忘却の砂漠

 気が付くと天蓋つきの寝台の上だった。
 起き上がって歩き出した所女性が入ってきて、叫んだ。その声に同じ服を着た人が次々と集まり、またも寝台に逆戻り。
 やってきた医師の話によると――どうも、私は記憶を失っているらしい。
 確かに、昨日まで何をしていたのか思い出せない。そんな事よりも、まず自分の名前がわからない。笑ってしまう。
 ここはどこだと、聞く相手は部屋に誰もいない。あれだけいたのに、もういない。いつ消えたんだ? あの女性達は。
 しばらくすると、廊下を走る音が聞こえた。
 変だ。どうして部屋の扉はきっちりしまっているのに足音が聞こえるのかわからない。
 暇なので、自分自身を観察してみる。残念ながら鏡がない。
 性別は女だ。手は動く。足もある。髪の色は銀、白? ほとんど色がない。長さは肩口。
「スノウ!」
 そんな中、バタンと扉が開かれた。そしてまた叫ばれる。どうやら、それが私の名前であるらしい。“スノウ”。それはこの国には降らないが雪というものを意味する言葉だ。
 この国にには降らない? そう、この国は一年中暖かいから。
 そして、私はその名を嫌っている。――嫌っている? なぜ? さぁ、わからない。なぜこんな事を考えているのかもわからない。
「スノウ」
 落ち着いたらしく、再び声がする。のろのろとその人を見上げる。
 男だ、茶色い髪が乱れて、ぼさぼさだ。服は、どこかの制服だろうか。緑色の、服。
 緑、色?
 何かが、頭をよぎった。私に近づいてくる。――いや、嫌だ。
「来ないで!!」
 思いが、そのまま口について出る。男性が、固まった。
 ――怖い。自分自身を抱きしめて自問する。
 誰。誰なの? 私は誰なの!!?
 再び、頭の中を緑色の服を着た何かがよぎった。近づいてくる。一歩、また一歩。私は底知れぬ恐怖に襲われた。
 助けて。誰か。
 でも声も出ない。ついに、腕が伸びる――
「いやぁぁぁあああーー!!?」
「スノウ!?」
 はっとして、目の前の男性の強い声に驚く。
「大丈夫か?」
 ……あれは、何?
 私は? ここは? あなたは? どうして? なんで? やめて! ――怖い、怖い怖い怖い怖い!!!
「スノウ」
 がくがくと震え、泣き出した私を、そっと、男性が抱きしめた。
「大丈夫、もう大丈夫。今度こそ、守るから――」
 今度は? なら、その前は――?
 どこか冷静に思いながら、私は気を失った。



「スノウ・バードは削除の対象です」
「なぜ、助けた?」
「………」
「計画に逆らう気か!」
「これだから移民の出は――」
「我らの意思に刃向かうのか!?」
「やめよ。ウェザー一人何が負担か」
 重く、威圧感のある声に反抗していた人々が口を閉ざす。
 広く、大きく、ドーム状の場所の中央にあの男性が立っていた。そして周りを囲むように、暗くて素顔の見えない人々。ぐるりと、一周するだけで十二人。
 そして、一段上がり、円を見渡す上座に一人。
「スノウは、何も覚えておりません。――どうか」
「ふっ……まぁいいだろう。お前の働きしだいだな」
「ありがとうございます」
「忘れるな、お前の働きしだいだ」



 ふと、温もりを感じて目覚めた。まだ暗い。
 なぜか、身体が自由に動かない。ともすればその暖かさに任せて眠ってしまいそうな自分を起こして、自由になる首を動かした。
 そして、叫び声を飲み込んだ。
 私は、あの男性に抱きしめられて眠っていた。まるで抱き枕のように。
 なんで、こんな状況なのかよくわからない。ただただ混乱する。
 だけど――その疲れきった表情。その手を振り払いたい気持ちが消えていく。
 それにとても、とても暖かいから、私は再び眠りについた。

 部屋には再び、二人分の寝息が聞こえ始めた。



 次に起きた時は一人だった。まるで最初から独りであったかのようだ。
 でも、あの温もりは私が覚えている。それだけでいい。
「でも、結局、ここはどこ?」
 わからないままだ。ひとまず、傍のテーブルにおいてあった服に着替える。真っ白なワンピース。芸がない。探すと、鏡があった。
 やっぱり、誰だろう。見慣れない自分がそこにいる。いちおう、自分であるらしい。
 “スノウ!”
「――っ!」
 誰かが、私を呼んでいる。それは、さっきの男性とは違う。もっと、もっと柔らかい声。
 次に続くのは、たくさんの人々の叫び声。そして、途絶えた。
「な、に?」
 とっさに頭を抱えた手を下ろす。
 “なぜ私は、生きているの?” 問いかけてくる言葉が、耳に残った。
 ―――ぇ?
「失礼いたします」
「誰!?」
「お食事をお持ちしました」
「食事?」



