「いやあぁぁぁぁーー!!!」

 いっそう甲高く上がった悲鳴は、最後となった。




方翼の天使






 両の手を、天井からつるされた紐に縛られて、床にひざを着く。さらに、暴れる腕を足を押さえつけられて、もう、暴れる気力もない。

 目の前には、幾人もの人々。――――なぜ?

 ただ、降りてきただけなのに。―――中間点に。

 天使と悪魔と人間が存在できる場所に。

 突然何かに捕らえられ。そして、


「やめて…………やめて……」

 近づいてくる――――剣。

「い……や…………」

 確実に、確かに、私の翼に振り下ろされた。








 静かな、裏路地。人混みと、人声が遠くで響く。


「…ぅ……」
 熱く、燃えるような背。
「ぁ…………」
 左の翼は根元から切り取られ、ない。
「……ふ…………ぅ」
 こみ上げる涙は、止まらない。

――――――なぜ?






 天使の背から切り取られた翼は、光の宝玉となって浮かび漂う。―――――捕まえて、閉じ込める。…………ある場所へ、運ぶ途中。


バザァァァァ!!!

 舞い散る白い羽。落ちていく天使。一瞬にして、三人の使いは落ちた。
 一枚の黒い羽を舞い散らせて、悪魔は宝玉を手に入れた。







「……………っ。」
 いつまで泣いていてもしょうがない。ごしごしと顔を拭いて、立ち上がった。
「……とっ………」
 バランスを保つのが難しい。熱くうなる背をどうにか押さえて、右の翼をしまった。

 壁に手をついたまま、瞳を閉じる。

「どこ―――――?」
 私の翼は。


 光の、行方を追う。














がやがや、がやがや、
 独特の、人ごみの中を、歩く。ここは、魔界。魔族の世界。

 黒いフードをかぶって、方翼の天使は道の端を進む。―――――翼を求めて。




 力の強い天使ほど、魔界の空気で生きてはいけない。―――――でも、方翼をとられた天使は少し、自分の力を失った。


「はぁ、……………はぁ」
 それでも、体に合わない空気の中を、翼を目指して進んでいった。

――――行き着く先が、魔城でも。

 まだ、大丈夫。













「来る」
 ゆっくりと、宝玉を手に取った。

「邪魔をするな」












 そびえ建つ城は、魔王のいる城だから。これまでとは別格の魔の力。天使は一瞬倒れ掛かったのを持ち直した。

「こ……こ――――?」

 自分の翼の気配を追って、よもやこんなところにこようとは。魔界に来たことですら、天使長にお咎(とが)めを受けるというに。


「どうやって………」
 中に入れというのだろうか。




「はぁ、はぁ、」
 息苦しくなる身体。重く、重く。壁に手をついて、足を動かす。

――――――誰も、いない。

「………?………」
 不思議には思っても、ただ、翼を目指して進むしかなかった。

――――返して、私の翼――――

 天使の願いはそれだから。



 石の床にまったく響くことのない足運び。いかに天使が軽いのか、物語るようでもあった。
 小柄な背。細い身体。肩より長くなった髪が、前にかかってうっとうしい。汗ばんだ身体。上がる息。
 翼のある場所に近づくたびに、魔の力は増していく。―――それも、わかってる。でも、

――――返して、私の翼――――







 永遠に続いていた―――――。歩き続ける。









 翼の気配があるところ、中に気配のある部屋の前。


「は、は、……………」
 あまりの扉のでかさに言葉を失った。

………………だけど、進むしかなかった。




 ゆっくりと押すと、すごく、簡単に開いた。――――――中から。



「っひ!!」
 短い悲鳴は、雰囲気に飲まれた。

「ぁ……………」

 立っていられなくて、扉に手をかけたまましゃがみこんだ。

ずる、ずる、ぺたん

 止まらない身体の振るえと、恐ろしさ。

「………………ぁ…あ………」
 がたがたと、身体を震わせて、がちがちと歯がなった。



くすくすくすくす――――――

 同時に響く笑い声。

あはははははは―――――

 嘲(あざけ)る様な笑い声に、耳をふさいだ。…………何の意味もない。


 見下す声と笑いと空気と力に、耳をふさいだまま身体を震わせておびえた。

――――怖くて、コワクテ。




 何百という悪魔が部屋を埋め尽くす。
 幾人も幾人も幾人も幾人も幾人も……………。

―――――こ、わい――――


 こっちを見て笑ってる。――――まるで、何か面白いものでも見たように。遊び道具でも見つけたように。それから、それから―――――



「かえ、して。」
 口を開いたことに驚いた。声が出たことに驚いた。

―――――――

 言葉が聞こえたのか、何かちゃかすように声がした。からかい、冷やかし。見下し。蔑(さげす)み。哀れみ。軽蔑。幾つもの音がする。


「カエシテ、私の、翼―――――」


「ここにある」
 一段と冷ややかな声がした。まるで、こちらの反応を楽しむような。


「――――?」
 見上げて、見た。

 壇上に座る魔王の手に、私の翼が、宝玉が有ることを。


「――――――っっっ!!」
 全身があわ立つように鳥肌が立つ。

 怖いこわい恐い恐いこわい怖い怖い怖い怖い怖い怖いコワイコワ、い―――――


 固まって、動けない私、面白そうに、魔王は言った。

「いらないのか?」



――――――い、る。



 震えるひざを身体を、扉に寄りかかるようについた手で立ち上がらせる。何もなければ立ち上がることすら無理かもしれない。
 何とか扉についた手で、身体を起こして、立ったけれど。

