最初は、ただの義務だった。
 次は、本当に守りたいと思った。
 例えこの羽を、赤く染め上げても。

 後悔は、したくなかった。


「フール!」
 いつの間にか、当たり前になってしまった。後悔は……したくない。


 天と地にそれぞれ違う種族が住んでいた。
 地には進化する人(にんげん)が、天には羽持つ人(はねもち)が。



 空を降りて地を歩くのが好きだった。今日も、そう。
 そんな時、あなたに会ったの。最初は気紛れ、次は故意に。最後は、楽しみに――
「君は、だれ?」
 彼は、最初。とても小さくて。だけどすぐに、私よりも大きくなって。羽持ちと人間の寿命の違いを突きつけられた。
「私、フール」
 あの時の私も、まだ、子供だった。
「僕はシオ」
 王子と呼ばれるシオールが、望んでいた事。
「シオ」
 呼ぶと、くすぐったそうに笑うのだ。
「フール」
「シオ」
 何度も、互いの名を呼び合った。


「シオ、それは?」
「へ?」
 ある日、シオの腕から流れる「赤」にぞっとした。
「たぶん、すったんだよ。フール!? どうしたの!?」
 はじめて、彼は人で、私は羽持ちだと現実を突きつけられた。怖かった。この平穏が壊れるのが。
 だから、そっと羽をむしった。さすような痛みは一瞬で、起こりうる最悪の痛みよりましだと、思ったのだ。だから。我慢できた。
「シオ、これを」
「きれい……でもこれ? フールの?」
「いいの。お守り」
 守るために、守りたいから。だから――
 そして、私は知らなかった。平穏を壊す絶望の鐘を、自らかき鳴らし始めていた事に。


 シオと私が会うのは森の泉のほとりで、彼はいつも抜け出してきたんだ。とこっそり教えてくれる。
「お城、嫌い?」
 すぐ行けば、塔の先端が見える。
 この頃、私は知らなかった。城というものは知っていても、王家の意味までは。
 羽持ちは力の強い代表が、種族をまとめるのだから。
 だから、血が尊ばれる王家の事は、よくわからなかった。
 シオが苦しそうに顔をゆがめたので、あわてて私は話題を変えた。それっきり、その話題には触れなかった。
 ――それが、まずかった。

 時折降りて、シオと笑いあう。そんな些細な日常。
 だけど、そこに変わらず平穏を求めていたのは私だけで。成長していくシオの心は、少しずつ変わっていた。


「シオ? シオー?」
 ある日、いつものように地に降り立っても、シオがいなかった。
 必死に、泉の周りを、森の中を探す。
「どこに行ったのかしら?」
 首を傾げてしまう。いくらなんでも――
「!?」
 ため息をついたその時、口が何かに塞がれた。それを吸い込んではいけないと咄嗟に思いながら、意識が遠のいていった。
 かすかに、声が聞こえた。
「ごめん。フール」
 ……シオ……?

 次に目が覚めた時、天井が丸い部屋にいた。周辺も丸いのだろう、一部、外に繋がっている窓と扉をつなぐ、壁がなければ。
「ここは」
 シオ。さっき聞いたのは、シオの声?
「……シオ」
 そっと自分を抱いた。ぁあ、きっと、ここに私は閉じ込められたのかもしれない。それでも、それでも私――
 三度、扉を叩く音に顔を上げる。鍵が回る音と、数人の気配。
 入ってきたのは初老の男性と、甲冑に身を包んだ男が二人。警戒した。
「はじめまして、“羽持ち”お願いがあってやってまいりました」
「帰って」
「ずいぶん美しい。しかしあなたはきっと、私の願いを叶えてくれるでしょう」
 意味が、わからない。
「帰って」
「シオール王子の事です」
「シオ、ール……」
「ええ。あなたをここに連れてきた」
「あなたの差し金?」
「滅相も無い。ただ、少しだけ助言をしただけです」
「放して!」
 ずずと近づいてきて、手を握られる。
「ぉおっと、すみません。ですが、あなたの力でしょう?」
「なんの……」
「あなたは王子に“羽”を渡した」
「――あなたに関係ないわ」
「そうです。ですが、私が気がついたように王子の幸運を偶然と思うものは真実を悟り始めた」
「だから」
「だから、王子はあなたを閉じ込めるのですよ?」
「どういう……」
「放っておけば、あなたを捕まえようとする輩が現れるとも限りませんから」
「……そうやって、シオ、ールを脅したの?」
「いいえ。大切なものは手元に置くべきだと助言しただけですよ」
「迷惑だわ」
「なら、ここから出て行けばいいでしょう。フール」
「呼ばないで!」
「逃げるのも捨てるのもあなたの自由ですよ。羽持ち。ですがあなたがいなければ――きっと王子は、戦場で命を落とすのでしょうね」
 それだけ言って、高らかに笑いながら老人は部屋を出て行った。再び、鍵のかかる音がした。
 気がついていた。シオにあげた身代わりの羽が、砕けていた事を。代わりを、あげたことが意味する事を。

