{ ある兵士の考察 }


 私の名はクリフト・リベンティル=スタイン。シャイナ国ダイン城王付の近衛隊隊長を務めている。
 私と、私の隊の仕事は、毎朝、とある悲鳴と怒声を聞くことからはじまる。
「だからっ! 放してって言ってるでしょう!! 帰して! 国に帰して!!」
 彼女だ。正確にはセルフィーユ・ライカラ・シャイナ。元ティリア国第八王女で。現シャイナ国王妃。
 捕らえたはいいが、暴れている。いつものことであり、腕力も身長もすべてが勝っているので別にあわてもしない。痛くもない。ただ――ぁあ、涙ぐんでいる。それが問題だ。
「放してって言ってるでしょう!!」
 そう、最初はわめき散らして、
「聞いてるの!」
 暴れるのだが……
「……っ」
 しばらくすると治まる。と言うわけでもなく唇を噛んで目を潤ませているそしてその瞳の涙がこぼれると……
「ライカ!」
 馬のいななきと振動する大地にその気配を感じていた。腕の中の王妃が身を固くする。やってきたのはアルベスト・ハイン・シャイナ――シャイナ国王。つまり私の仕える主である。
「ライカ、朝食はセリゼの卵を使った――」
 この王の、この動じない感じに寒気を感じる。ぎろりとにらんでいるはずのセルフィーユ様の視線を無視したこの言葉。
 いや、まぁ。ほかに言うこともあったのだが……これでも、最初のうちは。
「ライカ、行くよ」
「いや」
 さっきまで泣いていたとは思えない。手を伸ばした王は気にした様子もなく、私の腕の中からセルフィーユ様を奪い取る……ではなく私が差し出した。
「放して!」
 馬の上で暴れる王妃。いつものことながらはらはらする。必ずそのうち――
「放してって言っきゃぁっ!?」
 ぁあっ落ちる。
「だから、馬上で暴れるな」
 あきれたような王の声がする。そして、王はそのまま愛馬ロランを走らせて行ってしまった。
 はぁとため息をついてしまう。今日もまた一日がはじまった。

 わが国の王には妃は七人いる。この前七番目に後宮入りをした妃がセルフィーユ様。
 この国は世界の中では五大国に入り、近隣にこれと言って敵はいない。いるとすれば海の向こうのセリアと、大陸続きの先のベランだ。
 話がそれてしまった。なぜセルフィーユ様が後宮に入ったのかというと、王がティリアを訪問した時に連れてきたのだ。どの国も保身のために王女を後宮に入れたがっている上、王の外見は評判である。ここで外見と称したのは、私は王の中身をよく知っているから。とだけ言っておく。
 ティリアも例外なく、裏で美しく野心を抱いた女の醜い争いが繰り広げられていた。なんと言ってもあまった王女が五人もいればそんなことにもなる。
 艶やかで美しい王女たちの群れに目もくれず、本人の意思を無視して王はセルフィーユ様との政略結婚を進めた。そして今にいたる。
 他の王女を美しいと称したが、セルフィーユ王女の容姿が特に劣るというつもりはない。ただ姉王女に比べれば見劣りするなと判断されるくらいだ。


 さて、今話しただけではまったくなんの事かわからない。簡単に言うと、自分の意思を無視されてこの国に嫁がされたセルフィーユ様は日々城を脱走するので、私たち王の近衛のものが命令を受けて捕らえに行く。
 普段ならば、いや、後宮で今の地位に納得してぬくぬくと贅沢をする妃たちとは扱いが違う。
「隊長」
 ぁあ、腕を組んで考えすぎてしまった。急がなければ、また頭の痛い朝食の時間だ。