 手は相変わらず後ろの扉についたまま。

「は……………は……は……」

 落ち着くことのない息は、さらに上がる。鼓動(こどう)が早まる。

「は、…………は」

 ゆっくりと、歩き出した。

ざわ
 見下していた悪魔に、動揺が走った。

ざわざわざわざわ…………

「は……は…」
 一歩、一歩。

 倒れないのが不思議であるかのように、方翼の天使は進んでいく。

 壇上までの道をふさぐ悪魔は端によけた。天使の進む道のみが開ける。


「はぁ…………は、」

 下に敷かれた絨毯(じゅうたん)に、足をとられて進まない。

「きゃ!」
 何もないところで、こけた。

―――――!!!!!!!!

 部屋に響いたのは、笑い――――嘲笑(ちょうしょう)。


「ぐ…………」

 落ち着かすように息を吐いて、立ち上がった。


 もともと軽い上に、絨毯の上。足音はまったくしない。


「は、は。」


 たどり着いた、壇上の下。階段の下。うつむいていた視線を上げて、上を、見た。

「――――――っっっ」
 絶望と、呼べる。

 これまで自分を苦しめてきた魔の力が、いかに軽いものであるかを物語るような力。

 玉座に座る魔王までの距離と、自分の存在のなさ。

―――――なぜ、こんなところにいるのか、自分は。場違いであるのは明らかである。

 レベルが違う―――――




 上を向いた視線を下ろして、階段に足をかけた―――――

「!!!」
が!!
 鈍い音ともに、ひざが階段についた。

「……」

―――――もう、声もでない。


かたカタカタカタカかかったたたかたがたがたかたがた


 手を、伸ばして、階段を上った。四つんばいになって、折れる腕をひじで支えて。

ずるっずるっ
 ひじとひざで階段を上がる。―――――這(は)っていく。


ずるっ、ずるっ、ずるっ、ずるっ、ずるっ、ずる…

……………と、

ずぼぉ!

「!!!!」

 ひじを突いた階段に黒い穴が開き、私の腕を飲み込んだ。小さな穴は私自身を飲み込むほど大きくなかった。でも、恐ろしくて反対の腕のあらん限りの力で逃げた。

ぐらぁ……

「ぇ…」

 視界が反転して、階段を転げ落ちた。


ガダダーーン!!!
 落ちていく速さは、とても早い。


くすくすくすくすくすくすくすくす――――

 乾いた笑いが響いた。
 同時に、魔族が一匹消えた。


「……………」
 むっくりと起き上がった方翼の天使。部屋には、その天使の息遣いしか聞こえない。

が!!
 三段目に手をかけて、また、階段を這う。




 進むたびに襲い来る魔の力。天使の体力を力を奪う。――――気力さえも。



 広い部屋には、重い身体を持ち上げる音と、どんどん荒くなる息。しか、聞こえない。



がっ
「はぁ、はぁ、は、はぁ、………は…………」

ずるっ
 終わりないように思えた階段の上。壇上に上がった天使はそのまま崩れ落ちた。


「………………」
「は、は、は、………はぁ、………はぁ、…………………は、はぁ。」 

 いつまでも肩の上がる――――――魔王は冷ややかに見ていた。

「は………………ぐ………」

 大きく吸った息を吐いて、方翼の天使は前を向いた。

―――………一転を見る。

 魔王の手の中に浮かぶ宝玉。

「私の、翼――――」

 魔王の正面で、手を伸ばした。

 腕を上げるのですら困難で、なかなか動かない。

 肩を上げて、曲がったひじを伸ばして。

 長く長く。腕を先に。

 ぎちぎちと音がしそうなほどゆっくり。固まった筋がはじめて伸びていくように慎重に。

 本人は、必死なのだろう。

 伸びきったひじ。今度は、指をいっぱいに開く。

 見た目にわかるほど震える指先、腕。

 ともすれば力の抜けそうな腕。

 足は、もう動かない。

 ひざを立てて、前にも、進めない、進まない。

 身体中が震える。

 倒(たお)れていないことのほうが不思議。

 それ以上伸びようもない腕を、手を伸ばす。

 魔王は、動かない。

 天使の目は宝玉に注がれる。

 そろそろ、限界が近いようだった。

 腕の震えも、指先の震えも止まらない。

 歯をきつく噛んで、手を伸ばした。

 あと、少し―――――

 人差し指の半分も距離はない。

 宝玉の光の中に、指先が入った。ぼんやりと周りを照らす光。

 あと、少し…………

 これが最後といわんばかりに力を振り絞って伸ばした手は、



 “空”をつかんだ。



・・・END・・・



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