「〜〜〜」
 楽しいから、ずっと歌っていた。歌いでもしないとやってけない。もう、馬鹿みたいで。


 視界の先に黒いものが現れた。気がつくとどんどん大きくなって、近づいて来る。
「……?」
 ピタリと、歌うのをやめた。早いテンポで青空に向かって歌うのは気持ちがいい。それは一時期流行ったアニソンで、楽しくてエンドレスだ。
 元気が、でるから。


「――」
 目の前まで走ってきた馬を落ち着かせる声。歌をやめた時、歩みも止まっていた。向かって来るのだから、問題ない。
 馬上の影が、地におりた。気がついていたが、かなり長身だ。もともと見上げていたことに変わりない。
「――ユーカ様?」
「ええ」
 私は、坂野友香(さかのともか)



 昔のあだ名は、ユーカだった。いつも、“ともか”か“ゆうか“で間違われるのであえてユーカをあだ名にしてみた。
 ここでは、ユーカで統一した。
 誰も、私の本当の名前を呼ばない。
「……?」
 目の前の大男が、険しい顔をしている。なによ。私に文句でもあるわけ?
 ムッとして睨み返すとあからさまな態度に気がついたのか、視線を落とした。
「失礼しました」
「なにが?」
「ユーカ様」
「なによ」
 年上に敬われるのに慣れてきた。
「私達より先に迎えが出ていたのですが、一緒ではないのですか?」
「迎え? なんのことよ」
「あいつら……」


 そういって怒りはじめた大男が、突然。
「フィリック! ミラー! 何をしていた!!」
 大声で叫ぶので身が震えた。怒られているのは自分かと錯覚する。
「すみません」
 怖いと思いつつ、脳天気な声に恐る恐る振り返る。そこに、また知らない男達がいた。
「………?」
「お前達には国境まで迎えに行かせたはずだ」
「国境?」
 そっから一時間くらいぐだぐだ歩いてたけど。歌いながら。
「すみません。まさかそんなに貧相だと思わなかったので」
「ミラー!!」
 ……ぐ。でもムカついた。
 ぎっと睨むと、あら〜と曖昧に笑う男と、もう一人はこっちを見てもいない。
「クライ、そのくらいにして。ユーカ様がお困りだ」
 もう一人いた。四人目は金の髪を長く伸ばして……腰までありそうだ。藍色の目が細められた。
「すみません。私はフェイウォン。こちらはクライ・アッシュ」
「はぁ」
「そっちがフィリック、ミラーです」
「ぁあ。そう」
「さあ、こちらへ。城までは遠いので」
「遠いの?」
「はい」
「歩いてどのくらい?」
「は? そう……ですね」
「いいわ。よくわかった」
 歩いて行こうなんて、普通考えないわけね。


 思い起こせば、二度目の転機が訪れていた。いくつ裏切られたって、生きていける。
 生き続けるしか、ないのだから。


「ユーカ!」
「ラティ」
 馬の背にゆられて、――というよりもかっ飛ばして三十分くらい。見上げても追いつかない高い門をくぐって、目的地に下ろしてもらった。
 出迎えに来たのは知り合いで、すこしほっとした。
「大丈夫か? 予定より遅かったが」
「………遅刻したの」
「そうなのか!?」
「それは嘘だけど」
「ユーカ……」
 君は相変わらずだねと、ラティアスが笑う。

 話し言葉は通じるのに、文字が読めない世界で迷子の私を拾ってくれたのはクロイだった。
 一瞬の出来事で、あと一秒。一歩違えば未来は違っていた。けれど結局、私は――

「ユーカ?」
「!?」
 覗き込まれて、しばらくぼぉっとしていたのだと焦る。
「ごめんなさい。ラティアス」
「いいよ」
 このやり取りも、変わらないまま。
「いいんだユーカ。君がここにいてくれるのだから」
 いつだって、自分の保身だけは守っていたのだから、吐き気がする。
「ありがとう。ラティ」
 顔をあげたその時、額に口づけが落ちてきた。
「!?」
「ユーカ、今度はもう諦めたりしないよ」
 ぁあ私は――友情にまでひびを入れたのか。




 世界が落ちてきた混沌の時代。世界に落ちてきたスノー。女神は、本当に箱庭を愛していて。愛しているがゆえに残忍であり、優しかった。
 世界にはとてもとても、優しかったのだ――




「ん?」
 気がついたそこにに覚えがないことは久しぶりのことで、少しだけ恐怖感を味わった。
「ラークノート」
 この国。この場所。見失わないで。世界は味方だから――
「うそつきっ」