「食べないのか?」
「………」
 セルフィーユ様のいらだちが伝わってくる。周りを囲む給仕も侍女も兵士も苦笑いだ。
 にこやかな笑顔の王の正面に座るセルフィーユ様はフォークを握り締めたままだ。傍目に見てもその手は震えている。
「今日はセリゼの卵を使っているよ」
「〜〜〜」
 ぎりぎりと、握り締める音が聞こえてくる。絶対。
「食後にブランマンジェを用意させたけど――好きだろう?」
 ぁあ、紐が切れる音がした。
「ふざけないでよ!!! なんなの!? 毎朝毎朝追ってきたと思えばその顔で目の前でいちいちいちいち恩着せがましく解説するし! 大体!! ここはあんたが食べるところじゃないでしょう!?」
 王の食堂は別にあるが、今では城の者は絶対にこのセルフィーユ様の宮に準備している。
 後宮の妃たちで、望んでも王と食事を共にすることができない者もいるというのに、ずいぶんな違いだ。
「呼んでもこないのだから、仕方ない」
「行くわけないでしょう!?」
 王の部屋に妃が呼ばれることもあるが……セルフィーユ様が行くことはない。それはもぅ全力で拒否するので、さすがの王も戦略を変えた。
 王の部屋までセルフィーユ様ごと運んできて無理やり食べさせている姿は多々見させられたが、さすがに見るに耐えかて、唇を血で染めたまま謁見する気ですかと諭すとしぶしぶやめた。
 さすがに食事とはいえない光景だった。
 王はセルフィーユ様の宮では食べると言うよりセルフィーユ様を監視している。いやほほえましく見守っていると言ったほうが聞こえはいいかもしれない。
 だが一挙一動を見つめ続けられる側のストレスは計り知れない。
「ああもう! いい加減にして!」
「何が?」
 ぐらりと、セルフィーユ様の視界が揺れたのがよくわかる。あの聡い王が、わからないわけないだろうに。あえて濁すその姿。
「ふざけんじゃないわよ!!」
 フォークが飛んだ。ナイフも。王もよければまだいいものを、指で受け止めたりするからさらに怒るのに……
 散々わめき散らして、叫んで、最後にセルフィーユ様は食事をはじめる。その頃にはスープは冷め切っていることが多い。ので、今ではその頃に暖かいものが運ばれてくる。
 王の小言も相変わらず減らないが、セルフィーユ様は無視している。疲れたのが見て取れる。


 食事が終わって午前中になると、王は執務に出る。ので、その間を見計らって作法や裁縫の授業をすっぽかして逃走に走るセルフィーユ様を捕まえるのが私たちの仕事だ。
 これでも昔は、王の護衛で日々を王の執務室の前で過ごしていた。書類を運んだり、伝達を伝えたり、完璧なる城内の仕事だ。だが、今では鍛えたかいある足腰を惜しみなく使い、日々巧妙化するセルフィーユ様の逃走術の先回りをする。
 忙しいが、やりがいはあるのかもしれない。かなり胃に悪いと思うが。
 なんと行っても一番頭が痛いのは、逃走したセルフィーユ様を捕まえて部屋に閉じ込めた時だ。
 逃走から帰ってきたセルフィーユ様には倍の数の侍女が付き、部屋を出ることは湯浴みか王に連れて行かれた時のみだ。
 例えば、午後から庭を散歩する予定であったとか、祭りの見物に行ける事になっていたとか、外に出るはずの予定はすべて流れる。
 逃げられないとわかると次に来るのは日程だ。午後から人と会う時などは、本気で扉にこぶしを叩きつけて泣き出す。外から鍵をかけられ、窓も鍵をかけられて、数十人の人の視線にさらされることは、セルフィーユ様が特に恐れることだ。
 なら逃げなければよいと思うのだが、確かに大きな行事の入っている日はそれだけ護衛の注視から逃れやすいのは事実だ。


 唐突に話を変えるが、セルフィーユ様は歌を歌うのが好きだ。特別うまいと言うこともないが。部屋の中に閉じ込められるのを嫌って中庭を散歩する時は、よく声に出して歌っている。
 その時人がいるとわかると歌うのをやめてしまう。だからと言うことではないが、私たちは茂みや物陰に隠れている。だからセルフィーユ様は歌いたいだけ歌っている。
 のだが、王が来るとすぐに歌うのをやめてしまう。王がなんと言おうとやめてしまう。一度、王が宴の時に歌わせようとして、セルフィーユ様が宴をぶち壊したのは記憶に新しい。
 ぶち壊したあげく脱走しようとしたのだから、大変だった。


ぶちぃ――
 鈍い音と共に、何かが引きちぎれた。つながっていた丸い物体がそこら中に散りばめられる。遅れてバラバラと音がした。地に吸い込まれるように、転がる水晶。
 ぁあ、やったと思うまもなく、打撃音。あっちゃーと左手で顔を覆った。
 ぱたぱたと涙を流しながら小さな水晶を拾うセルフィーユ様に……衝撃から立ち直った王が近づく。
「放して!!?」
 いくら嘆いても叩いても泣いても捕まれた腕は離れない。放さない。
 王が送った翡翠は床に叩きつけられて、セルフィーユ様が放すことなかった水晶は地に落ちた。
 あれは、ある夜のこと。
 その時以来、王が何を送ってもセルフィーユ様は身につけようとしない。
 翡翠は形を変えることができたが、水晶は雨に流された。
 セルフィーユ様がティリアから持ってきたものは、そうやって減っていった。


 セルフィーユ様の逃走は、朝だろうが昼だろうが夜だろうが関係ない。隙あらば塀を乗り越え茂みに隠れ侍女に扮する……日々巧妙化する逃走術、気が抜けない。
 何が困るって――城外に出ると王が自らやってくるところで。謁見の途中だろうが書類が溜まっていようがお構いなしの行動だけは控えてほしい。
 と王にいうとライカが逃走しなければいいという。それはそうだが、原因は誰にあるのか、そのことを考えてほしい。


