Shinlee
III

 せっかく取り戻したというのに、部屋に入った一言目はこれだ。
「どういう意味だ?」
 邪魔をするつもりか。と、睨み付けた。
「いえ、ただ少しは察していただきたいと」
 そう言って向かう視線の先。固まったように動かない少女。……確かに、驚かせたのかもしれないが、怖がるというのは――
「王、まずその顔をどうにかしないと」
「生まれつきだ」
「部分の問題ではなく、気持ちの問題です」
 不毛な会話が繰り返される間も、少女は少しも動かない。
「それで――」
 そうだ、コイツの相手をしている場合ではなかった。
「シン……シンシアリー」
 愛称で呼ぼうとして、思いとどまった。自分は、少女をそう呼ぶ権利を持っていない。今この瞬間、王と言う立場が重苦しく感じたことはない。ほかのすべてを手に入れる術を持っているのに、少女の名を呼ぶ権利はない。何がほしいかといえば後者だ。
 少女が肩を震わせた。癪に触るが、先ほどの奴の容量を真似る。屈んで、視線を合わせる。
「すまなかった」
 手の上に乗せて少女の目の前に差し出したのは緑色の石。本当にただの石だ。エメラルドですらない。形見と言うわりには質素なもの。
 だが少女にとって、この世で最も大切な物。
「……っ……おかあさま……」
 受け取って泣きじゃくる少女に、それを感じる。同時に、あの侍女長に再び怒りがこみ上げてきた。
 よりにもよってあの女は、石を取り上げたのは自分ではないと言い出したのだから。


「姫様の、石ですか?」
「そうだ。確かに着替えさせるように伝えたが、嫌がるシンリーから無理に取り上げろといった覚えはない」
「そうでしょうか。王。嫁入りの姫君と言うのはすべてを国に捧げる物でして――」
「御託はいい、誰が取り上げたのかと聞いている」
「あの侍女ですわ」
 そう言って、侍女長は新米の侍女を指した。その侍女の名は知らないが、驚いて声も出ないらしいが、見る間にわなわなと震えて叫びだした。
「違います!」
「お黙りなさい。申し訳ありません王。侍女の不始末ですわ。わたくしが相応の罰を……」
「侍女長、俺に手間をかけさせるな。誰が取り上げたのか聞いている」
「ですから、あの侍女が――」
「シンリーに聞けばすぐにわかることだ。なんなら、ここに連れてこようか?」
 実際に、今ここにシンリーを連れてくることはできないだろうが、それを侍女長が知るはずもない。見る間に、その顔が青ざめた。
「王! わたくしはこの国のために」
「もういい。石はどこだ」
「王!? わたくしは貴方の母である王妃様の代から」
「いいから、石を出せと言っている!」



「すまなかった、新しい鎖の長さは、それでいいか?」
 緑の石と少女を繋げていた細い銀の鎖は、無残に引きちぎられていた。代わりのものをよこしたが、気に入るかどうか。
 一瞬、少女はこちらを見た。あの時と同じ色の瞳が、そして逸らされた。舌打ちしたくなる。しないように努力はしたが。
 少女は静かに鎖を見つめ、もたもたとそれを首にかけ始めた。長さを測っているのだろう。
「だい、じょうぶです」
「そうか」
 首に巻きつけて、戻した少女の言葉にほっとして息をつく。それから、少女は金具で鎖を止めようとするも……うまくいかないらしい。
 あとになって、あんなに威圧的に見つめていては気になって何も手につかないでしょうねと言われた。
「貸してみろ」
 すっと少女の後ろに回って、金具をはめる。少女が驚きながらも髪をまとめたので、うなじが見えた。ぞくりと何かが背を這い上がった。
「陛下」
「……なんだ」
 タイミング悪く奴が声をかけてくる。しかし、それに少女がほっとした様子を見せたのでさらにいらだつ。
「姫君は何も食べていないようですから、食事にしましょう」
 そういえばと視線をめぐらせると、少女は何かを探すように視線をさ迷わせていた。それが取り落としたフォークだと気が付いた時、少女の目の前のりんごに目が行った。それを食べるために探しているのか。調べた時は半信半疑だったが今になって喜びに替わる。
 少女が絨毯の上に落ちたフォークを拾おうと身をかがめるより早く、それを拾う。後ろに突きつけて、新しいものと交換させる。そしてフォークを少女に手渡した。
「ここへ」
「かしこまりました」
 固まったままの少女の斜め前に座る。その小さいテーブルの上に置かれたのは簡単な食事だった。食べやすさを重視した物ばかりだ。少女の国とわが国の好む味はかなり違うので、それを考慮した結果だろう。各国を集めたパーティで出されるような物ばかりだ。
 少女が見慣れた食べものを怪訝そうに見つめている。
「食べなれたもののほうがいいだろう」
「え?」
 弾かれたように、少女は頭を上げる。
「さぁ姫様。遠慮せずにどうぞ」
「でも」
「残す気か?」
「いえ、」
 呆然と皿を見つめる少女を余所に自分はさっさと食べ始める。正直腹は減っていた。政務を終えてすぐやってきたのだから。
「いた、だきます」
「ぉお食え」
 意を決したというように声を発した少女にそう言う。小さい手に取られたサンドウィッチが口に運ばれる。
「どうだ?」
「おいしい」
「そうか」
 半分自分で言わせたようなものなのに機嫌をよくして、ふと少女の目の前のりんごに目が移る。そういえば、焼きリンゴなど久しぶりだ。
 残っていた一切れをひょいとつまんで食べた。
「ぁ」
 少女が、声をあげた。それは非難か、悲しみか、驚きか、わからない。ただ傍に居た兵の気配が揺らいだのを感じた。
 噛み砕いて飲み込んで、一言。
「――甘い」
「そりゃそうでしょう。姫のために作ったのですから」
 呆れたような声がかかる。
「甘すぎないか?」
「姫のためです」
 二度、繰り返すように言われる。確かに甘い物を好みそうなものだが……
「食べないのか?」
 少女は、りんごを凝視していた。そして、一瞬絡んだ視線を逸らした。少し、気分を害した。
「陛下、そう威圧してはおいしく食べられません」
「どういう意味だ。どういう」
「言葉の通りです。大丈夫ですよ姫。王は貴女を取って食いやしせんから。今は」
 余計なことを。言うな。
 シンリーはそっとフォークを握って、リンゴを切り分けて口に運び始めた。それに満足して、その姿を見つめていた。
「ですから、王。そう睨み付けていては姫は生きた心地がしません」
 おい、だからどういう意味だ。



