「ぃやあ〜近くに町があってよかったですねぇ」
「ほんとだよ」
 無理矢理連れてきて。食事もいらないとか言い出して。
 いつもと、同じ。
「しかし、地理に詳しいとは思いませんでした」
 それは、墓地があるからか。



 朝食もいらないと、言わせる気はなかった。それでなくとも、押しつけたパンを口に運ぶように。強制していた。
「――ああ」
 噂をすれば、
「み」
 それを言う気かと、後頭部に一撃を送る。目の前での一瞬の出来事に、巫女の目が驚いたように見開く。
「さあ、行きますよ」


 馬車の業者は昨日の今日でしばらく会わないはずだった巫女を見る、
 今日は、ドコへ?

「巫女、巫女」
 なんども何度も呼ばれて……うんざりした。
 立ち止まったのはもしかしたら今だけは違うのだと思えたから。
「巫女?」
「――椎」
 今だけは、巫女じゃない。



「は?」
 二回も言わない。
「椎」
 沼に即座に呼ばれて、少しだけひるんだ。
「……なに」
「……椎?」
「まさか、名前も知らないのですか」
「そうじゃねぇよ! どういうことだよ!?」
「それは巫女――椎に聞いて下さい」
「椎って……椎?」


 なんど、何度も呼ばれて――
 うれしくて。


 わらった。



「っ」
「――」
 息を、飲んだ。
 とてもとても嬉しそうに。笑うから。
「椎」
「はい」
 思わず呼んだんだ。それが現実だと、信じられなくて。




「椎。どこにいくんですか」
「……」
「別に怒らないから。言ってみろ」
「絶対?」
「怒る理由がないからな」
「本来、あなたは一人で行動するはずなのですから。私たちが制限をかけることはできませんよ」
「家。帰りたくない」
「そうですか」
「うん」
「じゃーどーする気だったんだ?」
「それ、は」
「それは?」
「その……」
「はっきりしろ」
 だってと言うのだ。あの墓所に潜ろうとしていたと。
 言わせておいて、困るのだ。
「自業自得じゃないですか」
「うるせえ」
「まあ私も――含めて」
「そうだな」
「否定しましょうよ」
「なんでだよ」
 くすくすと声が漏れる。また、笑っている。
「よく笑いますね」
 はっとしたのか、表情がこわばる。
「ごめんなさい」
「おもしろいならこれを笑い飛ばすといいですよ」
「どういうことだ」
 そしてまたしばらく、笑っている。


「ああ――もう。お腹痛いわ」
「腹筋が鍛えられますね」
「本当に」
「で、どーすんだよ」
 ふと、見た、視線の先。たぶん、同じ。
「どうにかなりますよ」
「どうにかなるんじゃない――そうだ」
「なんですか」
「あのね」
 海に、行ってみたい。



「冷たい」
「風邪をひくぞ」
「平気、よ」
「本当だな」
「……たぶん」
「好きにしろ」
 神殿という籠を、一時、抜け出した籠の鳥。一時の自由にあこがれて。
 そしてまた、その羽をちぎるのだ。
 だとすれば最初から、籠の扉は、開けないほうが優しさなのかもしれない。
 そう、思った。
 それは後悔とは違って、けれど、重く。
「沼?」
 ひらひらと手をふられる。はっとして、視線をもどした。
「なんですか、椎」
「カニ」
 椎の手の中に捕まった、小さな蟹。
「素揚げにして塩をふるとおいしいですよ」
「おいしそう」
「そう言う問題かよ!?」
「食文化ですね」
「違うだろ!? 笑うな!」
 だってと、椎が笑う。
 一時の羽。傷ついても。
「――」
 傷がつくことを自分自身が、厭うているのだとはっとする。
 どうでもいいと思っていたじゃないか。籠の鳥がその身、擦り切らせようと。
「ったく。いい加減今日の宿を決めないと野宿だぞ」
「やってみたい」
「誰が徹夜で火の番をする羽目になると思ってんだ」
「ごめんなさい」



「いただきます」
 無言で食事をする沼と暦に続いて、小さい声。
「んあ」
「はいどうぞ」
 海辺だと見て取れるほど、海鮮にあふれた食卓に手を止める。
「おいしい」
 食べるのに夢中で、正面にいる二人が、どんな顔をして私を見ているかなんて、わからなかった。



「おやすみ」
「おやすみなさい」
 ぱたんと、目の前で閉じる、扉。
「何がおかしいんだよ」
「笑えると思いませんか?」
「平和すぎてか」
「そうですね。そして、それに順応する、自分が」


 寝台に潜って、天井を見上げる。
 ぱちと醒めきった目は、昼間の興奮からか。
 楽しい。


 ――平和なんて、もろいもので。



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