 セルフィーユ様の逃走は、晴れていようが雨だろうが雪だろうが豪雨だろうが関係ない。
 一度嵐の日に逃走を謀られた時にはどうしようかと思った。雷に打たれた塔が崩れセルフィーユ様の宮を直撃した時、残骸を除去した後セルフィーユ様は実は森に逃げたことが発覚して捜索……あの時は数人の兵士が王のいらだちの犠牲になった。
 あの時はさすがに王もかなり怒っていたし焦ってもいた。かなりきつい仕置きが待っていたはずだが、それでもあきらめないのだから、セルフィーユ様も大変だ。


 こんな仕事をしていると、時折思いがけない瞬間に出会う。
「……ひっくっ……っひ」
 ……かなり混乱するが、セルフィーユ様が泣いている所だ。しかも、部屋の中とかではなくて、森の中とか、湖の傍とか。いずれも、逃走を謀られたので捜索している途中なのだが。
 その時の逃走は衝動的なもので、城を離れて人のいない所に行きたいという類のものだ。しばらくそっとしておきたいと思うが――そんな時には王がやってくる。必ずと言っていいほどやってくる。なんのアンテナを張っているのか聞きたいくらいだ。
 泣いている原因は故郷からの手紙だ。自身の意思ではなく嫁がされ、逃げることも叶わず姉にののしられる心境はいかほどかわからない。本当に理由がそれなのかは知りえないが。
 王に全力で帰りたいと嘆いても、聞き入れてはもらえない。王が帰すはずもないが、そもそも王が連れ去ってこなければ要らぬ敵意を受けることもなかった。
 そんなことを王が考えるはずもなく、なぜ泣いているのかと問いかける。だがセルフィーユ様は答えない。いらだった王が無理やり城に連れ帰る間、私は拒否の言葉を聴き続ける。
 泣き続けることも、怒り続けることも、セルフィーユ様の体力をひどく削ぐことになる。そんな日は、夜はゆっくりと眠ることができる。
 余談だが次からセルフィーユ様宛ての手紙は検問にかけられることとなり、これも口論の元となる。


 こんな仕事でもしてないと、確実に出会えない瞬間がある。
「ライカ!?」
 唇に人差し指をあててしーと言う。扉を叩き壊すつもりかと問いかけたいが黙る。
 王の城なので、壊そうが建てようが王しだい。おっと、話を戻すと――
 過度の緊張とストレス状態に陥ったセルフィーユ様は、時々倒れる。ようは疲労で、神経がまいって風邪を引く。
 これまで元気なのが不思議なくらいだ。
 もともと平熱が高いからか、一度熱を出すと手がつけられない。
 馬鹿でかく(妃の中で一番でかい)、天蓋のついた(どこぞの名の知れた男の調度品だ)寝台に横たわるセルフィーユ様の顔は赤く、息も荒い。
 しかし、この寝台はいったい何代目なのだろうか……調度品の端々が削られているのは絶対に故意だ。おっと、王が……
「ライカ……医師を呼べ」
「呼びました」
「治せない奴は切り捨」
「王、セルフィーユ様に必要なのは安らぎと栄養。つまり休養です。いくら医師がいても同じです。時間の問題です」
 だから、一瞬で病が治るわけはないでしょう。
 セルフィーユ様の寝台に腰掛けて、額に手を当てる王の姿。それだけ見ればこの城の者ならよくわかるのだ。王が、どれだけこの女性を大切にしているか。
 それをセルフィーユ様が元気な時にするといいのに。たぶん王の行動はセルフィーユ様が元気であれば同じく活発に。病気で弱っていれば同じく弱るのだろう。
「……さま」
 意識が浮上したのか、夢でも見ているのか。セルフィーユ様が呟く。
 王の表情が痛々しいものでも見るかのようにゆがみ、曇る。その手はセルフィーユ様の額をなでたまま。しばらく続く。
 なぜ倒れる瞬間に傍にいてあげられなかったのか、いや倒れる前に対処することはできなかったのか。
 まるでもう二度と目覚めることがない妃を目の前に後悔しているのか、ただただ辛そうに目を細める王。
 わかっているのなら、行動に移せばいいのだ。しかし、セルフィーユ様が元気になれば、再び王の行動は活発になる。寝台の傍で悔いたことはもう忘れられている。


