「は?」
 信じなかった。だけどその人は、苦笑しただけで、その手を放してはくれなかった。
「まぁ無理もありませんが、来てもらいます。――氷の刃(セイレーネ)」

 昔、当たり前すぎていつかははっきりしない。あの頃。
 水と氷が友達だった。いつも川辺にいて、海に憧れて。
 一変したのは、十四の時だった。長い長い戦争の幕が開けて、村は燃えた。
 ――水は、私を守った。けれど、すべては、守れなかった。
 こんな村、消えてしまえと願ったのは嘘じゃない。だけど一人は、過酷で。
 燃え上がる炎を消して回っている時、捕まった。
 そして氷は、武器になることを知った。
 それからは、生きるためだけに生きていた。 だけどやっぱり、一人は過酷で。
 今度は、見つかった。
 それは、友達を否定するものではなく。私は戦場で血を流した。
 それも。すべて。

「はー……」
 めんどくさい。
「七回目。気が進まないのはわかりますが、もうすぐですよ」
「……陰険」
 あんなに頑張って進んだ道程など、馬車で進めばもう、すぐで。
「はー」
「八回目」
「うるさいわね」
 いちいち数えないで。
「セイレーネ」
「なに」
「世界は、平和でしょうか」
「興味ないわ」
「氷の刃(セイレーネ)」
「刺されたくなければ、黙って」
 力は、まだ顕在だ。救われたのだ。だから。
 だけど――
(力なんて)
 世が平和なら、いらないのよ。
 なぜだろう。初めて、友達を否定してしまった。
 私の存在そのもの、なのに。

 無言でも、馬車は進む。向かう先、王都フィラフィーアへ。



 場違いだ。
「ねぇ」
「なんですか」
「帰る」
「駄目です」
 すれ違う兵士はおいておいても、侍女達ですら私よりもいいものを着ている。
 くらべて、みじめなこと。
 事情を知らない女達が、囁いていた。
「場違いよ」
「そうでもないですよ」
「いいわよ」
 別に、慰めなくても。
「あなたの美しさは、よく知っているつもりですよ」
 あの場所で、水と氷に愛された女神(セイレーネ)
 戦場で。
(うれしく、ないわ)
「つきま」
 したよと、続くはずの言葉は、怒声に掻き消された。
 よく、聞き慣れた声。ちらりと視線を送ると、苦笑していた。
「さぁ、お待ちですよ」
 嘘じゃないの。

 その場は、見知らぬ場所で、ただその場からもれでるその場を支配する空気は、覚えのあるものだった。
「元気そうね」
 口元が笑う。視線を感じて顔をあげると、またニヤニヤと笑う。そいつ。
「がっ!?」
 蹴飛ばした。
 なにか反論しようと手が伸びる。たたき落として、部屋の中に続く扉を――
 がしゃん! と、目の前に重なる槍。
「………」


 寒々しい空気に、流れる冷や汗が凍りつきそうだ。そういえば、この王の勇士と並んで称される言葉、氷の刃(セイレーネ)が生み出したという空気は、こういうものなのだろうか。
 そう彼が、謝った認識を膨らませているところに、それは起きた。


「おいっ! まっ」
「フリジーミスト!」
 涼しげな声に、反応した。
 そして、扉が砕けた。
 ピキシと凍りつき、一付きで砕け散った。
 なにが起こったのか、とっさに理解できず、ただ流れる冷気に身を震わせた。
「レーセ?」
「なによ。狂星王」
 そこに、見たのだ。
 狂星と呼ばれた男と、隣に並ぶ氷の刃を。


 そして――気がつけば嵐は去っていた。
「あーあー派手に壊してくれて。これ修理費かかるなー」
 払ってくれないかなー出さないよな〜
「……あの、師範」
「ん?」
「いったい……?」
「駄目だよ邪魔したら、もれなく氷付けか、ミンチだね」
「そうではなく……?」
「なに? 知りたいのは氷の刃のことかな? それこそ、氷付けになることを覚悟しないとね」


