それは、ただの通過点 1  

「捕らえよ」
 堅い声が、響き渡った。
「なんとしても捕らえよ。足を狙え。必要なのは頭と口。それに腕だ――」
 その言葉に、弓と剣の部隊が走り去って行った。



 秋の訪れを感じさせる木の葉が落ち始めた森をひとつの影が失踪する。
 秋の恵みを逃さないと地面に降りて、最初の木の実を拾っていた小動物があわてて木の上に逃げる。
 かまっていられないと、彼女の目には映らない。
 ただ彼女の頭にある一言は、先ほどとは別。
(逃げなくちゃ!)
 土地勘は、追うもの、追われるもの共にないだろう。だが致命的な差があるとすれば――
 ひゅっと、風を切る音に乗って、彼女の真横を矢が飛んで行った。
 ――そう、圧倒的な差。
 力の差。
 後ろを振り返ることもできず、彼女は冷や汗を流す。
(もう見つかるなんて!)
 甲高く響き渡る笛の音。ざわつく森。
 彼女は荒い息を整える事もできず、苦々しく顔をゆがめた。
 あの男に、聞こえているのだろうと。
 と、再び矢が襲ってくる。だが、彼女はそう心配はしていなかった。
 狙いは、自分自身。生かして捕らえる事の難しさを誰よりもよく、知っていた。
 殺すわけではない。これは威嚇だ。
 彼女がそう思って、希望を抱くのも、無理はなかった。
 だが戦局は、動いていたのだ。彼女の知らないところで。

 彼女なりに考えて、森の中を走りぬける。
 ふと、正面から大きな水音が聞こえてきた。これが最善なのか最悪なのか、彼女には区別がつかなかった。
 だが、進むしかない。ただ、走る。逃げる、にげて、走る。
 視界の先が、白くかすみ始めた。あの先に――
「――!!!」
 足に衝撃を感じて、体が傾く。
 何が起こったのか、彼女は理解できなかったのだろう。振り返るように見た視線の先に、弓を構えた兵士と、獲物を捕まえて喜ぶ、捕食者の顔が見えた。
(――いやだ)
 彼女は、最後の力を振り絞った。
 まさかと、その男の表情が青ざめる。
 走り出した男の手が伸びる。懸命に伸ばした腕も、届かない。彼女がつかませない。
 流れる谷底の川に向かって落ちていく彼女の表情(かお)は、笑っていた。
 それがとてもとても、印象的で――
「――!」
 叫んだ男の言葉は、水の流れに押し流されて消えていった。




「え〜と?」
「何度言いわせる気だ」
「それといってもですね」
「これでも足りないというのか」
「まぁ、そうですね」
「これでどうだ」
 指を鳴らした男の合図に合わせて、テーブルに置かれた袋が倍に増える。
 響き渡ったコインの音。袋からこぼれた硬貨の色は、金色だ。
「そうですね」
「いい加減にしたらどうだ。これでも足りないというなら、後日でもかまわんぞ」
「……そうなんですよね。あなたにしてみれば一部でしょうね」
 はぁと、それまでのらくらと言葉を交わしていた男はため息をついた。
「いったい何事ですか。エンダイブ国王シスル」
「今更聞いてくるか、孤高の召喚師パラキート」
「私は、仕事したくないんですよ。でなければなんのためにこんな山奥に住んでいるかわかりませんよ」
「お前の都合など聞いていない」
「……はぁ」
 パキラートの口から、もう何を言っても無駄か、というため息がもれた。
「それでいったい、私に何をさせようというのですか。国王」
 そう呼ばれた男の口元が、笑った。