 食事はおいしかった。とても。――だからだろうか、眠い。とても眠い。
 あくびを飲み込んで、そのまま倒れるように寝入った。
 ひどく、眠い――



「スノウ。スノウ!」
 向こう側から、私を呼ぶ声がする。
「“―――”!」
 私は、それに答えて彼の名を呼んだ。呼んでいた。
 なんと、呼んでいた?
 近づいてくる彼の顔が、霞む――
 また、違う場面だった。一面真っ白の部屋に、寝ている。身体が、張り付いたように動かない。
 実際に、動きを封じられている。手首と足首を押さえる、枷(かせ)。
 頭の上から、扉の開く音がする。見えるのは、緑の色。緑色の、服。
 その手に、持っているもの、それは光る、物。私“達”は、そういう運命だったのだろうか。
 怖い、怖い。来ないで!
 一人の、手が私のあごを捉えた。そして、首を傾けさせられる。
 そう、本当に怖かったのは、その時に見せられた物。それは、――それは―――……



「っ!!?」
 引きつった声は、出なかった。
 上がる息。鳴り止まない心臓。
 ふっと、落ちる影。
「きゃぁ!?」
 私を見下ろす、緑の視線。バランスを崩して、長椅子から落ちそうになる。
 それを簡単に支えて、私を抱きしめる。あの男性。
「スノウ?」
 ………違う。“彼”と違う。彼じゃない!!
「誰!?」
 必死に、振り払った。
「怖がらないでスノウ」
 無理だ。ほほ笑んで近づいてくる男性。私は一歩、また一歩と距離を取る。
 ついに、背中に壁が触れた。驚いて振り返っている暇に、その男性は目の前に来ていた。
 恐ろしいほどゆっくりと、男性の手が私の顔の横を通り過ぎて壁に付いた。まるで、私を囲む檻のように。
「あなた、誰?」
 顔が上げられない。声が震える。
「――ぁあ、そうか」
 男性が、何か納得したように言う。
「サン、だ」
 ――サン?
 聞きなれない。耳に慣れない。わからない。
「あなた、誰?」
 そう言うと、男性は少し、顔を歪めた。そして、強く抱きしめられた。
「忘れるんだ、すべてを」
 意味深な言葉を最後に、男性は私から離れて、部屋を出て行った。
 私はその場にへたり込み、腕を抱いた。
 恐怖は、消えないままだった。



 もうずっと、この部屋で過ごしている。外に出る事はない。出られない。
 本当は、扉に鍵なんて掛かっていなかったかもしれない。だけど、この部屋の外に出る事は、何かとてつもない大きな壁を超えることのようだった。
 あれから、あの男性も来ない。
 何も考えないようにすればするほど、浮かんでくる記憶の断片。頭痛が、止まない。
 でも、私を呼ぶ声の、彼の顔はまったくわからない。
 いつまで、ここにいるの? 不確かなままで。
 確かに、それは恐ろしい。だけど、本当の自分を知るのも、恐ろしい。
 私は、本当の私を知って、受け入れられるのだろうか。それが私だったとしても、だ。
 どこか、この安穏とした、平穏な生活のままでいいという声がする。
 そう、ここでの生活は平穏だ。いっそ、狂いたくなるくらいに。
 私は、私が誰なのか、知りたい――



 そして、廊下に出た。右も左も同じ造り。一歩踏み出せば、きっとここに帰ってはこられない気がする。
 どこかで、間違えたのだろうか。進む道を。そうでなければ、きっと、今とは違う今が――
 頭が、痛い。なんのことだろう。何を考えているのだろう。
 今でない今とは、なんだ?
 進む道は、ひとつしか、示されていないのに。
 そして一歩踏み出た。もう、あの部屋で安穏に暮らす私には、戻れない。



 行けども行けども同じ廊下。十字路をいくつか見送った。時折、パタンと扉が開閉する音が聞こえる。でも、誰も見えない。
 みんな、避けて通っている。私を。
 どんどんどん薄暗くなる。光は届かない。
 なのに、なぜか安心する。――暗闇が?
 だって、独りではなかったから。明るい所に独りでいるよりもずっとずっと安心する。
 どうして? だって今、私は独りだ。
 またわからない。まだわからないままだ。



 ついに、行き止まりになった。でも少し違う。他と様子が違う、古ぼけた扉がある。
 ごくりと息を飲んだ。ひどく腕が重い。
 少し取っ手をひねって、扉を開けるだけの動作が、とても難しく感じる。
 震える手、聞こえる、自分の息遣い。
かちゃ――ぎぃぃぃい――
 鍵など、掛かっていない。あっけなく扉は開いた。
 またたく間に目に入る光の多さに手をかざす。外は晴れていた。でも、薄暗さに慣れきっている瞳には眩しすぎる。
 ここにきてからは、いつも晴れている。いつも、同じように時間は流れ同じような気温で、同じように空は青い。
 ――? おかしい。何かがおかしい。
 いつも、“晴れて”いる?
 同じだ。空の色も、日暮れと日の出の時間も。
「――っ」
 また、頭痛が襲ってくる。ひどい耳鳴りと共に。



