王城の恋もよう

 その日は、夜勤だった。
 それを忘れて夕方まで遊びに興じていた昼間の自分が憎い。
 とにかくあくびを噛み殺して、音のない夜のかがり火を見つめる。
 大陸を二分した戦争は三十年も昔に終わり、自分はその爪あとの欠片も知らない。
 今では、兵士が余ってしまうほど、平和なものだった。
 そうそう、戦争が起こるとも思えなかったし、どこかに攻め込む予定も、攻め込まれる予定も、考えられなかった。
 その頃、敵と仕事は、外から来るものだと思っていた。
 自分は、一介の兵士にしか過ぎない。
 国王と王妃と王子と王女の、身辺警護は仕事ではない。
 暇な物だ。
 今度は、口元に手を当ててあくびをした。

 真横に人が降ってきたのは、その時だった。

 ふわりと風に舞った、金色の髪。
 おとぎ話に出てきそうな、天使。に、見えた。
 少なくとも自分には、彼女に羽が生えているように。

 少し考えればわかったはずだった。彼女はこの国の第三王女、サシャ。歳は、十三。
 その藍色の瞳と目があった。
 少しだけ、時間が止まったかのような、錯覚。
 彼女はすぐに、身を翻して去っていく。
 追いかけた。
 見間違いじゃなかったのは、彼女が泣いている事だけ。

 消え去りそうな背中を、必死で追った。
 足の速さは自身があったし、彼女よりも早く走れる自身もあった。
 ただ、苦戦したのは夜の暗さ。
 まるで、月は彼女の見方をするように雲間に隠れ、周りを照らそうとしない。
 手がかりとなるのは、彼女の金色の髪に留まる、白い石のバレッタ。
 彼女はまるで真昼と同じように、暗い夜道を進んでいく。
 途中で、あんな所に、城壁が崩れた場所があるとはじめて知った。
 いっそう深まっていく森、宵。

 また日が昇るなんて、考えられない。

 突然、彼女を見失った。
 あわてて走る速さをあげると、森を出てしまった。
 そんなわけがない。彼女が森を出たわけは――
 ぐるりと振り返って、探した。
 いた。
 木の幹のうしろから、金色の髪がこぼれ出ていた。
 月はまた、輝きだす。そのおかげで、よく見える。

「王女様?」
 一瞬で、世界が変わった。
 彼女は驚いたように立ち上がって、警戒する。
 こちらを見る目が、信じられないというように見開いていた。
「……あなた……さっきの」
 あわてて瞳をこする、赤くはれ上がる瞳が余計に赤く染まっていく。
 彼女に覚えられていた事は意外だった。あの一瞬で。
 でも自分も覚えているのだから、御互い様かもしれない。
「どうされました?」
「関係ないでしょう!」
 突き放すような言い方が、気になった。
 いきなり現れた自分に、何か話し出すのも、それはそれでおかしいかとも思う。
 だけど、悲しかった。
「申し訳、ありません」
 謝罪すると、視線を逸らされた。
 苦々しいものでも感じているかのように、その顔が歪む。
 こんなに至近距離で、その顔を拝見したのもはじめてだった。
 まして、言葉を交わすなど。
 顔を上げると、何かに苛立っているかのような彼女の表情。
「どこかに行って! 私を一人にさせて!」
 もう止まらない、止める事を知らないというように、叫ぶ。
 苦しいのは、心。
「王女様……」
「どうして私に構うの!? あなたに関係ないでしょう!」