(まったく。困ったものだ)
 名が知られているというだけ、動きに制限がかかる。こんな山奥までやってくる奇数な人間はほどほどにいるが、一国の王という男がきたのははじめてかもしれない。
 ようするに、面倒なのだ。
 世の中金を積めばどうにかなると思っている人間ほど、相手をするのが面倒くさい。
 確かに、報酬を貰って生活している側としては、何も言えぬかと苦笑する。
「で? ご息女ですか?」
「そうだ」
 孤高の召喚師と呼ばれる自分に向けた依頼だ。得意とするそれ以外の要求は考えられないなと、パキラートは笑う。
 乗り込んできた国王が何を言うのかといえば、死んだ娘に会いたいと言うのだ。
(そんなに、家族愛に燃えていたとは思えないけどね)
 よくあることだ。死んでから後悔したところで意味はない。なぜ、生きているうちに気にかけてやれないのだろうか。
 親という生き物は。
 何度すがりつかれた事か。そのたびに払いのけ、時折手を貸し。唯一の弟子に悪魔と呼ばせた。くっと笑う。
(そういえば、元気かね)
 たった一人、よく叫ぶ弟子の姿を思い出す。こんな時になんと悠長な。
 自分の場所までくるよりも、下にいる弟子を捕まえたほうが手っ取り早いだろうに。この国王の頭はどうなっているのか。
 ああ面倒だと呟いたパキラートが詠唱する。それは、死して世を離れ、天界を彷徨う魂を一時、この世界に引き戻す術――
 パキラートの周囲が光り輝く、しかし、その光が急速に失われ、四散した。
「あれ?」
「どういうことだ!!?」
 国王が、パキラートの呟きを耳にして声を荒げる。
「う〜ん」
「ふざけるな!!」
「う〜ん。真名を、間違えていませんよね?」
 人は、二つの名を授かる。魔力がこめられた真名、人々の間で呼び合う呼名。
「当たり前だ!」
 紙につづられた真名と、誕生月、死月。この三つで天界から呼び戻す。
 もう一度紙に目を落として、可能性を考える。
「なら、まだ生きているのでしょう」
「なんだと」
「あなたのご息女は、生きていますよ」
 少なくとも、天界にはいない。まさか一国の王女が、天界に戻る事を許されないほどの罪を犯したとは考えたくない。
「嘘をつくな!」
「そんな事言われましても……」
「ならここに呼べ」
「疲れるので」
「報酬はあの倍だす」
「そういう問題ではないのですが……」
 転送の術は、召喚の術ほど大掛かりでないにせよ。人一人移動させるのだ。体力を使う。
「はぁ」
 パキラートがついたため息は、国王の目には入らなかったようだ。
 すっとパキラートが腕を動かす。真横に伸びた腕に詠唱によって光が絡みつく。
 円形に形作られた土台に光が走る。
『我が呼び声に答えよ! スノーホワイト!』
 パキラートよりも魔力が強いものでない限り、この場に現れるはずで――それは現れた。
「――いだっ!?」
「……?」
 なんだか、きき覚えが……
「ちょっと師匠! なんなんですかいったい!」
「シアン? あれ? なんで君がいるのかね?」
「師匠が呼んだんでしょう!?」
「う〜ん?」
 呆然とする国王とその他の兵士は見えていないのか。師弟関係にあるらしい二人はほぼかみ合わない会話を続ける。
 と、パキラートが呟いた。
「……スノーホワイト?」
 その名を呼ぶと、シアンと呼ばれた女がびくりと震えた。
 真名は、相手を縛る事も、操る事もできる。しかしそれは、魔力のこめられた、両親の思いだ。
「君が、そうなのかい?」
「……」
 苦々しげに、シアンは唇を噛んだ。
「どういうことだ!」
 突然声を荒げた国王に、パキラートとシアンが視線を向ける。――途端、シアンは後ずさった。
 尋常ではない様子に、パキラートが目を細める。
 と、
「たっ」
 突然、シアンがその場に倒れこんだ。あまりに一瞬の出来事だが。見る人が見れば足を痛めているとわかる。そんな倒れこみ方だった。
「シアン? いったい――!」
 伸ばした手を拒むようにシアンが右足をかばう。そんな抵抗をものともせず何事だとひざをつき、その足を覆う布をよく見たパキラートの言葉が止まる。ついで、勢いよく裾をめくりあげた。
「シアン!?」
 塞がりきらない傷跡。まるで、細い何かが突き刺さったかのような深い、穴。
「何をしているんだ! 傷はすぐに消毒して! こんな足で歩いていいわけないだろう!? 歩けなくなるぞ!?」
 あわてて傷口を治療していたパキラートは気がつかなかった。
 すぐ傍にいた国王が、青ざめていたことに。
 

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