「――――――ねぇ、海が見たいの」




お願い




 船特有の揺れが身体を襲う。四方を壁に囲まれた部屋で、出口の扉に向かって少女が言うと、静かだった船内に、ざわめきが、海の波のように広まった。



「…………いったい、お前は自分の立場を理解しているのか!」
 荒々しく部屋に入ってきたギスカの王子が怒鳴りだす。

「―――海が、見たいのです。」
 対して、フェレンの王女はおとなしかった。

「―――このっ!」
 ギスカの王子、ジェドが逆上するのも無理はない。

「………お前は、今捕虜なんだぞ! それなのに、わがままが通じると思っているのか!」
 ほんの数時間前だ、ギスカ大国がフェレン国に攻め入って、この王女以外を皆殺しにしたのは。

 大陸を離れた島のひとつ。まるまる小国となっているフェレン。対して、大陸一つをまとめあげるギスカ。勝敗は、一目両全だった。

「海を、見てはいけないのですか?」
「〜〜〜〜〜」
 イライラと、ジェドは指で壁を弾き、足を踏み鳴らす。

「窓越しでもいいんです。」
「はぁ?」
 冗談ではない。他国に散っていたフェレン国の残等を抑えるためにも、この王女の存在は必要だ。

「―――別に、何かそこでするつもりじゃないんです。」
 ――――ただ、見たいだけ。

 そう言っても、誰も取り繕ってくれない。

「お願いです。海が、見たいんです。」
 あまりにまっすぐな視線を受けて、ジェド王子は一瞬、飲み込まれるかと思った。


「――――――馬鹿にするのもいい加減にしろ! 俺は、さっきお前の国を滅ぼしたんだぞ!!!」


「……………怒って、ほしいんですか?」
「っ!!」
 唐突なフェレン国王女―セリスの声が響く。

「何故、私の国を滅ぼしたのか問い詰めてほしいのですか? 怨んでほしいのですか? 殺してやると言ってほしいのですか? 憎しみを貴方にぶつけろというのですか? 貴方に、牙を向けろというのですか? ひどいと、罵ってほしいのですか? 泣き喚いてほしいのですか?」

「………黙れ」

 勢いを失った声が、低く響いた。

「――――今、ここで貴方を怨んでも。民が帰ってくるわけじゃない。復讐を誓って国を復興させても、そこにいるのはフェレンの民じゃない。」
 例え、私が子を生んだとしても、それは半分を他の地の者の血を受け継いでいる。それに、私が認めるのは昨日まで笑っていた民たちだから。


「いくら貴方を怨んでも、それで満足するのは貴方でしょう。さぞや、満足の行く優越感に浸れますでしょうね。その剣で人を切って、城を地を全てを、焼き尽くして。」
 見つめてくる瞳は変わらない。なのに、セリスの言葉は辛辣(しんらつ)で、その身にそぐわない。

「―――――私に、何を期待しておられるのですか?」

「うるさい!! 大体お前は島に住んでいたんだろう!海など見飽きているだろうが!!」

「…………私は、“守巫(かみめかんなぎ)”でした。」
 すでに、過去の話。

「“守りの場”で祈りを捧げ祭式を執り行うのが日課。他の用で、城の外に出ることは許されませんでした。…………見えるのは、人と、木……植物。それに建物……………低い城の塔からは、海を、見ることが出来ません。」

「…………だから。」

「飛び込みたいわけじゃないの。」
 そこで、死ぬつもりもない。

「――――どうだか。」
 そう言うと、初めて傷ついたように王女は目を伏せた。




 一時、沈黙が流れた。




「海が見たいの。」
「――――駄目だ。」

「……どう、して……?」


「お前は捕虜だ。」
「王子……」
 ジェド王子は、兵士の一人を、睨みつけた。


「………お願い…」


バンッッ!!!!!


「――――っ!!」
 荒々しく閉じられた扉。


「海が、見たいの―――――……」










 次の日、少女は死んでいた。

 壁に、背を預け。

 乾いた涙の跡だけが、人形のように白い少女を人間にする。








「―――――病(やまい)、ですな。」
 死体を検死した船の医師はそう言った。


「もう、長くはなかったのでしょう。」






 その船から、海へと棺が落とされた。







 国に帰った王子は王となった。


 領土を広げようと目論(もくろ)む大臣に反発して、一度も他国に攻め入ることはなかった。


 大臣たちに見限られ、暗殺されるその日まで。

Free Will