Shinlee
I

「わ〜い」
「お嬢様! 遊ばないで下さい!!」
「やーよ」
「お嬢様……」
 くるくるくる、薄桃色の布が舞う。ドレスを着た少女が、垣根の間を、低い木々の間を行ったり来たりする。
 くるくる、くるくる。まるで、小さな花が精一杯咲き誇るような、その姿。
 そのうしろから、従者が慌ててついてくる。ここは、王城。主に付き添ってきたお嬢様の、暇つぶしにつき合わされている。
「お嬢様! はしたないですよ!?」
 軽やかに、中庭を走るその姿。
「いいんだも〜ん」
 少女は、その庭の美しさと、迷路のような構造が気に入ったようだ。
 うしろの従者を振り返って、歩く。うしろ歩き。
「お嬢様!? あぶなっ」
 すると、そのうしろから角を曲がって、現れる影。もちろん、少女はその影に激突した。
「きゃん!?」
「!?」
 男も、驚いただろう。角を曲がったら、突然、豊かに流れる金の波に視界を奪われたのだから。ついで、それは胸の中に飛び込んできた。
 背中に衝撃を感じて、少女は驚いた。振り返る暇もなく、反動で前によろける。
 とっさのことだが、男が動いた。たくましい腕で、少女をその胸のうちに留めたのである。
 少女は、自分の目の前に回された腕をつかみ、そして見上げた。首いっぱい上を見上げると、空色の瞳と眼があった。ついで、その瞳を飾る、銀の髪――少女は、その美貌に息を飲んだ。なんて、なんて冷酷で、氷のようで、だけど――
 少女は、恐る恐るその白い手を伸ばして、男の頬に触れた。
 男は、その手が顔に触れる直前、眉をひそめたが、少女の好きにさせていた。
 男のうしろからついてきていた兵士が、息を飲んだのを、少女の従者は見た。

「……きれい」

 男の視線が、鋭くなった。だけど少女は、ただひたすらにその瞳を見つめている。男も、そらしはしなかった。
 まるで恋人同士のように抱き合って、見つめあう二人。
 少女は天井にある空と同じ瞳を、見つめていた。その瞳が美しいと言った。
 男はただ少女を見つめ返した。白い肌に、桃色のドレス。まだ子どもっぽいところの残る女性。その、温もり。

「シンリー!」
「お父様!」
 おそらく、少女を呼ぶ声。視線を逸らして、ぱっと明るくなる、少女の表情。
 男は、驚いた。
 少女は、一目散に呼び声に答えようと、腕をすり抜ける。男がはっとした時には、少女はもう新しく角を曲がってきた男性の胸に飛び込んでいた。その温もりと、柔らかい花の香りがかすかに残った。
 おそらく少女の父であろう男は、その頭を撫でて、話かけている。少女は、笑ったり怒ったり、ころころと表情を変えてその会話を楽しんでいた。
 その様子を、しばらく男は眺めていた。親子とは対照的にその瞳に映るものは何も、何もない。その手が、握り締められた。
「それで、今日はいい子だったのか?」
「あのねお父様! さっきそこで――」
 次に少女が振り返ったとき、あの空色の瞳をした男は、もういなかった。



 あの王城での一件から、数週間。その日は、大雨が降っていた。
 窓に向かって吹き付けてくる横殴りの雨。
 屋敷の主人の娘は、窓辺に立ってその様子を見ていた。
 その扉が、ノックされる。
「どうぞ」
「お嬢様、お食事の準備が整いました」
 膝を折って、頭を下げる侍女の声。
「お父様は?」
「ご主人様は、本日は遅くなるということでお嬢様には先に――」
「ねぇ! あれお父様だわ!!」
 侍女の言葉を遮って、少女は嬉しそうに笑った。
 窓の外には、この大雨の中速さを惜しむように屋敷に向かってくる、馬車が見えた。その姿は、屋敷の者達に不安をもたらす物だった。

「シンリー!」
「お父様!」
 服が濡れるのも構わず、娘は父の胸に飛び込んでいく。いつもならその頭を撫でて、優しく声を掛けてくれる父、でも、今日は違った。
「シンリー」
「な、にお父様?」
 いつもと違う、硬く重く厳しい声。少女は、一歩引き下がった。
「いったい、いつ約束を破ったんだ!」
「そんなことしてません!」
 少女は、問い詰めてくる父親の剣幕に驚いて、その眼に涙を溜めた。
「ふざけるな!」
 だが所詮娘の言う事、屋敷の主人は信じなかった。
「どう、して、お父様……?」
 ぱたぱたと涙を流す娘を見て、はっと父親は我に返った。
「――すまないシンリー、だが、これだけははっきりさせなくては」
「ぇ?」
「隣の国、リンバールの王を知っているか?」
「……? 知らないわ」
「冷徹王と言えばわかるか?」
 びくりと、シンリーは体を震わせた。そうだ、それなら聞いた事があるとかすかに頷いた。
 隣の国の王はとても冷淡、冷徹だと噂されている。国中に、響き渡るほどに。
「その王が、先日とある女性を妃に向かえるといった」
「……?」
 そういえば、その王は未だに側室も正室もいないと、一緒に聞いた。
「その女性の名は“シンシアリー・フェル・シンドル”――お前のことだ!!」
 驚きに、眼を見開くシンリー。強い衝撃の走った体は、その場に崩れ落ちた。



