Shinlee
II

「……きれい」

 眩い金の髪の少女の言葉に、捕らえられた。
 人の手に触れたのは、幾年ぶりだろう。その温もりを抱いた事も、流れる髪をすいたことも。
 突然飛び込んでくるから、受け止めてしまった。細く白い手が頬に触れるのを許した。
 一瞬一瞬、ころころ変わる表情。嬉しそうに、怒ったように。穏やかな瞳で見つめてくるのとは違った。だが久しく――誰かの嬉しそうな顔を見ていなかったことに気がついた。
 むしろ、喜びを表現する者達を――

 そして――

 馬車が城に着いたとの報告を受けて、歩き出した。行者を押しのけて、手ずから扉を開けるところだった。
 扉が開かれた事に、かすかに少女が反応した。だがうつむいていて、顔が見えない。
 不審に思いながら、手を伸ばした。少女がその手に気がつくまで、時間がかかった。

 そして、はじめて、顔を上げた。

 驚いたように、見開かれるその赤く染まった瞳。泣いていたのかと、すぐにわかった。
 そんなに、嫌だと?
 頭に血が上って、何か言われる前に口を塞いだ。

 そうか、そんなにこの婚姻が嫌か。

 痩せ細った体も、怒りを増す物にしかならなかった。




(どうしよう)
 とある、部屋の中。寝台に金の髪の少女が眠っている。その、横のテーブルに水差しを置く女性。
 先の貴族の屋敷で、異国の妃の着替えを手伝ったものだ。
 彼女は若く、まだ新米だ。しかし、なぜかこの役を任された。
「……綺麗な方」
 だからこそ、余計に。

 はじめて見た時、その気丈さに驚いた。ただ怒るわけでもない悲観するわけでもない。
 されるがままの少女が、唯一、逆らったのは――

「泣いているのは、婚姻のことじゃないのに」

 それはたぶん、あの石のついたネックレスを取り上げたから、なのに、一番妙齢の侍女頭は、なんと言った? 王の問に、答えて。
「“なぜ泣いているのか存じ上げません、すっとそうでした”――嘘だわ」
 でも自分は、王と話すことは許されない。
「どうしよう」
 どうすることも、できない。




 ゆっくりとまぶたが開かれていく、真っ白な天蓋のついた寝台の上。少女は、しばらく目をぱちぱちとさせていた。
「ここ、は」
 そう、ここはリンバール。昨夜、城についた時のことを思い出して、少女の顔が朱に染まった。
「……あの方」
 少女は胸元に手をやって、走り出した。

 どこに行けばいいのかわからない。知らない廊下、知らない花。だけど、探している人の顔はわかる。



 ふと、眉をひそめた。どこからか、ぱたぱたとした足音が聞こえる。兵士も同じだったのか、すっと剣に手をかけた。
 だんだんと近づいてくる足音。それが――
「待て」
 兵士を留めて、数歩先に出た。

「わっ!?」
 飛び込んできた体。そしてまた――少し、その細さに眉をひそめる。
 少女は顔を上げて驚いて絶句して何も言えなくなって、そして言った。

「石を返して!」

 あの時、こちらを見てほほ笑んだ瞳が、怒りをあらわにして睨み付けて来る。耐え切れなかった。
「黙れ」

 低い声に、身体が硬直した。その場にいた人々は追い払われて、部屋の中には私とかの国王しかいない。今になって、自分の態度が反感を買うに値する物だと知って青ざめる。
 だけど、
「い、石を返して!」
 言葉にすると、悲しみがこみ上げてくる。溢れてきた涙。

「石、だと?」
 いったいなんの話だ?
「返してよ! 貴方が言ったんでしょう!?」
 ただ必死に泣いている。そうやって全力で全身をすべてに打ち込めるのは少女のなせる業か。……泣いている人間の扱いなど知らない。
「返して! 返して!!」
 泣き出す悲しみと、怒りが混じってどうにもならないのだろう。細い手でぽかぽかと殴ってくる。やはり、こんなに感情的な人間の扱いは知らない。
 困りはてて、近衛の兵を振り返った。兵は、今始めてみる自分の様子に驚いて声も出ないようだったが、……それはそれで気に入らないが、しかたない。
 こみ上げてくる笑いが、隠しきれていない兵を睨み付けた。
「……姫、何事ですか?」
 いつもそんな声で女をたぶらかしているのかと言いかけたが口をつぐんだ。とにかく、口を挟む時ではない。彼に任せたのだから。
 突然かけられた声に、少女の行動が止まった。恐る恐る視線をさ迷わせて、傍に跪く影に気が付いたのだろう。息を飲んだ。
「………ぁ」
 かすれた声が、あの時のものと同じだった。目の前にいるという優越感で満たされるのを感じたが、同時にその目に映るのが自分ではないということに苛立ちを感じた。――どうかしている。
「どうされました? よければわけを話していただけませんか」
 まるで、幼子に向かうようなやさしい声で、それでいてやはり女をたぶらかしてきたのかと問いかけたくなる口調。
「い、しが」
 少女は、半分しゃくりあげながら言った。
「石? さて、宝石ですか?」
 石といえばただの石だろう?
「ちが……ぉかあさまの……形見」
 瞬間、少女からすべてを奪い取るように命じたのは自分だと、言葉が心に突き刺さった。
「それは……なんと」
「きゃ!?」
 言葉を失い再び泣き出した少女を兵に押し付けて、足早に廊下を進んだ。目的地は、決まっている。