『おにいちゃんに関係ないでしょう!!』

 田舎に、残した妹と重なる。――そうだ、彼女は妹とそっくりじゃないか。
 もう子供じゃないと言い張る妹が、まだ子供なんだからと言われた時と。
「………座りませんか?」
 そう言って、着ていた上着を木の下に敷いた。
 そして自分は、その木の反対側に回って、座った。
 その間に端って逃げはしないかと、ふと思った。
 でも、それは心配に終わった。
 思案するような間、そして、腰掛ける気配。
「星がきれいですね」
 ふっと、見上げる空。まるではじめて、星空を見上げたというように、息を飲む、声。
 雲は、どこかへ旅立ってしまった。
 互いに口を閉じて、沈黙。
「……怒鳴って、ごめんなさい」
 かすかな、震える声がした。
「お話をしましょう」
「お話?」
「はい」
 昔、妹が、毎晩読んでとねだった本。
 それはどこにでもあるような、兄妹が幸せを求めて旅に出る。そんな話――
「昔、昔」
 物語のはじまりは、いつもそう。
 はじまりの物語。
 数え切れない星のひとつひとつに、名前があって、この空の下にも、数え切れないほどの人々と、出会いがある。
 風が、背の低い草をなぎ倒した。
「……本当の幸せは、すぐ傍にあったんだ。……こうして兄弟は、幸せな日々を――」
 物語はいつも、こうして幕を閉じていく。
 そうやって、深い眠りへと誘ってくれる。
「王女様?」
 そっと、声をかけた。
 そっと、立ち上がって回り込む。
 こくり、こくりと動く首。かくりと、落ちそうになるのを支えた。
 上着と一緒に抱えて、背負う。
 とても小さくて、暖かくて。
 ゆっくりと、帰路を進む。
 どうしてか、帰りたくなかった。

 もう、城が見えた。
 煌々と照らされた、この国の城。
「もうすぐですね」
 静かな寝息を立てる王女様に、話しかけた。
「動くな」
 そして、背中から伝わる温もりとは対照的に、首に当てられた剣の冷たい事。
「――っ」
 息を、飲んだ。
「手を離せ」
 そんなことをしたら――
「いい、こちらで受け取る」
 ゆっくりと手を離すと、放れていく。無造作に落とされる自分の上着。
 その姿を追おうと、首を回す。
「動くな」
 少しだけ、見えたのは、おそらく王女様付きの侍女の顔。
 その、安堵と憎悪の混じった、表情。
「こちらの質問に答えろ」
 のどの中は、からからだ。
 すぐに、頷いた。
「お前は、誰だ?」
 いきなり、松明の火で照らされた。
 目の前にいるのは、王族の身辺警護を任されているもの達の中でも、一番上の地位にいる物だった。
 エリッヒ・クランペラー、罪人に容赦ないと、有名な、男だ。
 どこかに、自分の命はここまでかとあきらめる自分がいる。
 それも、当然のことなのかもしれない。
「お前は、誰だ?」
 苛立ちの混じった声で再度問いかけられた。
 質問に、答えられていない。
 のどから声が出ない。
 かすれてしまう。
 息をするのも、苦しい。
「……っカール・クロックです」
「ではクロック、お前は、今夜何をしていた」
「私は、今夜は西の広場の右の角で城内の警備に当たっておりました」
「なぜ王女と一緒にいる」
「王女様は、私の真横に降りてきました。そのまま、走り去るので、追いかけて、追いついて、それから――」
「一緒に帰ってきた、とでも言うのか?」
「はい」
「………いいだろう」
 低い、声だった。
 恐ろしさに、震え上がった。
「王女は?」
「眠っているだけです」
「そうだな、見た目は」
「な!?」
 そこまで、疑われるのは、心外だった。
「まぁいい。明日になればはっきりする」
 どういう、ことだろうか。
「連れて行け」
 引きずられ、腕を捕らえられ歩く事を強制される。

 行き先は、牢獄だった。

 当然といえば、当然の成り行きかもしれない。
 夜中、素性の知れない男が王女様を背負ってやってきたのだから。
 これでも、この城の兵士なのだが……
 十二の時に城に上がり、兵士となってはや八年。短い人生だったと、自分でも思う。
 田舎に残してきた妹は悲しむかもしれない。
 それとも、またお兄ちゃんは馬鹿をやってと、笑ってくれるだろうか。
 身元が亡くなった兄妹を引き取ってくれた伯母は、喜ぶかもしれない。
 いや、妹の生活費を稼ぐ物がいなくなって、怒るかもしれない。
 クランペラー様の、こちらを見る疑いのまなざしが、忘れられない。
 気が付かなかったが、この国の人間ですら疑うほど、この国は疑心暗鬼になっていたのかもしれない。
 敵は、内にある。
 誰がいつ、裏切るかわからない。
 それを、目の前に突きつけられた気分だ。
 眠れない夜が明けていく。
 もう日の出は目前だった。