 おなかが膨れて満足しても、もっと食べるように勧められた。あの男の人がいなかったら、もっと食べなくちゃいけなかったかも。
 誘われるようにやってきたのは衣裳部屋。王様が着替えて来なさいって。でも、なんで?
「さぁ姫様。こちらへ」
「ご無礼をお許しください」
「あの……」
 再び侍女にもみくちゃにされる前に、これだけは言っておかないと。
「なんでしょう」
 問いかけた私の声に一人の侍女が一歩進み出る。
「あの、どうして私は“姫”なのですか?」
「姫様は姫様でしょう?」
 何を言うのかと、侍女は言わんばかりだ。でも、
「私は姫様じゃありません」
 少しばかり、本当に少しばかり名の通った貴族の娘と言うだけだ。もっと美しい姫なら城にいる。
 そう一息に言ったのに、目の前の侍女はきょとんとしていた。
 珍しいと思ったのは、私だけでないはず――というよりも、周りがみんなきょとんと顔を見合わせていた。
「ぁの?」
 そっと声を掛けると、彼女達は動き出した。
「姫様は、姫様でしょう?」
「そうですわ」
「え? あの?」
 もとに戻っている。
「駄目ですわ。そうやってわたくし達を困らせないで下さいまし」
「え?」
 なんで?
「姫様をお名前で呼ぶことは、陛下にしか許されておりませんわ」
 さらに、意味がわからない。だってあの陛下も、私を……一度だけ、呼んだだけ。



 申し合わせたように服に着替えた。それは、あの自分の家から持ってきた服。
「これ……は」
「姫様の御召し物ですわ」
「陛下が、最初はこちらのほうがよいでしょうと」
 色染めの仕方が違うのか、織り方が違うのか、こちらとあちらの服は手触りが違う。慣れ親しんだ心地よさに身を包んで侍女に見送られる。
「いってらっしゃいませ」
 どこへ、行くの?



「シンシアリー・フェル・シンドル」
 名を呼ばれて、はっとした。この城でその名を呼ぶのは、一人――つまりそれは、そこに王がいるということ。
 通されたのは広間だった。長い絨毯によって作られた道の上に私は立っている。今更ながらに、なぜ自分がここにいるのか思い出した。
 父が言ったではないか、“ある女性を妃に向かえる”と、そしてついで、私の名を。
 左側には槍を持った兵士がいて、右側には剣を構えた兵士がいる。王の玉座の横にいるのは、大臣だろうか、卿の名を持つものだろうか。
 背後で、付き添ってきた侍女たちが頭を下げている。
 私は、異国の服を着て、一人、立ち尽くしている。
 いつの間にか長身の影が私の視界を遮った。ふと見上げる。あの、空色の瞳。
 そっと、手が取られた。シンシアリーと呼ばれる。なぁに? と問うと王が膝を付いた。そっと、手に触れた唇。
 焦った。そして、跪くべきは自分であると知った。あわてて足を折ると立ち上がり始めた王にそのまま抱きしめられた。
「ようこそ。リンバールへ」
 囁いた声が、兵と侍女たちの喜びの声より深く。私の心に響いた。



 お父様、お元気ですか?
 もう、お酒を飲みすぎていませんか?
 シンリーは、元気です。戸惑うことが多すぎて、いつもどきどきしています。だけど心配しないで下さい。
 だって、国王様はお父様と同じくらい心配性なんです。侍女のお姉さんたちもやさしくて、お城の中は暖かいのです。
 時々、困っていると、いつも同じ人が助けに来てくれるんです。でも、そのあと王様に会うと少し不機嫌なんです。変なの。
 今度、雪がみんなとけて花が咲いたら、お父様に会いに行きます。たくさんお話したいことがあるから、待っていてください。

シンシアリー・フェル・リンバール


〜 Fin 〜

おまけ「彼の国王夫妻観察日記」 こちら

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2008.06.16