 迷子の子猫、拾われた。
 迷子の子猫、捨てられた。
 迷子の子猫――


「ユーカ、相変わらずだね」
「眠い……眠い」
「今は朝だから」
「眩しい」
「………」
「ユーカ、侍女が困っているから。着替えよう」
「ラティ」
「なにかな?」
「あんたはなんで部屋の中にいるのよ」
「役得かな?」
「でてけっ!」
 朝に弱いのではなくて、朝早くに目覚める習慣がぬけないだけで。だから二度寝して、目覚めが悪くなるのだ。


「いただきます」
 習慣かしたものは意地でも習慣とし続けていた。縋り付く先。
「足りないものがあれば」
「ないからっむしろ多いから」
「そうか?」
「そうよ」

 ここにいれば安全で、困ることはない。自分の心に嘘を尽きつづける限りは。

「甘いわよ」
「そうか?」
 とても楽しそうに、嬉しそうに。笑うから。心が、叫ぶ。同時に叫ぶ。

 ――忘れるな。
 ――忘れてしまえ。

 日常が一変したのはもう一年も前のことで、その一年が三百六十五日より長いのか、短いのかはもうわからない。
 私を先に見つけたのはクロイで、リェーナ(愛しい人)と呼んでくれた。
 ラティアスは隣で、自分は手に入らないおもちゃを掴むチャンスを目の前で取り上げられたかのように、悲しい顔をしていた。
 彼等が後一歩、先に進んでいたら、私があと一秒、現れるのが遅れていたら。違ったのだろうか。
 クロツィアでの日々を、最初から無くしてしまえばよかったのに。

「ユーカ?」
「っ!?」
 目の前で目を覗き込むラティの声にはっとする。笑ってないのよ、その目。だからぞっとする。
「あ。なに……?」
「いや、もう行かないといけないから何かあれば侍女にでも伝えて」
「ありがとう」
「それじゃ、またね」

 悪女と、囁く声がする。クロツィアの王子だけでなく、ラークノートまで納めるのか、と。
 どこに行っても同じかと苦笑する。その心ない期待と悪意のせいで、彼等の王子の心は蝕まれていると知らずに。
 安らぎの場になっていたと、勝手に思い込んでいた。神様はきっと、奢れるものに身の丈を教えてくれるんだ。


「ユーカ。もう君とは共にいられない」
 クロイは愛していると言ったその口で、真逆のことを言う。

 迷子の子猫、拾われた。
 迷子の子猫、捨てられた。

「わかった」
 私は、最後に笑顔で、いられたのだろうか。

「ラークノートまで案内するように、王子に命じられました」
「迷惑よ」
 逃げ場さえ、腕の中。
 あなたを愛したこと、私がどれだけ支えにしていたか知ってる?
 悪女が聖女に変わったのは、あなたのせいなのに。


「ユーカ様?」
 聞こえてきた声は認めていないというように馬鹿にした声で、どこでも同じかと呆れる。
「なにか」
 ここは、ラークノート。ラティアスの腕の中。
「今日は歌わないんですか」
「歌わないわよ」
 やっぱり聞いていたのかと睨みつける。
「楽しくなさそうですね」
「は?」
「歌っていた時は楽しそうでした」
「ああ」
 そうだ。再出発だと思い込めば、楽しいものだ。それが?
「それで職務放棄?」
「かわいくないですね」
「だったらどうしたのよ」
「見せてください。うちの王子を陥落させたというその笑顔を」
 そんなの、捨てたわ。
 日常はあっという間に形を変えること、知っていたのに。


「ユーカ様?」
「はい。ぇえっと、クライさん? アッシュさん?」
「どちらでも、敬称はいりません」
「じゃぁクライ?」
「はい」
「肩書のない娘に対する態度じゃないわ」


「お前が弟の愛人か?」
「あいじん……」
 愛する人と書いて愛人。日の当たらない女。
「……弟?」
「ラティアスから何も聞いていないのか」
「はい」
「破格の待遇だな」
 クロイは第一王子だった。それがなんだと言ってくれたのに。だから信じたのに。最後に災いした。
「王位継承者」
「俺のことだ。気をつけろよ、お前の首をとばそうと思えば、できるぞ」
「ありがとう」
「――は?」
「外に締め出されるより、生かされるよりましだわ」
 相手の顔が歪んだ。
「今の言葉、忘れないわ。約束してよ」
「嫌だ」
「どうして?」
 立場が、逆転していた。
「弟が悲しむ」
「ありがとう」
 確かに、二度もラティを悲しませたくない。



「ユーカ、兄上に何か言ったのかい?」
「ブラコンに言うことなんてないわ」
「ブラ……?」
「なんでもない。仲いいわよね」
「ユーカ、話を変えない」


 ただ場所が変わっただけ。
 異なる世界で生きる場所が変わっただけ。私の居場所をまた作るだけ。繋がりは断ち切られることなく存在している。
 それもすべて、始まりを作った彼がいないだけ。
 彼がいないだけ――


モドル