「起きろ」
 はっと、目覚めた。
 いつの間に、眠っていたのか。
 自分でも、驚く。
 なんのかんの言おうと、昨日一日激しく動き回ったからだろうか。
「で、あんたは何をしたんだい?」
 看守は、簡素な食事を出しながら問いかけてくる。
「私は――」
 何を、したのだろうか。
 誘拐を目論んだわけでも、身代金を要求したわけでもない。
 ただ逃げ出した王女様を、連れ帰っただけなのに。
「何もしてないってか?」
 口を閉ざしてしまった。
 そこに、掛けられた声。
 何か、言わなくては。
 口を開くと、首を振られた。
「最近、多いのさ。本当に何もしていない、投獄者がね」
 はっと、目を見開いた。
「この牢屋に捕らえられるものは、何も、他国の密偵だけじゃなくなった。今では、国の人間ばかりさ」
 だが、見渡してもここには自分しかいない。
「そしてすぐ、首を切られるのさ」
 感情のない、静かな言葉だった。

 看守が去ったあと、すとんと落ちてきた感情。
 そうか、すぐ、か。
 なんだか、笑えてきてしまった。
 本当に、そうなのか。
 笑うしかない。
 狂ったように笑いながら、昨夜の自分を呪った。

 焼け付くのどの痛みに、笑いが途切れた。
 あれから、どれくらいたったのだろうか。
 王女様は、もう泣いてはいないだろうか。
 泣かないでほしいと願う事は、許されるだろうか。
 あれは、まるで、田舎に残してきた妹が泣いているようで、ひどく、辛い。

 石の床に、寝転がった。
 今はただ、時がすぎるのを、待つだけ――

 すぐと言ったはずなのに、なかなかその時がこない。
 もう、三日にもなるらしい。
 牢の中は暗くて、時間の感覚が曖昧になる。
 看守の食事を運ぶ時が、唯一の楽しみのようなものだった。
 あとは一人、石の台に寝転がる。
 しかし、今日は違った。
 にわかに騒がしくなって、身体を起こす。
 なんだ?
 向こうからやってくる松明の数が尋常(じんじょう)じゃない。
 明るさは、すでに過去に遠ざかっている。
 眩しくて、目を手で覆った。
「このような場所に、自らお越しくださらなくとも」
 焦り、あわてる、看守の声。
 誰、だ?
 眩(まぶ)しい。眩(まばゆ)い。
「貴様か」
「手を下げよ!」
 低い声に続いて、命令される。
 でも、眩しすぎて手をどけられない。
「王、どうか光を下ろし下さい。今の彼の目には明るすぎます」
 おろおろと、看守が言った。
「……そうか」
 その言葉に、入ってきた時とは違い、落ち着いた声。
 すぐに、灯りが引いた。
 ふらふらと、顔を上げる。
 すると、自分の目の前に王がいる事に気が付いた。
「お前は、先日サシャを連れて帰ったそうだな」
 いまほど、声にならない時はない。
 はじめて、こんなに近くで王を見た。
「違うのか?」
 かろうじて、首を振った。
「どちらだ」
 王は少し、苛立っているようだった。
 どうしていいかわからなかった。
「申し訳ありません!」
 頭を床にこすりつくぐらい下げて、謝罪した。
「困った、ものだな」
 話が進まないと、王は思ったらしい。
「謝罪せずともよい。先日サシャを連れ帰ってくれたのだろう? こちらが感謝すべきで、お前が謝る事ではない」
 王は、ちらりと視線を横に向けた。
 そこには、頭を下げるクランペラー様がいた。
「少し、度がすぎると思うが」
「申し訳ありません」
 さらに、頭を下げるクランペラー様。
 不思議な光景に、目を白黒させていた。
 王は振り返って、言った。
「お前に頼みがある」
「!?」
 何を、言い出すのだろうか。私は兵士で、目の前にいるのは王だ。
 命令を聞かないはずがない。

