古の龍の約束とカレラ


 うちの女王様は気まぐれだ。
「ミアー」
 がやがやと活気のあふれる商店を歩きながら、その名を呼ぶ。
「ミアー」
 いない……
「ミーアー」
 いた。
「捕まえたぞ!」
「きゃー!?」
 このおてんばめ。
「時間だって言っただろう!」
 それは会議の。
「いいじゃない! いなくても!」
「いいわけありません!」
「あります!」
「ありません!」
 長い髪を引っ張っていく。それは日常。
「もう! ロットのばか!」



 うちの女王は気まぐれだ。
「それで?」
「女王様」
 会議に出席させたはいいものの……なんだその言葉は。
「シャトー、どう思う?」
 側近の一人に話し掛けている。
「確かに良い案ですが、予算と人件費を考えると」
「テシー」
「現実的ではない」
「じゃ、却下。次」
 で、結局。
「貴女はなんにも決めてないじゃないですか!」
「当たり前でしょう。私がいなくてもいいようにしているのだから」
「それで貴女は城下で食いだおれですか」
「倒れるほど食べていいということね」
「ダメです」
「どうして」



「これに見覚えがないとは言わせないぞ龍族の女王よ!」
「陛下! 私が独断で行ったことです!」
 謁見の間にひったてられたのは、グリシーニの兵士。女王の駒。
 それの頭を掴んで誇らしげに大声を張り上げるのはベントランの王。
 女王の目が、しずかに細められた。
「陛下!これは私の独断で! 陛下はかんけ」
「黙らんか!」
 ベルトランの王が、女王の兵士を殴りつけた。
 はっとして、振り返る。女王は、しずかに、そして動く。
「さぁ女王よ! これとひきかえ」
 ガシャンと、ベルトランの王の顔になにかがたたき付けられた。
「ほしいのはこれでしょう」
「女王様!」
 兵士が、悲鳴をあげた。
「……このっ」
 一瞬怒ったベルトランの国王が、笑った。それはとても醜い笑いで、殺してくれようかと思った。しかし、それも制される。
「さぁ。ケントを放しなさい」
「くっくく、話のわかる女王で助かるよ」
 ベルトランの国王が突き飛ばしたので、ケントの体が崩れる。
「帰りなさい。見送りは必要ないでしょう」
「そうだな。さようなら龍族の女王様」



 部屋の扉をノックしなくなったのは、もうだいぶ前の事で。
 明かりも点けず月明かりの中、窓辺に立つ姿が見えた。
「女王」
「なに、まだなにか言い足りないの?」
 髪を下ろして背を向けている女王の背中は遠い。しかし、振り返った金の目がゆれていた。泣いていたのだろう。
 いつもそうだ。自分の力のなさを嘆いて、ひとりで泣いている。
「いいえ。貴女の行動は国としてはかなりの損失ですが、彼を救ってくださったことは嬉しい。けれど」
 言葉を切ると、振り返る。
 銀の髪、金の瞳。
 ふっと、細められる。悲しそうに、嬉しそうに。でも、これだけは言わないといけない。
「貴女の行動で、我が国の間者を見つけようという動きは活発になるでしょう。本当なら、貴方はあの場で彼を切り捨てなければいけなかった」
 グリシーニの女王は、一介の兵士にすら弱いと噂が流れる。そこら辺で国民を捕まえて、人質にしても効果はあるだろう。
 それを、他国が知ってしまった。
「貴方は彼を守りました。しかし、本当の意味で国は守れていない」
 これでは、きっと国民一人ひとりに危険が及ぶ可能性が増えてしまう。
 しずかに、女王は唇を噛み締めていた。あのまま血が出ても気がつかないほど、青ざめている。瞳にたまった涙がまつげをぬらして、落ちようとしている。
 責めすぎたかと反省して、ゆっくりと近づく。
 顎に手を当てて、顔を上げさせる。そっとのせた唇は、まだ血を流していない。金の瞳が、私を見上げた。
 問い詰めるような口調はここまで、ここに来た理由はひとつだ。
「彼を救ってくださったこと、感謝します」
 いろいろと思うところはある。しかし、あの場で彼が見捨てられるのもいやだった。
 少し、ほっとしたようにその表情が和む。
「ミア」
 貴女は優しいのです。そう言うと悲しそうに笑うので言わない。
 そっと抱きしめた。最初は震えて、逃げるように。しかし力をこめて、ゆっくりと抱く。
 涙が、落ちるのだろう。手の甲で目元を拭っている。その手をつかんで、目を覗く。驚いたように、金の瞳が揺れる。
「ミア」
 吸い込まれるように、唇を塞いでいた。見開かれた瞳が閉じていくのを見ながら、同じように目を閉じる。
 こわばっていた体から力がぬけて、答えるように背に回った腕とぬくもりが、心地好かった。