 次にシンリーが目覚めた時、そこは自分の寝室だった。昨夜、父に言われた事が頭をよぎり、そして言葉を失った。
(――なぜ?)
 実は夢ではないかと疑ったシンリーだが、侍女達の態度の変化で、それが真実であることを知った。
「どう、して、会った事もないのに……」
 シンリーには雲の上の人だ。父は王城に参上するが、自分はただ広い城内で唯一、中庭を歩く事しかできない。



 元々、この話はシンリーの生まれた国ランドイルの国王に当てられたものだった。
 ランドイルは小国で、数百年前に負けた戦争のせいで今やリンバールの属国である。
 もし、この申し出を断れば、武力によって貴国を抹消する――要約すれば、内容はこうである。

 その申し出とは、「“シンシアリー・フェル・シンドル”をリンバールの国王の妻に迎える事」であった。



 これは国王命令であり、ひいては国の存亡に関わることだった。呆然と、部屋から出ることもままならないシンリーと違って、周りの者達はどんどん準備を進めていた。
 身の回りの物の整理、婚礼衣装、馬車、ついて行く侍女、従者、父親はとにかくシンリーに必要な物をすべてリンドバールに持っていかせるつもりだった。
 彼とて、この申し出に賛成ではない。だが、彼の力ではどうにもならない。彼と娘が死ねば、路頭に迷う人々が多すぎる。
 結局は、家の存続を願っているのかと、父親は毎晩、従者が止めるのを聞かずに酒をあおった。



 そして、シンリーがリンバールに嫁ぐ、前日。シンリーはあの大雨の日以降初めて、父親の部屋を訪れた。
 父親は、シンリーが入ってきたこともわからないほど、酔っていた。それ以上飲んではいけないと、医師に止められているにも関わらず。
 空になったグラスをいらいらと眺めて、床に叩きつける。瓶をそのままあおろうとすると、横から伸びてきた手に取られた。
「邪魔をするな!」
 鋭い声に、身を震わせる、細い細い体。父親がはっとした。それは、少し前まで自分に向かってほほ笑んできた、娘――
「シン、リー」
 いつから、あっていないのだろうか。こんなにも、やせ細ってしまって。
 ぼろぼろの体で、父親は娘を、娘は父親を抱きしめた。
「お父、様」
 先に口を開いたのは、娘。
「私は、明日……」
 その先は、言いたくない。
「お父様、飲みすぎです、わ」
 かろうじて、言った。震えた、かすれた声で。
「すまない」
「お医者様も、皆さんも、心配しておりました」
「すまない」
 父親は娘を、抱く力をこめた。
「もう、お父様にこうやって文句が言えるものは、いなくなって――」
 私は、明日、この国の外に行ってしまう。
「心配で、心配でっ」
 それ以上言葉はなく、少女の鳴き声が部屋の中に響いた。



 最後の食事を食べて、最後の抱擁を交わした。
 それから、従者の開く馬車の扉を潜った。扉を閉じて鍵をかかる音が、まるで牢獄にでも入ったかのように聞こえる。

「さよう、なら」

 口について出た言葉に、泣き出してしまった。



 三台の馬車で、道を進む。国境を越えた所で、リンバールの兵士や侍女の待つ場所に着いた。
 泣きはらした眼でそのまま馬車を降りると、まぁはしたないと眉をひそめる侍女達。
 家とは、おお違い。

 どこかの貴族の屋敷で、湯に入れられる。匂い絶つリンバールの花の香りに、むせてしまった。屋敷中この香りでいっぱいだった。
 まるで、ランドイルの人であることを、認めないような、リンバールの香りに染まれと、言われているようだった。
 服も靴もすべて脱がされ、一緒に来た侍女達がどうなったのかもわからない。一緒にいない。聞けども、答えは返ってこない。
 シンリーの服を脱がすいくつもの手、その体を洗う手。どれもこれもが、気持ち悪い。
 かろうじて盗られることを阻止した、緑の石のネックレス。――母の形見。それを湯船の中でひたすら握り締めていた。
 お湯から上がって、先ほどとは違う服を着せられる。見ればわかる。織り方も、染め方も違う布で作られた、異国の服。
 それを着せていく侍女達に、意識が持っていかれた、一瞬。首元にあったネックレスが奪われた。
 必死になって、取り返そうともがき、暴れた。だけど、いくら「返して」と言っても、母の形見が帰ってくることはなかった。

 城に向かう馬車の中では、ただ泣いた。泣いて泣いて泣いていて、化粧をしようとした侍女を困らせた。結局、化粧はできなかった。
 だって、涙が止まらない。一緒に来たはずの侍女達も、いない、持ってきたものも、ない。――それらは、まだ我慢できるなのに、なぜ――母の形見までも、奪われなければならないのだろうか。

 泣いて泣いて、ついに眠りについた。

 城に着いたとの声で、起こされる。

 出たくはなかったが、引きずり下ろされるのは目に見えている。
 恐る恐る、馬車を出ようとして、差し出されている手、その主を見て絶句した。
 あの、空色の瞳――

 突然唇を奪われて、そのまま、意識を失った。


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2008.06.16