神の愛人 2
 “愛人”というのは、もとよりあまりいい響きではない事を知っていた。
 あの、殺気立った鋭い視線。
 表だって神に反論するものこそいないが、私の存在を認めていない神の臣下もいるのだろう。
 とくに、あれ。
 最近よく見る男の視線が痛い。しかし、正直関係ないし。実害はないし。
 第一私がいらいらしているわけじゃないし。無視よ。無視。
 あれは白い鳥、あれは白い鳥。ただの白い鳥……
「白い鳩は平和の象徴でも、幸せを運ぶのは青い鳥よね」
「娘」
 だからあれは白い鳥。存在しない聞こえない、見ても見えない――
「娘」
 彼が私の肩をつかんだ時、何かが落ちるひどい音がした。耳元でうるさい。あれだ、雷だ。……?
 恐る恐る振り返る。
「何をしている」
「も、もうしわけありま」
 振り返った先は真っ白い背中。神の背で先が見えない。邪魔だというように押しのけて、伸びてきた神の腕を払って。
 天界には珍しい黒色にうまい具合にこげた男に睨まれた。
「ぇえっと?」
 いったい何が?
「神(わたし)のものに勝手に触れることは禁じておる」
 だから――
「覚悟はいいな、ルシフェシル」
「――」
 彼はもう驚きと悔しさで何も言わず。ただ神に従うと頭を下げた。
 私は――
「神(あんた)なんか大っ嫌い!!!」
 緊迫した空気をぶち壊すように叫んで、走り出した。



「七海(ななみ)様」
 ――。
「七海様」
 泣きつかれて眠っていたのだと、扉の外から必死で呼びかける声に目を覚ます。壁際で、頭を寄せてもたれかかっていた。
「……?」
 変だ。いつもなら神がくるはずなのに。
「だれ?」
「七海様」
 扉を開けると、ほっとしたように声をかけられる。それは、ついさっき怖い顔で攻めてきた男だったので、恐怖に震えた。
「――先ほど申し訳ありません。あなたに恐れを抱かせるなど。咎はあとで負います。それよりもお願いします。神様を」
「神がどうかしたの?」
「その……とにかく、出て来てください」
 一歩、踏み出すのが怖かった。
「七海様?」
「……や」
 いやでも、自分の噂が届く。いやでも、自分の立場がどこにあるのか考えてしまう。
 神を突き放したのは、私だ。ここで生きていくために、必要なものを自ら突き放した。
 なのに、のうのうと外があるけるはずもない。
「いやっ!」
 勢いよく叫んで、声が聞こえないように窓辺に座り込んだ。
「……ふっ……」
 私は、捨てられたのだろうか。すべてを、捨てたから?
「……」
 悲しくて、泣き出した。


 簡単には、涙は枯れなかった。袖口が重くなって、涙を拭うには足りない。
 ぁあ、どうしよう。


「――七海」
 びくと、震えた。少しだけ顔を上げて見えた足。
「……ぁ」
「――泣かないで、怖い思いをさせてしまって、すまないね」
 暖かい声に、甘える。首を振った。
「……違」
 顔を近づけてきた神は、知っているというように笑っていた。
 ――だから、甘えてしまうのよ。
「いいんだよ。七海」
「よくない」
 うつむいていたから、その時、とても悲しそうに神の瞳がゆれたことは、知らなかった。


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