 突然の来客だった。
「ランク王。――すぐに、女王を探し……呼んでまいります」
「必要ない。そのうち戻ろう」
 そういうのでそれ以上いえず、とどまった。しかし、日が傾いても彼はまだいた。
 女王はまだ帰らない。普通なら帰ってきてもいい時間だというのに。城中がいつもより帰りの遅い女王を心配し、それについて何も言ってこないランク王。客室の沈黙が気まずい。整った顔で表情を変えずお茶を飲むランク王が怖い。
「ランク王、やはり」
「なんだ?」
 冷めた目が、声をかけられることを拒絶していた。
「いえ……何も」



「ヴィルハルトお兄様!?」
「お帰り、ミアラージャ」
「お兄様、喚んでくださればすぐに帰ってきましたのに」
「いや、たまには待つのもいいものだ」
「お兄様……」
 がっくりと肩を落とすミアラージャ。そして、彼女の視線に侍女と兵士達は部屋を去る。かわいそうに、緊張しただろう。
「ミアラージャ」
「はい」
 二人きりの部屋で呼ばれて、ミアラージャが足を進める。ヴィルハルトが座る長椅子のすぐ傍まで来て足を止める。それを、彼はどう思ったのだろう。
 一瞬細められた金の瞳。ミアラージャがはっとするよりも先に、腕が伸びた。
「お兄様」
「土産だ」
「お土産?」
 膝の上に座らされて、驚いたミアラージャは次の言葉に困惑して、反応が遅い。
 手渡された、それは、
「お兄様、これ」
「ふざけた男が持っていたから奪った」
「奪ったって! これは私がベルトランの王に差し上げたのよ!?」
「我が、わが国でミアラージャの香りがするものを持つものから奪って何が悪い」
「何がって、これは」
 これで、引き換えたのだ。彼の命を。
 慌てて膝から降りようとしたミアラージャの腰を、ヴィルハルトがつかんだ。
「放してお兄様!」
「彼なら死なない」
「うそ!?」
「我がミアラージャに嘘をつくわけがないだろう」
「……でも」
「ミアラージャ、我が信じられないのか?」
「そうじゃない、けど」
「ミアラージャ」
 金の瞳の色が、濃い。
「お兄様……ごめんなさい」
「ミアラージャ、我は驚いたよ。まさか、と、驚いたのに」
「ご、ごめ」
 ミアラージャが言葉を失くした。
「なぜミアラージャの気配をするものを奴が持っているんだ? ――ぁあ、すまないね。そんなに怯えて」
 鋭い気配と怒気からは比べ物にならないほど優しく、ヴィルハルトはミアラージャの額に口付けした。
 その行為はとても優しげで、実際に優しかったのだろう。しかし、ミアラージャの瞳からは涙が落ちた。
 それを見咎めたヴィルハルトの視線は厳しく、ミアラージャの目元に唇を落とした。涙をすくって、あやすように頭を撫でる。
 しばらくぐすぐすと泣いていたミアラージャが、落ち着きを取り戻しつつある、その瞬間。
「あの男の匂いがする」
 首筋から、耳から直接吹き込むような言葉にミアラージャが固まった。
「……に、……さま」
 今度は青ざめたミアラージャに、ヴィルハルトは微笑む。恐怖と緊張が高まったのか、ふっと、ミアラージャの意識が飛んだ。
 ヴィルハルトは力のぬけた体を抱きしめて、そっと額に口付けした。一連の様子に満足したのか、とても嬉しそうにミアラージャを抱き上げて進む。
 客室の寝室は整えられていて、しわのないシーツの上にミアラージャを寝かす。
「出かける」
「は」
 音もなく現れたのは彼の近衛で、短い言葉に頷いていた。
 ゆっくりと部屋の扉へ向かうヴィルハルト、扉の横で、近衛が頭を下げていた。
 静かに、閉じられた扉。部屋の静かな空気とは対照的に、先ほどミアラージャを凍りつかせた顔でヴィルハルトが足を踏み出した時、廊下に飾ってあった花瓶が砕けた。



