「椎……?」
 町で大通りを歩いていた。あっち、こっち、うろうろうろうろ。呼び込みの声がけに、親しげな言葉に、甘えた。
 忘れていた。
 人目にさらされるという事。
 だからこそ、人目に触れる所にはいられなかったこと。


「恥さらし」
「……ゆ……い?」
「錐ねえ様を、よくも」
「唯(ゆい)っ」
 声がうわずって、急に後ろにひかれる。
 傾いてく世界が、やけにゆっくりで。
カランカラン――
 遠ざかっていく、短剣に目を向ける。
 反射して、鈍く光って。
「はっはなしなさいよ!」
 腕をひねりあげられて――
「暦。放して」
「巫女。巫女に剣を向けることは死罪です」
 私の身を引き寄せた沼が言う。腕をひねりあげたままの暦は、唯の抵抗をもの
ともしない。
「妹なの」
 その時、世界が凍り付いた。

 何が悲しかったのだろう。


「もういでしょう!?」
「巫女。本当に、これが?」
 即座に宿屋に一室を借りて、人払いをして部屋の中にいる。
 無理矢理椅子に座らされた唯は不機嫌で、その正面に私がいる。
「妹よ。唯」
「……なに」
「彼が沼。あっちが暦」
「それがどうしたのよ。本当だったのね炎の巫女、だって」
 冷たい視線に、目を伏せた。
「火に焼かれた炎の巫女だって」
 手が、止まる。あの日の火傷は、傷も残らなかった。何事もなかったかのように、平和で。
 恐ろしいのは、人間で。
「笑っちゃうわ。――なのに、なんで」
 憎いと、射抜くような視線で目を上げる。
 もう、いつからとか、どうして、とか。関係ない。
「錐ねえ様を、侮辱する気なのね」
「どういうことだ?」
「なんなのよあんた達! 関係ないでしょう」
「巫女に危害を加えるものは――死罪だな」
「なっ」
「暦」
「いい気なものね椎!」
「いい加減にしなさい。役立たず」
「っ」
「沼」
「そういうことでしょう? 自身は巫女になるほど力があるわけでもないのに。まして、従姉と姉がその地位にいて。なんですか、この無能は」
「沼!」
 目に涙をためて、悔しそうに唯が唇をかむ。
「あなた方の“家”で、椎がどのような扱いを受けていたのかは知りませんが、世間一般的には――ただ家の名が知れたあなたと巫女ならば巫女の価値のほうが高いでしょう」
「そんなの、しってるわ」
 押し殺したように唯がつぶやく。噛み傷つけられた唇が悲鳴を上げている。
「認めない!」
 叫ぶ唯の姿に、沼がため息をついた。
「あなたを殺しても、私は罪に問われませんよ。なぜなら――巫女を害したから」
「沼、許さないわ」
「……巫女がそう仰るなら」
 初めてあった時のように、わざとらしく頭を下げる沼に、困る。戸惑う。
 それを見た唯が、思い当たったかのように、言うのだ。
「何よ! あんたも一緒じゃない。椎が使えるとわかったから、構うんでしょう!?」
 ぱん、と乾いた音がした。
 驚いた。驚いたの、私。
 呆然と左の頬を押さえるのは、唯。私は、私はひりひり熱を持つ手のひらをそして唯を、見つめて――
 にやりと唯が笑った。そう、私をいつもさげすむ時に使う、あの顔。
 かあ様と、同じ。
「そうなのね! 椎!」
 楽しそうに、唯が笑う。――いや。
「どこに行っても無能だったのね! 恥さらし!」
 ……真っ暗だ。


 私が変わらず無能であったことに安心したのか、楽しそうに唯が宿屋をあとにする。
 暦と沼がきつく何かを口止めしていたが、大丈夫だろう。あの子は、私より優秀なことが判明すればそれで。
 私は、足が、動かなくて。
 思い出してしまう。
 動かなくていいと、鎖でつながれていた時を。
 何十にも心を縛る唯の言葉に動けなくて――かあ様をいらつかせて。
「ごめんなさい」