「さぁ、今日からあなたは“―――”よ」
「おめでとう」
 とても、嬉しかった。自分の力を、役立てるのだから。
 でも、聞いてしまった。
「必要、なかろう」
 必要、ない?
「全員、捕らえよ」
ザ――――
 あの日は、ひどい音がしていた。外から、そう、あの音。
 私が、唯一、好きな、音。
 あれは――雨(レイン)。
「!!?」
 何かを、思い出しそうだ。割れるように頭が痛い。
「あ……ぁ……」
 頭の中で、警鐘が鳴り響く。思い出してはいけない、考えてはいけない。
 それが、一番簡単な方法。
 いや、いや……私、私は――私は知りたいの! 消えて! 惑わさないで!!
 もう立っていられない。地面に座り込んで頭を押さえる。
 いたい、痛い!!
「スノウ!?」
 違う、違う!! 彼は彼じゃない! ――レインじゃない!
「ぁ……」
 思い、出した。
「レイン……」
 小さく呟いた言葉に、サンが息を飲んだ。
「スノウ、まさか」
 思い出してしまった。なぜ私が彼(サン)らに捕らえられたのか。そしてあの時、見た物。
 それは――



「はじめまして」
 最初に、私に声を掛けてくれのはレインだった。同じ境遇、似ている力。私達は、すぐに仲良くなった。
 それでもよかった。まだ、子供だったから。
 私達は、みんな、ひとつの施設で暮らしていた。将来、その力を役立てるために。一人一人、自分の役割はなんとなく理解していた。
 いつか、この力を役立てるのが、生きる目的。
 だけど、そんな中私とレインの距離は近くなっていった。ゆっくりと、静かに。
 共にいる時間は長く、暖かく、とても、満ち足りていた。

 私達は、天候を呼ぶもの(ウェザー)。
 私は雪(スノウ)、雪を降らすもの。雨(レイン)は、雨を降らすもの。
 この地に、天候を呼ぶもの達。他にも、雷(サンダー)、雲(クラウド)、風(ウインド)、嵐(ストーム)、雹(ハイル)、虹(プリズム)、夕立(シャワー)、霧(フォグ)、突風(ガスト)、みんな、いる。
 そして、みんな、
「必要ない」
 地上に天候などいらないと、殺された。――レインも。
 そうだ、私は見たじゃないか、焦点の合わない瞳で、私を見た、人の手に乗るレインの頭を。
 みんな、殺された。私は、最後の一人。
 人々は口々に言った。天候など必要ないと、太陽と月さえあればいいと。
「……サン」
 憎しみしか、表せない声だった。
「スノウ!」
 突然、抱きしめられた。
「忘れるんだ! そうすれば、君は生きられる」
 私だけ、生き残る? この、レインのいない世界で?
 力いっぱい、サンを突き飛ばした。
「いや、」
「スノウ、お願いだ。生きて」
 どうして? この雨も降らず風も吹かない世界で、独り生きろと?
「共に、いるから」
 太陽(サン)が?
「そんなの、無理よ」
「どうして!」
 だって、私は、私が共にいたいのは、レインだ。
 でも、彼はもうこの世界のどこにもいない。
 苦しかった。
 だから、彼のもとに行くの。
「スノウ! 止めろ!!」
 最後の力は、すべてあげる。でも、私は、ここには残らない。
「さようなら」
 限りなく白いスノウの姿が、白く輝いて四散した。それは、雪(スノウ)の最後の姿だった。





 雪に恋をした、太陽の話を知っているかい?
 彼(サン)は彼女(スノウ)を密かに、思っていた。
 だけど、雪(スノウ)には雨(レイン)が共にいた。そして、彼らはこの世界から消されてしまう事になった。
 太陽(サン)は雪(スノウ)だけを助ける事に成功した。
 でも、雪(スノウ)は、消えてしまった。そして雪となって、この地に降り注いだ。
 雪は大地を埋め尽くし、一面を白く変えてしまった。何もかも、真っ白に戻したいと、最初に戻りたいと。
 太陽は探した。この雪の下に、彼女が埋まっていると信じて、雪を照らして、照らして照らして、地にある彼女の姿を探した。
 どんどんどんどん雪は解けて、川となって流れた。
 でも彼女はいない。見つからない。次に太陽は、彼女は川の中にいると思った。
 だからまた、川を、大地を照らした。
 川の水が干上がっても、彼女は見つからなかった。
 太陽は、どこかにいるはずの彼女を探して、大地を照らし続けた。
 ついに、水がなくなり、大地にひびが入った。それでも太陽は照らし続けている。
 すべてが砂となった今も、太陽は照らし続けている。
 雪(スノウ)がまだ、この世界のどこかにいることを信じて。


― 終 ―

Free Will