 頼みと言うのは、サシャ王女のことだった。
 なんでも、あの晩の次の朝から、部屋に閉じこもっているらしい。
 詳細を聞くと、その朝クランペラー様と会話したあとから、出てこないらしい。
 その時、王女様はお召しかえの最中で、数人の侍女と一緒についたての向こうにいて、クランペラー様と少しだけ言葉を交わしたらしい。
 それから、癇癪(かんしゃく)を起こして部屋から出てこないそうだ。
 もう、四日目。
 国王様も、心配している。

「私に、何をせよ、と?」
 何かができると、思えない。
「サシャはお前が牢に入ったときいて、ひどく怒ったと侍女は言っていた」
 そんなこと、あるはずない。自分はただの兵士で、代えもきく。
 そんな風に気にとめてもらえるような、存在ではない。
「頼む、もう四日も、閉じこもったままなのだ」

「サシャ王女様?」
 コンコンと、部屋の扉を叩く。
 返事はない。
 鍵は掛かっている。
 あの日、あの時夜勤をしていた角に、向かった。
 壁を登り、窓辺に捕まる。
 カーテンは閉まっていた。でも、窓は開いていた。
「王女様、入りますよ」
 窓から、部屋の中に入った。
 部屋の中は薄暗かった。
 見渡して、サシャ王女様の姿を探す。
 かすかなすすり泣きの声を追って、隣の寝室に向かった。

「どうして、泣いておられるのですか?」
 あなたに関係ないでしょう! と、また叫び声が帰ってくるものだと、思い込んでいた。
 でも、違った。
 弾かれたように顔を上げたサシャ王女様と、目があった。
 真っ赤な目が、自分を見つめる。
「王女、様?」
 なんだかいたたまれなくなって、声を掛けた。
 途端、すすり泣きが大泣きに変わった。
 驚いて対処できない。
 部屋の中に響く、泣き声。
 こうなると手がつけられない。妹で学んだ事だ。
 ぽんと頭に手を置いて、撫でてやる。
 心なしか、泣き声はひどくなった、気もする。
 だけど、嫌がられない。
 寝台の横に膝をついて、頭を撫で続けた。
 悲しいと全身で泣き叫ぶ王女様は、とても愛しかった。

 結局、なんで王女様がないているのかはわからなかった。
 けれど、泣き止んだ頃に食事にしましょうというと、素直に頷いてくれた。
 部屋の中から鍵を開けて、食事を用意してもらおうと思ったら弾き飛ばされた。
 王や王妃、侍女に兵士。みんな、王女様を心配していた。
 前に感じた、王女様を厄介者と突き放すような感じは、受けなかった。
 だからもう大丈夫だと、王女様の部屋に背を向けた。

「カール、お前は馬鹿じゃないのか?」
「もういいだろう、その話は」
 自分が数日間牢に入れられて、仲間達にはもう死んだ物だと思い込まれていた。
 なぜ牢に入れられたのか、それはこの友人にだけ話した。
 あれから、王も、クランペラー様もこない。
 まるで、あの数日間は幻であったかのようだ。
 再び、自分はこの城の一介の兵士として警備に当たっている。
「だから、何か見返りがあってもいいだろう?」
「あるわけないだろう? 王にしてみれば、私は代えのきく兵士でしかないんだから」
 そうかもしれないけどよぉ、と、友人はぼやいている。
 二人で話はじめると、そればかりだ。
「さて、行くか」
 朝食を終えて、腰を上げる。
「カール・クロック!」
「!?」
 突然、兵士達の食堂に、響き渡ったソプラノの声。
「サ、シャ王女様?」
 危うく、食器を取り落とす所だった。
「ま、まだ話は終わってないんだから!!」
 一生懸命、声を張り上げる王女様の姿が、幼い妹と重なる。
 そう、私を忘れないでと、全身で叫んでいる。
 そして、もうひとつ。
 ありがとうと囁かれるのも、もう少し先のこと――


* おわり *

Free Will