 突き飛ばされて、目の前にいる男の人に抱きとめられる。振り返ると、空色の瞳に炎を燃え上がらせた国王が怒りをあらわに歩き去っていくところだった。
 恐ろしくて、目の前の人にしがみ付いた。
「大丈夫ですよ。王が取り返してくれますから」
 だけど、その王の命令で石を取られたのでしょう? 責めるような顔で、なだめる男の人を見つめた。
 それを感じとったのか、しばらく沈黙した後男は言った。
「……確かに、王は貴女に不自由ないほどのものと人を送った。しかし、形見を取り上げろなど言うはずない」
「でも……」
「たぶんそれは王に忠実すぎる城の誰かの一存だ。まぁ、躾が行き通ってないと言えばそれまで、か」
 なんと言っても言い訳か、と男の人は言う。
「これだけは確かです、姫」
 そして、廊下に二人だけ取り残されたまま、真剣に私の目を見つめてくる。残りの兵達は、王を追ったのだから。
「王は貴女を悲しませることはしない」
 それは冷徹王と呼ばれたあの人が、初めて求めた女性なのだから。ただ問題があるとすれば、彼はどうしたら彼女が喜ぶのか、どうしたら悲しむのか、わかっていないことかもしれない。
 すでに彼女は故郷を離れて独りきり。多くの人間と物が付き添ってきたはずだが、それは目の前から消えてしまった。
 王、貴方は彼女を奪ってきたのですよ。それをまず自覚しなければならない。




 突然の王の訪問に、侍女たちは震え上がった。
「これはこれは陛下、何事ですか?」
 何にといえば、怒りをあらわにした王に対して、それをまるで意に返さない侍女長の姿だ。あんなに怒り狂った王を前にして、よくもまぁ口が聞けるものだ。
 そう思いながらも、侍女たちは深く頭を下げたまま動けない。
「侍女長」
「はい陛下」
 低い低い声だった。なぜ侍女長は笑っていられるの!?
「シンリーから形見を奪ったそうだな」
 瞬間、侍女長の顔が凍りついた。



「どうぞ、落ち着きますよ」
「あ、ありがとうございます」
 廊下は冷えますと、近くの部屋に案内された。やわらかい長椅子に腰掛けるように言われて戸惑いながらも座った。
 伝えてあったのか、すぐに女性が入ってきてお茶の準備をする。湯気に混じって香る香り。
 言われるままに手に持てば伝わる温もり、ほっとして息をついた。
「王は、怖いですか?」
 一口お茶を飲んだ所で声をかけられる。傍目にわかるほどビクリと震え上がった。
「ぁあ、責めているわけでも怒っている訳でもありません。事実、彼に会った大半の女性はそう言いますから」
 なだめるような言葉が、おどけていた。
「……本当に?」
「ぇえ。彼はあの顔で、しかもこーんなに目がつり上がっているんですよ。恐ろしくないわけありません。赤子は泣きます」
 驚いて、ついで笑ってしまった。
「そうやって、王の前でも笑っていてください」
 静かな声に、顔を上げると彼は入り口にいた。侍女から受け取った皿を私の前まで持ってくる。
「こちらは料理長の自信作だそうですよ」
「ぇ?」
 甘い香りに、つい引かれた。――どうして、りんごが好きだと知っているのだろう?
 彼はしーと、唇に人差し指を当てていた。
「王が調べたんですよ。ああ、でも決して貴女の私生活に関わることではない……かな? ただ、こちらで不自由なく暮らしてほしいという願いが時々、行き過ぎるんです」
 どういうことなのか、よくわからない。
「気にしないで下さい。そのうち、わかってあげてください。さぁ、暖かいうちに」
 そう言って、焼きリンゴが示される。すでに六等分されたそれにシナモンがかかっている。誘われるまま、フォークで切り分けて一口口に運んだ。
「おいしい」
「それはよかった」
 もう、聞いていなかった。そういえば泣きっぱなしで食事は何も取っていない。おなかが空いていた。
 私の食欲を見た男の人が、さらに何か侍女に言っているのを背後で感じた。
 それからは静かなものだった。私がお茶を飲んで焼きリンゴを食べている間、彼は何も言わなかったから。一人だけ夢中で食べていることに気が付いて声をかけたら、そういうものですから気にしないで下さいと言われた。
 家の侍女たちも、私が食べているのを幸せそうに見ていた。おいしそうに食べてくださるのを見ていればわたくし達は幸せなのですとも言っていた。
 しかし、その静寂は唐突に破られた。
 荒々しく開かれた扉。驚いてフォークを取り落とした。
「……王、姫が怖がります」
 彼が、静かに言った。


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2008.06.16