 今日も王からの贈り物が届く。侍女が運ぶことが多いが、時々王が持ってくる。そんな時は調度品や宝石は見事に叩きつけられるのだが、布は別だ。
 ドレスを作らせようと、いくつもの布をセルフィーユ様にかけて、被服師と相談する王。
 セルフィーユ様はおとなしくしていないが、いろいろな方法(主にひとつ)で強引におとなしくさせられる。
 まぁ結局王は全部作らせようと決め付けて、部屋を出て行ってしまう。
 だから、これは護衛のものだけが見る光景。
 その後、多々ある布に埋もれるように部屋に残されたセルフィーユ様は、反物を頭からかぶって、布を触っている。
 王が用意するだけあって高級品で、やわらかい手触りに包まれてセルフィーユ様は眠る。布がしわになるが、セルフィーユ様が和むならそれでよい。
 セルフィーユ様の好みを把握した王は、時折思いがけず美しく愛らしいものを持ってくる。そんな時はセルフィーユ様は叩き壊すのをためらい、受け取ることもためらう。その瞬間は格別かわいらしい。
 だが民が一生かかっても手に入らない装飾品を叩き壊すのだから、贅沢なことに変わりはない。
 王がそれを言ってからは、装飾品や調度品が壊されることも減った。


「放して!」
 おっと、セルフィーユ様が逃走を企てたようだ。捕まっている。セルフィーユ様を捕まえる時は最新の注意を払う。傷をつけてはいけない。あざになってはいけない。そして何より逃がしてはいけない。
「ライカ!」
 だがやってきた王の力の強いこと。腕にあざが残ることもしばしばだ。
「やっ!?」
 泣き泣き王に連れて行かれるセルフィーユ様。そのまま王は遠乗りにでも行くのか、愛馬ロランの馬屋に向かった。
 遠乗りに行く場所はその場の王の決断で決まるが、だいたい城下を抜け町を見て人気の少ないところに向かう。山であったり、海であったり、湖であったり、高原であったり、花畑であったり。
 だが逃がしはしない。
 セルフィーユ様は怒りの種はもう忘れて海に足をつけたり、花畑で和んだりしている。そして時々距離をとる。
 しかし、繰り返すが王がセルフィーユ様を逃がしはしない。
 結局逃げられなくて泣き泣き、泣きつかれて寝入って帰ってくることもしばしばだ。


 後宮にいる妃は皆一様に物分りがいい。これは重要だ。物分りの悪い妃はすべて送り返されている。理由は簡単、セルフィーユ様に危害を加えたか、加えなかったか。
 現状況を読みそれ以上首を突っ込むことを控えた女だけが王のまびきの対象から外れる。それを考えれば、なんと思慮深い妃だけ残ったものか。セルフィーユ様は女性の中で一番年下だ。嫉妬はしても、表立って危害を加えてはいけないと彼女たちは知っている。
 時々、王側について手を貸す妃がいる。もちろん貸しとなって、彼女らの高い要求を王はのむ。
 成功するから。
 要求はいろいろなもので、実家に遊びに行く、男を作るから黙認しろ、というよりも出て行く――それこそ様々だ。
 特に一番目の妃は賢く、彼女が来るとセルフィーユ様はとてもおとなしい。


 王は「まだ子供はいらん」というが、信じられると思うだろうか。
 あの王がまだセルフィーユ様に何もしてないのだから。たまに連れさらわれてか、強引に押し入って夜を共にしていても、添い寝状態だと前に侍女が言った。朝起こす侍女がそろってそう言うのだから偽りはないだろう。
 確かに仮に身ごもったとしても、セルフィーユ様のストレスは計り知れない。よくない影響を受けるだろう。
 だがしかし、何もしてないないという王の行動に驚きを感じる。
 それでいいのかというもっともらしい疑問を持ってはいけない。この城で長生きする秘訣は“常識を捨てろ”なのだから。



 実は近衛の地位を利用して王に尋ねたことがある。
「なぜ、いつもいつもセルフィーユ様を泣かせるのかと」
 答えは簡単に一言で済まされた。それはそれは喜びに満ちた表情で、普段なら絶対にしない甘い声で王は言った。
「泣いている時と怒っている時が一番かわいい」と。
 もちろんここに、泣く原因も怒る原因も自分でなければならないという王のわがままが加わる。
 セルフィーユ様を泣かせた手紙の差出人は、しばらく自分の部屋を出られなくなるほど脅されているのだから。
 王がそう考え続ける限り、セルフィーユ様の悪夢は終わらない。つまり王はセルフィーユ様の歌声を聞くこともないのだが、王はまだそれに気がついていない。
 気がついていても気にしてなさそうだ。

 さて、長くなってしまったがこれまでが私の主とその妃の間で行われる日常の考察だ。
 まぁなんと言っても、平穏が来る日が来る事を願おう。
 セルフィーユ様に。それが城内の者達の願いなのだから、セルフィーユ様がこの国で王妃としてやっていく事は歓迎されるだろう。
 王が関わらなければ、活発で明るい姫君なのだから。
 せめて平穏が訪れる事を、切に願う。

 ……無理か?



 


{ ある兵士の考察 おしまい }




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