 泣き方にうまいとか、下手だとか、そんなくだらないことがあるなんて、考えもしなかった。
 だがどうだ。目の前で、涙だけ流して泣いている。
「椎」
 沼の言葉にふるえた椎が次ぎに、止まることを忘れたように繰り返すのは、謝罪。
 そして、振り出し。


「椎」
 呼びかけても、ぼんやりと振り返るだけ。最初に神殿に来たときと同じ。ぬけがら。
 ほんの一時、前に、笑ったことが嘘のように。

「あの小娘。首を絞めておいたほうがよかったですね」
「冗談に聞こえねぇよ」
「おや? 私が冗談でものを言うとでも?」
「すみません」
「しかし、どうしたものですかね」


「椎。いいのか」
「……何が?」
「もう、終わるぞ」
「そっか」
 何を、納得したのか。
「またずっと、神殿の中だぞ」
「お似合いね」
「は?」
「なんでもない」
 お似合いよ。籠の鳥が。
 だけど、少しだけ。
「おいっ」
 少しだけ、期待したの。変われることを。
 だけど何も、私は何も、変えていない。
 だって、私が手に入れたものはすべて――
「……おい?」
「いで」
 もう、いやだ。
「捨てないで」
 思い出して、泣く。けれど、放さない。
 好きな人も、かあ様に誉められたことも、認められたのも、全部唯。
 入れ替わっていたことを、いつから知っていたの?
 どうして、通うだけ通わせておいて、最後に舞台に立つのは唯。
 椎(わたし)は?
 好きだと言われたのに、好きだったのに。どうして、唯と一緒なの?
 おいて行かれて、捨てられて。何度も、なんども。
「椎?」
 この言葉も、きっと、消えてしまう。
「なんで泣いてんだ」
「……信じたいの」
 いい子で待ってるよ。一人でお留守番するよ。そう言うなら、二人の式のベールを持っても、いいわ。
 だからかあ様。お願い。


 服を握ったまま、ぼろぼろと泣いている。そのくせ、捕まれた腕の力は強い。
 何をそんなに、怯えるのだろうか。


「何してるんですか」
「俺のせいか?」
「そうです――椎」
「いや」
「は?」
「いなくなったら、嫌」
 両手を握りしめて、つぶやいた。泣きながら泣いていて、そのあと――


「椎?」
「寝てますよ」
「見りゃわかるよ」
 こそこそと会話する。二人。
「手」
「……つかんだものは、放したらいけないのですよ」
「そう言う問題かよ」
 服をつかんだまま、もたれ掛かって眠る椎。
 動けない。
「しかし、根深いですね」
「……そうだな」
 どれほどのものを植え付けられたのか。
 もがき苦しんで、息ができない。


 子供の頃の夢を見ていた。あれは、いつ?
 いつから。
 はじまりは――お父さんが。

 ふっと、目覚めた。そして、自分の体勢がひどく不自然なことに気がついた。
 ……?
 顔を上げて、逃げるように手を離した。
 ひどく混乱して。
「ごめ、なさ」
「おはよう」
「……おは、よう」
「もういいのか?」
「ごめんなさ」
「いいさ。どうせ暇だしな。だから、おいっ!?」
「また泣かせているんですか?」
「うるせえよ! 一人だけ抜け出しやがって!」
 一瞬、椎が身じろいだ瞬間に対象を暦に変えて、椎の手をすり抜けた沼。
「椎」
「はい?」
「私としては泣き顔もかわいいと言いますが、笑っていたほうが好きですよ」
 ぽかんと、椎が顔を上げる。暦がうめいた。
「添い寝が必要なら、呼んで下さい。暦が適任ですから」
「俺かよ」
「いいでしょう。椎」
「無視かよ」
「あたりまえです」
「おい」

 信じたいの。

 ほんの、少しだけでも。

「……沼」
「はい」
「暦」
「なんだ」
「一緒に、いてくれる?」
「はい」
「もちろん」
 最後でもいいの。ほんの少しだけ、信じさせて。



BACK TOP