寝台の上で呟いた。片手には本。すぐ傍のテーブルにはお茶。――エルモアの置き土産だ。はぁとため息をついて、お茶に手を伸ばす。一口飲んで、その顔にひびが入る。
 そしてしばらく、時間が経った。昨夜から読みはじめた本がようやく読み終える――頃。カチャリと扉が開いた。
 こんな時間にこんな所に勝手に入ってくる輩など一人しかない。振り向きもせずセネカは本を読んでいた。
 入ってきた人物はゆっくりとセネカのいる寝台に向かってきていたが、途中で足を止めた。その目に映ったのは、昼間、エルモアが置いていった本。


 その本のことは知っていた。話は知っている。町で女の子に人気のある本でもある。その童話。
 しかし、なんだってここに? 立ち止まったのを不審に思ったのか、寝台にいたセネカが顔を上げた。
「……エルモアが置いていったのよ」
 その言葉は苦々しいとでも言うようだった。
「なるほど」
 それなら納得がいく。視線を向ければ、再び本に視線を戻しているその姿。
 羽織っていた上着を脱いで椅子に向かって放り投げて、近づく。全く動かない。
 横向きで、本を読んでいる。腕が疲れた頃に向きを変える。いつものことだ。
 膝をのせると、ぎしりと音がした。そのまま覆いかぶさっていくと、ちらりと視線が向けられた。その一瞬で、本を奪う。栞も挟まれないまま、本を床に放った。
 一瞬、怒りの視線が向けられた。


 ばさりと、本が床に広がる音がする。これでどこまで読んだのか、次に読む前に探さなければならない。案外手間がかかる。
 ぎろっと睨みつけたころには、その姿は自分を覆い隠していた。しかし、まったく体重がかかってこないのは、気をつけられていることだ。
 顔を上げて、しばらくその顔を見つめていた。


 全く動じることなく見上げてくる。その視線。しばらくそのままでいた。
 それから、力の抜けた手首をつかみ、指を絡めた。ふと思い起こされる。あの物語の結末。その見つめてくる瞳を見つめて、口を開いた。
「……お前なら――」
「刺すわよ」
「――だろうな」
 どこかで、わかりきっていると答えた。
 絡めていた手を引いて、左の胸に当てる。鼓動は聞こえるのだろうか。こんなに早いことが、伝わらなければいい。
「殺さないのか?」
 おかしくなって、笑って言った。


 剣なら、あった。それこそ枕の下に。左の手を伸ばせば届く。他にも短剣を、そこかしこに。この国でいただいた物、エリスに送らせた物。
 特に、自分の言葉に動じた様子もなく、クラウドはそのまま私の手を取ったままだ。その場所で鼓動が響いているのがわかる。ここを刺せば――止まる。

 『王子様の心臓を、この剣で刺すのだよ』
 『そうすれば、お前は生きられる』

 そう言ったのは、海の魔女だったのか。それとも彼女の姉だったのか。そう言わせたのは、彼女の心だったのか。
 いつだって何かを犠牲にしなければ、つかめないものだったのか。
 でも彼女がほしかった物は、手に入らないまま。

「殺すより、生かしたほうが価値があるでしょう」
「――そうか」
 どこか、納得していた。様な気がする。


 そう、刺す気ですら起こさせない。
「一生、な」
 そう、囁いた。



 ――人魚姫は空気の精になって、今でも王子様と共にいる――







本物はこんなお話ではない・・・

2008.04.15