「ちょっと、ちょっと!」
 一瞬のことで、相変わらず機敏な男は私の腕を引っ張って。
「だから、まっ」
 正直、運動不足の足に堪えた。
「レーセ!?」
 ベシャッとこけた。ぁあ、もう。
「ちょっと待ちなさいっていってるでしょクライン!」
 屈み込んだ男の前髪を引っ張った。痛そうにしている。
「いきなり呼び付けたかと思えば、なにを――」
 手を緩めたのが、いけなかったみたい。
「ぎゃぁ!?」
 抱え上げられて進む、その足の迷いないこと。
 あっという間についたその場所は寝室で、寝台の上に投げ落とされた。


「あーあーあー嵐だね」
 とばっちりいを食らった兵士の多いこと。
「だから邪魔しちゃ駄目だって」
 言ってなかった……かな。
(まぁいいや)
 足音を消して、しかし気配は残して、先を進む。それはあの時と同じだから、邪魔にはならない。


 部屋に差し込む明かりは、夕焼けの一筋。
 照らされた顔が穏やかに、また、ゆっくりと。
 膝を枕にされたまま、行動を制限された娘もまた眠る。
 共に戦場の先頭をかけながら、二人の心を支えていたものはなんだったのか。
(見慣れているとは言え、久々だな)
 ようするにうちの大将は、甘いのだ。
 そして、氷の刃と呼ばれた娘もまた、望んでいたのだ。
 問題は、もう彼は大将ではなくて王で、少女は女なのだ。
 常日頃から移動する戦場ではない。ここは王宮だ。
 だから彼女は、あんなにも嫌がっていたじゃないか。
 それを押し通した。
 彼がかける天秤は、狂星の王に傾いたのだ。
「俺は、貴方のために生きると決めたんです」


 目が覚めた。重い。
「いつーー」
 いつものように、たたき落とそうとして、やめてしまった。
(疲れてるのか?)
 狂星王という呼び名はまだ健在でも、ここは戦場ではない。
 なぜそんなに、疲労するのか。
「ぁあ、起きましたね。そろそろだと思いました」
「だったらどうにかして頂戴」
 そういっても、彼は肩をすくめるだけ。
「この、奇術師(ウィルティード)」
「久しぶりですね」
 ほかに言うことはないのか。
「とにかく、どうにかして」
「いや〜王が寝ている以上は」
「なんで疲れてるのよ」
「……そうですねー」
 おちゃらけた空気を掻き消して。ウィルティードは言うのだ。
「とりあえず王と結婚しちゃってください」
「アイスウインド」
 部屋の中を、寒々しい空気支配する。壁という壁、床に天井が凍り付いた。
「セイレーネ、容赦ないですよね……」
「その口を凍らせようと思ったんだけど」
「レーセ、どうした?」
「どうしたじゃないわよ。だいたい」
「どうして、来てくれたんだ?」
 あっちゃーという歎きの声に、鋭い視線を送った。
「どういうことかしら?」
 事の起こりはすべて、奇術師(ウィルティート)と呼ばれた男の差し金。
「だって、華がなさすぎ」
「アイスエヴァ」
「ぎゃー!?」


「レーセ」
 部屋を凍りつかせた後、セイレーネはお風呂を用意させた。
「なによ。クライン」
 部屋の中を凍りつかせたとは思えないほど、ほこほこと幸せそうだ。
「夕食はどうする」
「食べるわよ」
「そうか」
「元気ないわよ」
「いい加減疲れる」
「あっそう」
「レーセ」
「なに」
「また、一人なのか?」
 久しぶりの質問に、わらった。
「誰が一人だって?」
 そんなの、もう笑い飛ばせる。
(だって私は)
 ここにいるから。
 たった一人だと、なぜ歎こうか。
「一人じゃさせなくさせてくれるのでしょう?」
 それはきっと、あの奇術師の差し金。
 そして、それは――
「そうだな」
「語尾が弱い」
「う」

 氷が溶けたら、水の流れをたどろう。ゆきつく先は広く広大過ぎて、どこに向かうのか予想もつかないけど。
 だけど歩こう。
 水の流れに逆らわず。それこそ、あの奇術師の敷いた道を踏み潰しながら。
 ただ――とりあえず、その流れに身を任せるのも、一興だと。

(この私を水に流そうなんて、物好きよね)


 水の流れはやがて海にまじり、雨となって大地に降ろう。
 それはきっと、恵みの雫。


Free Will