―――その眠りを覚ますもの。

「巫女」
「……はい?」
「今日も、あそこへ?」
「はい」
「あなたも、暇な方ですね」
「それが、私の役目ですから」



龍の守巫女。



 この国で数万年は眠り続けている龍のために用意される巫女。
 ただ眠り続ける龍のために水を汲み、捧げを用意する。
 ただ眠り続ける龍のために一生を捧げる。

 その場所は地下。国の中心にある神殿の下。
 一度入れば、二度と出る事は叶わない。
 決められた神殿の道を、捧げ物を受け取るために進むだけ。

 この国で崇められる一匹の龍。
 眠り続けたまま起きない龍。

「おはようございます」
 その瞳がどの色を持っているのか、その声がどう大地を震わせるのか。いつも巫女は想像する。
 いつか、自身が崇め守を務める龍が起きる事を。

 その色を持った瞳が、どんな色で自分を見つめるのか。

 ただ、心待ちにする。

 巫女として持ち込めるものは何もない。ここに来た時に来ていた服でさえ取り払われて、今来ている白い巫女服だけ。
 龍の眠る地下には窓もない。長い長い階段を、一日に七回往復する。それ以外は、生きるために用意された部屋が上にある。

 靴を履けば、靴音がする。起きてほしいと願う龍の眠りを妨げるのも嫌だった。

ぺたっぺたっ
 こんな石の床で、どうして寝そべって眠れるのだろうか?

 暗い中では黒く見えていた鱗が、本当は青い宝石のようだと知ったのはつい最近。光に当てたら、どれほど綺麗に写るのだろうか。
 考え始めたら切りがなかった。

 いつも、祈りを捧げて、そして祈る。この国の神である龍に目の前で祈るなど、おかしくてしかたない。
 そして、もう一つ。
 もう祈る相手はいなかった。だから自分に祈った。

 その眠りが、眠りから目覚める事を。

 そっと手を伸ばして、その鱗に触れる。それだけの事がいつもできない。伸ばした手は下ろされて、ただ胸の前で握り締められる。

ジジッ
 蝋燭(ろうそく)の火が、目の前を照らす。

 上のしがらみも、暗い人間関係も。いまだ眠り続ける龍の代わりに国を私欲で導こうとする神殿長も。
 見ているのは嫌だった。
 ただ、体裁を保つために私を選んだってことも、ただのただ飯ぐらいだと思っていることも。それこそ、早く出て行ってほしいと思っていることも。

 眠り続ける龍をいいことに。

 その鍵爪で掻っ切られてもいい。だから。
 なんど、この巨体を叩き起こしたいと思ったことだろう。
 なんど、隠し持った短剣で瞼を刺したいと思ったことだろう。

 起きて、ほしい。

「おやすみなさい」
 いつからだったか。その巨体にもたれかかって眠るようになったのは。
 動かない巨体をゆらすもの、その鼓動と呼吸を感じる。

 持ち込んだ毛布に包まって眠る。冷たい石の床で眠る事に慣れきった生活。


 まるで牢獄の暮らしだと、神殿の外の人間は巫女となることを拒んでいる。


 彼女が巫女に選ばれたのも、そのせいだ。
 孤児だった彼女は、孤児院の長に売られたのだった。


「神殿長」
「何か?」
「やはり、この際」
「あの巫女を殺して、地下の龍の部屋に続く階段を封鎖する?」
「よくわかっていらっしゃる」
「しかし! もし龍が起きたら!」
「まさか、あの龍が起きるわけなかろう?」
「ですか!」
「ふっ今のいままで起きてこないんだ、もう死んだも同然だ」




「巫女」
「?」
 小さな呼び声に回廊を振り返っても、誰もいない。
「巫女っ」
「え?」
 腕を引かれて、いつもなら閉じているはずの扉の中に連れ込まれる。口を塞がれて声もでない。―――否。叫ぶことを忘れてしまったようだ。龍を起こすわけにいかなかったから。大きな声を上げることを咽が拒んだ。
「逃げてください」
「―――なぜ?」
「神殿長様が……あなたを殺すおつもりです」
「龍は……?」
「あなたを殺して、あの道を封鎖すると」
「っ!?」
「お逃げ下さい」
「……」
 静かに、巫女は首を振った。
「行ってください。こんな所を見られたらあなたが罰せられます」
「巫女っ」
「わたしは、あの龍を守るものです」
「巫女……」
「あの龍が起きるまで、わたしはここを出ません」
「殺されるのですよ!」
「ならば、あの龍のもとで殺してください」
「―――!? ……あなたを侮(あなど)っていました」
「?」
「これまでの巫女と同じように、逃げ出そうとすることは考えないのですね」
「逃げる?」
 “逃げたい”?
 答えは“はい”だ。

 でもそれは、あの龍の瞳の色を見たあとでいい。

「……私には、神殿長の決定を覆す事はできません」
「わかっております。ご忠告、感謝します」
 巫女は一礼して、部屋を出て行った。


 ―――それから、彼女を見たものはいない。


 廃墟となった神殿は、何も語らない。



 もしかしたら、彼女は龍の瞳の色を見たのかもしれない。


 空に溶ける鱗の背に乗って。




サブタイトル
「その眠りを覚ますもの」

Free Will