「ミアラージャからお前の匂いがする。どういうことだ」
 突然部屋に押し入ってきたランク王に驚く間もなく、絶対的な力と威圧感にがくりと膝が落ちた。
 龍族の気。
 声が、でない。
 息をするのも苦しく、喘ぐばかりだ。
「――ぁあ」
 それを悟ったのか、緩慢に言葉を発して、ランク王が力を抑える。
 飲み込んだ空気に、声を取り戻した事を知る。
「ランク、王」
「余計な事をしゃべるな。どういうことだ」
 しかし、許されたのはひとつだけ。女王―ミアラージャに関する事だけ。
「……お慕いしております」
 吹き飛ばされた。
 何を言えというのだろうか。他者の嘘を暴くカレラに。



 気がついた時、常に傍にいた気配がないことを不思議に思った。
「……お兄様?」
 いったい、なに――
 思い出す。
 ここは里ではないこと。ましてお兄様の膝元でもない事。
「ブラン? ……お兄様は?」
「姫。お分かりになりませんか」
 ブランジュールは、兄―ヴィルドハールトに忠誠を誓っているが、それが無条件で妹―ミーアラルジャに来るわけではない事を知っていた。
 けれど――
 なぜだか、いつもより態度が冷たい。部屋の中の空気が寒い。
 あのヴィルハルトの近衛だ。ミアラージャよりもはるかに強い。
「あの、ブラン。ごめんなさい」
 なぜだか、怖い。
「本当にお分かりにならないのですか。あなたはヴィルハルト様のものなのに、なぜあんな人間にうつつを抜かしているのですか」
「――! ロット!」
 慌てて寝台から降りて、駆け出した。しかし、すぐにつかまった。
「放して!」
「いやです!」
「放して! ロットが死んでしまうわ!」
「かまわないでしょう」
「なんで!?」
 ミアラージャは悲しくなった。
「言ったでしょう。あなたはヴィルハルト様のものだ。なのに人間を――自業自得です」



「なん、だと」
 壁に叩きつけられて、意識を持っていかれそうになる。これはあばらがいったなと思いながら、意識を保っていたのは、美しく、時折楽しく微笑む彼女の顔を思い浮かべていたからだろうか。
「お慕いしております。誰より」
「ふざけるな!」
 怒気に、びりびりと場がゆれる。
「ミアラージャはわれのものだったのに、それを人間達(おまえたち)に……」
 そもそものはじまりは、この世界の龍神が人間に恋をしたことからはじまる。


 それは、龍と人の恋物語。
 種族を超えて愛し合った龍神―グリンバルと、その奥方―セリーナ。
 間に子をなした二人だが、セリーナはあくまで人として生きることを望み。永遠に近い命と力を龍から与えられる事を拒んだ。
 結果として、人としての寿命を全うしたセリーナは、人として国を愛したまま、龍神という世界の神を愛し愛されたまま死んだ。
 世界のすべてを思い通りにでき、しかし愛する人の生までは干渉できなかった龍神は嘆き、悲しんだ。
 そして、ただ愛したセリーナの残したという言葉を守るために、いっそう世界を守るために動き始めた。
 しかし、彼は、おそらくセリーナを愛すことはできても、同じように世界を、国を愛することはできないのだろう。
 なぜなら、国がなければ、セリーナは自分のものになったかもしれないし、世界がなければ永遠を生きる孤独をセリーナが埋めてくれたかもしれない。
 けれど世界がなければ――セリーナは生まれなかった。
 きっと、彼の手でつかむには、この世界はもろすぎるのだろう。握りつぶすほうが簡単で。
 だから彼は、龍神は息子に世界を守る事を託し、自身は身を隠した。神と人の間に生まれた子供は特別な力を持ち、また長命だった。
 そして彼の子もまた、同じだった。
 少しずつ龍神の力を受け継いだものが増えていき、いつしか、人間との間に溝が出来始めた。そして、いつからかカレラは人と距離をおいて暮らすようになった。それが龍族。
 この世界を平和にするため、この世界を守るため生きるカレラ。
 当然の事ながら、カレラは強く、また、頼りになった。弱い人はカレラを頼り。そのうち、カレラを王族に迎えると国が栄えるという話になった。
 世界を、国を守る彼らは、喜んで国にわたった。
 そして、龍族を迎え入れる事が、国々の目的となっていた。なぜなら龍族は、一生その国にとどまるわけでは、なかったのだから。