 日暮れが近づいていて、温度が下がっていくようだった。膝を抱いて、うずくまっていた。
 どうしたらいいのか、わからなくて。






 フールを塔の上に閉じ込めて、数年がすぎた。彼女の存在は必死に隠していた。
 もう少し、もう少しといつもフールに囁いた。王になりさえすれば、彼女の存在を認められる存在にならなければと、焦っていた。
 いつからか、フールの言葉をよく聞いてはいなかった。
 ただ、夢中で。
 そして、王が死んだその時、戦争が起こった。

 大臣達に言われるまま、戦場を駆けた。
 これが終われば、すべてが望みのままだと信じて。



「フール!」
 真っ赤な血を流しながら、真っ赤な背をしたフールがゆっくりと倒れていく。
 あの時、初めて会った時の真っ白な羽はもう見る影もなく。無残に引きちぎられたあとに真っ赤な血がにじんでいる。
 固まった血が、所々赤黒い。
「フール!」
 いったい、いつから。
 そういえばおかしかったじゃないか。いつから、フールは地に足を突いていた?
 いつから、空を飛ばなくなった?
 いつから、羽を出さなくなった?
 いつから、いつから、いつから――?
「どういうことだ!」
 鋭い声で、大臣を一喝する。おたおたとしていた男は、しかし、はっきりと言ってきた。
「羽持ちの羽は、幸運の証です」
「そんなことは知って――まさか」
 思い当たることに、青ざめる。
 今まで、幾度、命を落としそうな場面に会ってきたのだろう。そのたびにこの身を欠くことなく、生きてきた。
 まさか、それは――
「だから、彼女の羽を王に」
「引き裂いたのか!」
「彼女が自分で、」
「ふざけるな!」
 自分の身を削って、痛めつけて。
「お前達が止めなかったんだろう!?」
 けしかけたのだろう!
「……王の命と引き換えならば、本望でしょう」
「ふざけるな!!」
 二度目の言葉が、空気を震わせた。
 ぁあ、光景が目に浮かぶ。彼女に、こう言ったのだろう。
『あなたの力があれば王は無事です。羽持ちの幸運を得た王ならば。そうあなたが、王の傷を受ければ、王はずっと、長く生きることができる』
 ずっと彼女は、天にも帰れず。城にも入れず。ひとりで――
 俺の得た傷を、背負って、肩代わりして。
「シオ……?」
「フール!?」
 かすれた声に振り返って、その手が伸びた先に、絶望する。
「フール……?」
「シオ……どこ……?」
「フール、目も、見えないのか?」
「シオ?」
「フール、すまない。すまないフール」
「シオ……?」
 ゆっくり、フールを抱きしめる。信じられないくらい軽い体は、初めて会った時と変わらない。
「……シオ、そこに……いたの?」
「ぁあ、ここにいる」
「よか、った」
「フール?」



『この化け物め!』
『まぁまぁ、落ち着きなさい』
『こんなものに王子は!』
『そうですね――どうしてくれましょう』
『……っ放して』
『駄目ですよ。その枷を外してしまえば、あなたは飛び立ってしまうでしょう』
『助けて』
『無駄ですよ』
『やめてっやめて!!』
『その力が必要なんですよ。シオール王子のために』
『……シオ……?』
『ぇえ、あなたの羽があれば、王子は生きられる。だから、力を貸してくれますよね』



 守るつもりだった、愛しむつもりだった。だから、籠の鳥――なのに。その羽に守られていたのは、自分。
『はい。シオ』
 あの日が、はじまりだった。
『きれい』
 真っ白い羽の一部。
『お守りよ』
 彼女の心を、利用したのだろうか?

 そして彼女は、白い羽を犠牲にして。

「……ぅぁぁぁあああーーーー!!」
 薄ら笑いを浮かべる大臣に向かって、剣を振り下ろした。

 フール、ごめん。だからせめて、その身は空に、還すよ。


 立ち上る煙は、空に向かって溶けてく。


 かの時代、かの国を示す書物は語る。
 賢王と呼ばれた彼の、謎の強行の真相は誰も知らないと。


 彼によって焼かれた東の塔の姿はもうなく、今、その場所は白い花に包まれている。
 真っ白い花が、風に揺れている――



Index