 わが国、グリシーニは先々代までは龍族がいたが、里に帰ってしまった。そして再び龍族を向かいいれる準備が整ったで、龍の里に渡ったのだが――これが、悪かった。
 間が悪かったのだ。
 グリシーニが龍族を求めた時、里を自由に出入りできる年齢で、他国に属していないカレラはミアラージャしかいなかった。
 しかし、ミアラージャはヴィルハルトのものだったのだ。
 長と呼ばれるものたちはそれを知っていたのか、知らなかったのかはもうわからない。もしかしたら古の約束を優先させたのかもしれないが、ミアラージャをグリシーニに譲ってくれた。
 そのあと、だ。彼女を愛し愛する存在が、いることを知ったのは。
「お前達などに! ミアラージャは我の国に来るはずであったのに!」
 龍族はその血を重んじるため、近親同士で婚姻を結ぶ。だがヴィルハルトの執着は私たちには理解しがたい。
 とりあえずランク王の言葉が突き刺さるように痛い。実際に、空気が槍になって降り注ぐようだった。
「ミアラージャに触れたのか」
「……はい」
 死ぬかもしれないと、本気で思った。



 しかし、生きていた。首の皮一枚で繋がっていた。
 息をすることを忘れていたように、大きく流れる空気に喘いだ。苦痛にゆがませた視線をランク王に送ると、彼はそれはそれは悔しそうに、納得がいかないと、許しがたいと全身で言っていた。
 いったい、なにが。
 ヴィルハルトを思いとどまらせたのは、ランスロットに残るミアラージャの気配だった。それは、とてもはかなく、また優しいもので。
 少なからず彼女の気持ちを悟ったヴィルハルトは手を止めた。悲しむことを知って止めた。怒りは、おさまらない。
 ミアラージャはヴィルハルトの心を知っていたはずだ。しかし、彼女もまた約束を重んじた。
 それは、セリーナを愛した龍神の心だから。それが龍族が存在する理由だから。
 ヴィルハルトもそれは知っていた。だからランク国に行ったのだ。しかし、ミアラージャはどうだ。
 ヴィルハルトの国の権力の及ばない遠く離れた地。しかも、今にもどこかに吸収されそうな弱国。
 手の届かない所で生きるミアラージャ。ましてそこで、その身に触れることをこの男に許したのかと思うとすべてを燃やしたくなる。
 龍神は偉大だと思う。
 我なら、ミアラージャを縛る国など葬ってしまう。――いや、同じか。
 ならばさっさと、この国を葬ればいいのだ。それが、できないのは――
 結局、同じなのだ。世界を息子に託した龍神と。
「お兄様!」
「また来る」
「え?」
 部屋に駆け込んできたミアラージャに口付けして、足を進める。ランスロットに気がついて駆け寄ったミアラージャを置いて、廊下に出る。
「よろしいのですか?」
「黙れ」
 ブランが、失言を自覚して深く頭を下げた。
 よいわけがない。しかし。
 青くなっているランスロットに、ミアラージャが手を伸ばす。そして、ヴィルハルトを振り返った。
「お兄様?」
「愛しているよ。我のミアラージャ」
 もう、ヴィルハルトは振り返らなかった。



「お兄様!? ロット、大丈夫?」
「……はい」
 去っていく兄と青ざめた男の間に挟まれて、ミアラージャはおろおろと首を振る。しかしその手は、ランスロットの肩に置かれたままだった。
 去っていく気配と共に、威圧感も離れていく。徐々に自由になる体に任せるように、ランスロットはミアラージャの手を取った。
「……?」
 すっと、手の平に口付ける。
 驚いたミアラージャの目が見開かれて、くすぐったそうに笑う。
「どうしたの?」
「――ミア」
 答えは、返らない。唇をふさいで、その体を引き寄せた。いつもながら唐突で、しかも今は昼。月に隠れる事もできない。
 驚いたミアラージャは、ゆっくりと眼を閉じた。
 触れるだけの口付けが惜しいというように長く。ミアラージャが息を求め始めた頃、それは離れた。
「貴女を返したくない」
 人の寿命は龍族より短い。だから龍族は国に向かえられるも――それは一生ではない。
「私――」
「いいんです。わかっています。だけど今は、このまま」
 ランスロットは、きつくきつくミアラージャを抱きしめた。少しだけ息苦しさを感じたミアラージャだが、黙っていた。
 強い力で抱きしめる腕が、震えていたから。本当は、人間なんかに比べればミアラージャの力のほうが強かったのに。

 いつか、龍族はいなくなってしまう。大きすぎる力は、破滅を導くから。そしてまた、人間はカレラを求めるのだ。

 そうして、どこか不自然な取り交わしを廻って世界は続いていく。
 彼らが人間を守るために。それが約束。
 古の龍神が愛した人と交わした、約束――



2010.09.20

Free Will